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八丈島旅行 [旅・出張]

最近は島の旅にはまっていて、世界の島、日本の島、東京の島という3つのシリーズが並行実施中。
今回は東京の島。

東京には伊豆諸島と小笠原諸島があり、今回は伊豆諸島です。
先日行った最大の島伊豆大島に続いて、二番目に大きい八丈島です。
車なら一周して2時間程度。

伊豆大島は水中翼船で東京から日帰りできる距離にあるのに対して、八丈島はずっと南にあり、長崎県や高知県あたりと同じ緯度にあります。
気候も明らかに南国風です。

伊豆大島との違いはそれだけではなく、八丈島まで行くのは流れが速い黒潮を越えなければならないことが大きい。
そのため、船で行くことは時間がかかる上に難しかったという歴史があり、流人が多く送られたのもそのためでもあります。

ところが、現在では伊豆諸島の中で唯一ジェット機が羽田から1日3便就航していて所要時間55分。
交通の便が良い観光地となりました。

羽田を午後出発だったため、ゆっくりと出発するはずが、何と中央線が運転見合わせ。
井の頭線で迂回し、浜松町で1分でモノレールに乗り換えて、なんとか飛行機に乗りました。

飛行機は八丈島上空を一旦通過して、大回りして高度を下げて着陸。
レンタカーで出発。
道は良く整備されていて、名物のフェニックス・ロベレニーが並び、青空。
このときまでは。
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昼食をとり、八丈支庁におかれた歴史民俗資料館の展示を見てから大里へ。
玉石垣は海で洗われた丸石を積み上げたもので、これで地震でも崩れたりしないそうです。
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溶岩が海に流れ込んだ南原千畳岩海岸には、八丈島への公式島流し1号の宇喜多秀家の像があり、城主だった岡山の方角を向いているそうです。
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海の向いに見えるのは八丈小島です。
急な岩山で人が住めるようには見えませんが、実は1969年に八丈島本当に集団移住するまでは有人島でした。
ちなみに、Wikipediaにこの島の風土病八丈小島のマレー糸状虫症の記事があり、すさまじい力作、必読です。

1日目は宿で夕食後、樫立向里温泉ふれあいの湯に行ってから寝ました。
なんか、雨が降ってきているんですけど。

翌日は朝から怪しい空模様で、八丈服部屋敷で樫立踊りと島太鼓を見ているうちに、本降りに。
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続いて黄八丈の見学。
この黄八丈は草や泥で染める絹織物です。
八丈島の名物で、八丈島で作られるから黄八丈ではなく、黄八丈を作っている島だから八丈島だそうです。
昔ながらの生産方法のせいか、結構良い値段がします。

えこあぐりまーとで地元の餅つきをちらっと見て、八丈島地熱館。
ここは東京電力の地熱発電所に併設されていますが、この地熱発電所はつい最近の3/29に廃止されてしまい、解体を待っている状態だそうです。

八丈島地熱館は八丈島の地学的な説明が詳しく、勉強になりました。
八丈島は東の三原山(大島の山と同じ名前)と、西の八丈富士からなるひょうたん島のような形をしていて、真ん中の平地に人口が集中しています。空港もそこにあります。
この2つの山は時代が随分と異なり、八丈富士は1万年ほどの歴史しかないため、まさに富士山のような整った形をしていて、せいぜい低木しか生えていません。海岸も比較的なだらか。
一方、三原山は10万年以上の歴史があるため、土壌も変化して川が流れるようになっており、地形も浸食が進んでいます。うっそうとした森に覆われています。海岸は断崖絶壁。

裏見ヶ滝は三原山の山麓にあります。
緑に覆われた渓谷のようになっているのですけど、八丈島は火山島なので基本的に淡水魚はいないそうです。
考えてみればそうですが、面白いですね。逆に淡水に魚がいるというのはかなり不思議なことです。
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三原山川から平地に降りる登龍峠からは真ん中の平地と八丈富士がよく見えます。
その奥に見えるのは八丈小島。
本当は八丈富士に登りたかったけども、天気が悪いので断念。
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結局また夕方に温泉に行く羽目に。この日は中之郷温泉やすらぎの湯。

ちなみに、八丈島滞在中、天気予報はまったく当てになりませんでした。
もともと東京の倍ほどの降水量があるのですが、天気予報にかかわらず雨が降るし、レーダーの画像も当てになりません。
地元の人は、八丈富士に雲がかかると雨が降る、とかそんな感じで暮らしている模様。

夜中は風雨ともに強く、まるで台風通過のようでした。
ただの低気圧なのに。

最終日は午前のみ。
朝から雨が降っているので、朝から末吉温泉見晴らしの湯へ。
風呂場にいたおじいちゃんによると、天気が良いと青ヶ島が見えるそうです。
天気が良ければ。

結局三原山は登れそうにないので、カフェでコーヒーなど飲んだりして時間を過ごしました。
ところで、八丈島の名物と言えばアシタバ。大島でも見る食べ物ですが、八丈島では本当にそこら中に普通に生えています。
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車で今度は大阪トンネルからはまた三原山と八丈小島。
何だか帰るときになって天気が良くなってきているように見えるのは気のせいでしょうか。
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悔しいので、八丈富士の中腹を一周する鉢巻道路を一周してからレンタカーを返して空港に。
最後にまた島寿司を食べました。
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これは醤油漬けにした魚を使い、シャリとの間にはわさびではなくからしが入っています。
わさびが入手できなかったため、このような料理が生まれたようです。

お昼の便で出発。
快晴になっている気がするのですが、気のせいでしょうか。
飛行機から見える八丈富士、登ってみたかったなあ。
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伊豆大島 [旅・出張]

毎年、年度末は仕事が繁忙期なので、さすがに控えていた2月の連休の旅行、今年は決行してしまいました。
もう随分前に沖縄に行った以来でしょうか。

行ったのは伊豆大島。
最近はまっている島の旅の中で、東京都の島は手軽でもあり、注目エリアです。

実は大島は中学生のときにキャンプに行ったことがあり、高校生だったときにも都立高校のセミナーハウスに1年生全員で行ったことがあります。

なので、東京の島の中でどこに行こうかと考えたとき、既に行ったことがある大島は避けようとも思いましたが観光したかというと観光していないし、最後に行った2年後に三原山が噴火して全島避難になった経緯もあり、改めて行ってみようと思いました。

出発したのは土曜日、東京は雪の予報。
ただ、起きる前に降ったのか一部の屋根に雪が残るくらいでした。

浜松町から竹芝桟橋まで歩き、ネット予約したチケットを受け取り、出船票に記入。
コーヒーとおにぎりを買って乗り込み、定刻の13:10を少し過ぎたあたりでジェット船で出船。
大島に近づくと海洋生物が多いということで一時減速。

15:00ごろに到着した岡田港(おかたこう)は雪ならぬ雨。
あんこ娘が1人いて出迎えてくれます。

東京からの船が着く大島の港は元町港と岡田港の2箇所あり、どちらに着くかは当日の朝に決まります。
島内では朝、防災無線か何かで放送され、それでバスのダイヤも変わります。
冬は岡田港が多いようです。

島の中心は明らかに元町で、岡田港の周囲はほとんど施設らしきものがなく、すぐに急な登り道で大島一周道路医接続していますが、真新しい待合ビルがありました。
真新しいと思ったのは正解で、後で知ったところ、2日前にオープンしたばかりでした。
待合所としての役割だけではなく、津波時の避難場所としての機能を持っています。
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港からまずはバスで郷土資料館まで。
大島には縄文時代から人が住んでいたようですね。
ただ、火山島で水はけが良く、川らしい川がないため、稲作は難しかったようです。
また、水汲みは重要な仕事で、女性が頭の上にのせて運んでいました。
服装も面白いですね。
かつては葬式の際に(結婚式よりも)目一杯のおしゃれをしたそうです。

バス停で、電線をリスがわたっていました。
これはタイワンリス、もともと島にいなかった動物で、問題になっているようです。

宿泊は元町、いつもの旅行のように寿司などを限界まで食べました。
元町のメインストリート?も夜はひっそりとしています。
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この時期、大島は椿祭りシーズンで、元町港の待合ビルでは「夜祭り」というイベントを週末の毎晩やっています。
伝統的なあんこ娘の踊りはまあまあ、スーパーあんこ娘という今風の集団ダンスパフォーマンスは・・・手作り感が有りました・・・。
夜祭り前の会場はこんな感じです。
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翌日の日曜日は大島一周。1日だけ借りられたレンタカーで出発。
離島の旅、レンタカーの予約は競争率が高くて大変です。

大島には大島一周道路という名前のそのままの道があり、一周することが出来ます。
今回は反時計回り、カメリアマラソンで一部通行止めの中、火山博物館へ。
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さっと見ようと思ったら、結構展示は充実していて、40分の映画まで見て、見たりして時間を使いました。
火山の基本的な説明、世界の火山の説明があります。
当然、1986年の噴火については丁寧に説明されています。
噴火の前から全磁力が低下していたそうです。
全磁力というのは地磁気で、地中の鉄による磁性のようですが、温度が高くなると磁性を失うため、マグマの上昇を示しているそうです。

さらに島を反時計回りに進むと、途中に地層の断面が見える場所があります。
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さらに進んで波浮港まで行きました。
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この港は、もともと838年の噴火の火口に池が出来、その後の1703年の津波で海とつながり、土木工事で入口を拡張したものだそうです。火山ってすごいですね。
川端康成の伊豆の踊子に出て来る踊り子薫のモデルはここで働いていたという踊り子の里資料館(旧港屋旅館)を見て、坂を登って無人の旧甚の丸邸を見ました。

昼食に寿司を食べてさらに反時計回り。
筆島は、かつての火山の火山道のマグマだけ、固いので浸食されずに残ったものだそうです。
小さな印象ですが、現在の大島を形成した主要な火山の一つでした。
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そして、日もやや落ちてきましたが、いよいよ三原山。
外輪山の中のカルデラに降りると内輪山が見え、何筋も溶岩が流れ出した黒い筋が見えます。1986年の噴火のものです。
この溶岩は外輪山を越えなかったものの、外輪山の外で割れ目噴火が起こった結果、元町に危険が迫ったようです。

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内輪山までは30分ちょっと、ところどころに避難所があります。
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そして内輪山をぐるっと回るお鉢めぐり。ところどころ水蒸気が出ています。
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昔は自殺の名所だったそうで、読売新聞社が火口にゴンドラで降りてみるということもあったそうです。
1986年の前の1950-1951年の噴火の前の1933年のことです。

ここで2日目はおしまい。

最後の日は、足がないので朝からバスで大島公園に行って、椿園を見ました。
冷たい雨が降り、休憩するようなレストランもないので、なかなか難儀しました。
椿というのも地味ですが、きれいですね。
ただ、咲いた後、ボタッと下に落ちるので、なかなか無残です。
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再びバスで岡田港まで戻り、新しい待合所の2Fで乗りラーメンとコーヒー。
向いの古い待合所で、あら鍋が無料で振る舞われていました。
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帰りの船はジェット船が満席だったので大型客船。
出発もあんこ娘が見送ってくれます。
船の出航というのは旅情があります。
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遅いと行っても結構なスピードのように感じます。
さすがに退屈ではありますが、5時間ほどで東京へ帰ってきました。
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関門海峡旅行 [旅・出張]

今年最初の旅行は関門海峡旅行でした。

昼頃出発して、山口宇部空港に到着してバスで下関に着いたときには夕方。
寿司を食べてからちょっと歩いてみると、結構古い洋風建築が残っていますね。
あと、土地が狭いのにやたら道が広いのは、どうやら昔の写真を見ると路面電車が走っていたようです。なるほど。
確か和歌山もそんな感じでした。
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駅の近くにはグリーンモール商店街があり、一応リトルコリアということになってるものの、閑散としています。
ただ、下関港は韓国との定期船があるので、韓国人は多いです。
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街のシンボル的に海峡ゆめタワーがあり、日によって違う色にライトアップされます。
当然展望台があり、当然カップルが多かったです。
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夜は豊前田(ぶぜんだ)に出陣。
小さいけれど、結構賑やかな夜の町があります。


翌日はホテルをチェックアウトして、下関市の中でもちょっと離れた長府まで。
ここは長州藩の支藩があったところで、古い街並みが残っています。
ちなみに、長府とは長門国府を略してこの名前になったそうです。

ここは古い街並みが残されており、寺社や長府毛利邸が見所。
曹洞宗の功山寺の仏殿は1320年の創建で、国宝。
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古江小路も雰囲気があります。
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さて、ここで再び下関の中心、唐戸まで戻って唐戸市場。
市場ですが、まったく観光地となっており、もっと言うと寿司売場になっています。
ここで買って、外で食べるというのがスタイルらしいので、郷に入れば郷に従え。
市場の中の食堂で食事をした直後なのに、ちょっとだけ味見。
奮発して、ノドグロ、ウチワエビ、縁側です。
ウチワエビは、平戸で食べられなかったのをようやく食べられました。
他にもクジラもたくさん出回っています。もちろん河豚も。
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亀山八幡宮、日清講和記念館とみて、赤間神宮。
初詣で賑わっていました。
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あと、大歳神社、厳島神社などを見て下関観光は一区切りとして、壇ノ浦まで。
みもすそ川公園には、関門橋をバックに、義経と平知盛が。
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しかし、関門橋が架かっているこの部分、本当に狭くて、泳いで渡れそうです。
ただ、流れは川のように速いです。
朝方は夥しい釣船がここに出ていました。
そして、船の交通量は多く、橋に引っかかりそうな巨大なタンカーも通過していました。

さて、関門海峡を渡る方法は鉄道2通り、自動車2通り、船、徒歩の6通りあるそうですが、今回はドキュメント72時間でも取り上げられていた徒歩で。
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自転車は20円、徒歩は無料。
エレベーターで降りて関門トンネルを歩きます。
自動車道の下を通ることになっているようです。
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お約束のように途中で山口県と福岡県の境界。
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760mとのことで、たいした時間もなく北九州の門司に上陸。
しかし、外に出ると日が落ちていました。
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夜の門司、ライトアップされて、カップルが多いです。
この類いの昔の建物は好きですが、ちょっと整備されすぎているんですよね。
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夜は小倉の街へ。
成人式の日だったので、スーツ姿の若者、花魁風の髪型の女性もいました。
さすがに服は着替えていたようです。
もっと早く渡れば見られたかな。


さて、最後の日は北九州市。
なかなか定番の見所がなく悩んで、まずは北九州市立自然史・歴史博物館 いのちのたび博物館。
スペースワールド駅で降りると、スペースワールドの解体工事をしていました。
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いのちのたび博物館は噂に違わず充実していました。
下関市民も割引になるようです。
下関市と北九州市って、行き来がスムーズでほぼ都市圏としては一体化している感じです。
街の雰囲気は違いますが。

いのちのたび博物館の展示を見てひらめいて、そのまま若松区へ。
JRの戸畑駅で降り、バスで若戸大橋を渡って若松に到着。
若戸大橋は結構高く、眺めが良いです。
昔は徒歩で渡れたらしいのですが、今は一般道と高速道のみ。
若松区はかつて石炭の積み出し港として栄えました。
洞海湾という深く切れ込んだ川のような湾に面した(上海のバンドならぬ)若松バンドでは、海沿いに洋館が並びます。
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この旧古河鉱業若松ビルは現在市の建物として会議室などに使われているようです。
中に入れてもらうことが出来ます。

帰りは若戸大橋ではなく、その下を市営の渡船で。あっという間に着きます。
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そのまま戸畑から小倉に戻り、小倉城をさっと遠くから眺め、今度は北九州空港経由で帰りました。
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関門海峡周りの狭いエリア、移動も少ないので余裕がある旅のつもりでしたが、どうしてどうして、結構ばたばたでした。
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佐原 [旅・出張]

近所の重伝建として、川越に続いて、千葉県の佐原に行ってきました。

成田空港の近く、と言うことで、近いような、遠いような。

うなぎを食べてから、街歩き。
利根川の支流の小野川沿いに街並みが拡がっていて、小野川で小江戸舟めぐりが出来ます。
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伊能忠敬が人生の前半を過ごして財をなした土地ということで、記念館もありました。


川沿いは電柱も地中化されて、美しい街並みですが、昔のまま残っているだけではなく、少しずつ新しい無粋な建物を建て直して行っているようですね。

屋根は切妻でも平入りと妻入りが混じっていて、寄棟もあります。
蔵も目立ちます。
寄棟の場合、鬼瓦に相当する部分が凝っていて、字や模様で装飾されています。
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重伝建は川沿い意外にも拡がっていますが、電柱が残っていて、ちょっと残念。
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真っ暗になる前に香取神宮を見て帰りました。
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肝心の千葉県立中央博物館大利根分館が冬は個人が見られないということで残念でしたが、この地が繁栄したのは、物流。
東回り航路においては、直接東京湾に入るルートもあったものの、犬吠埼が難所であるため、銚子まで南下した後は利根川に入り、江戸川に入って江戸に到る経路が重要でした。
なので、その経路にある佐原が発展した、ということのようです。

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奄美大島旅行 [旅・出張]

11月の三連休は奄美大島に行ってきました。

祝日の金曜日に、少々家事を済ませてから羽田空港に行き、まずは鹿児島空港へ。
羽田空港の出発遅れに加えて向かい風で飛行機が遅れたので、鹿児島空港では20分で乗り換えて、奄美大島の空港へ。
午前中に家を出たのに、着いたのは夕方。

奄美空港は、島の北端と言って良いところにあり、日の入りは東京よりずっと遅いものの、
空港近くの奄美パークなどを見て、島の中心部の名瀬のホテルにチェックインしたときは真っ暗でした。


さて、奄美大島。
北方領土を除くと沖縄島、佐渡島に次いで7番目に大きな島で、8番目の対馬より大きい。
また、佐渡島は人口6万人を割っているのに対して、奄美大島は11万人ほど住んでいます。

対馬もそうですが、山がち。
そのため、各々の集落(シマと呼ぶらしい)の間の陸路は不便で海路が中心で、結果的に各々の異なった文化が発展したとのこと。

現在はトンネルが掘りまくられていて、ちょっと隣町に行くにもすぐトンネル。
でも、このトンネルのおかげで最近は島内の時間距離が随分縮んでいるらしい。
ちなみに、奄美大島は南北というより東西に長いように思うのに、なぜか南部、北部という言い方をします。


夕食は名瀬の屋仁川(やんご)通りで。
ここは、鹿児島県内では天文館に次ぐ規模で、昔は300軒、今でも200軒の店が並んでいるそう。
ただし、店は住宅に混じって並んでいるし、客引きもいないのでのんびりしています。

ここで名物、黒糖焼酎デビュー。
ラム酒と焼酎のあいのこみたいで、甘くて美味しいですね。
鮪は多くある食材で、奄美でエラブチと呼ぶ、ブダイも美味しい。


翌日は朝からマングローブでカヌー。
ブラタモリでもやっていたやつですね。
簡単な漕ぎ方を教わってから一人用に乗りましたが、結構安定していて、あっさり乗れました。
流れがあっても、思いのほか自由に動けるし、視線が水面に近いので、これは楽しい!

この時間は干潮だったそうで、干潟に上陸すると、小さな蟹が穴から出入りしていて、小さなトビハゼがぴょんぴょんと飛び跳ねていました。
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うっそうとしたマングローブの中を進む、というのは満潮のときだそうです。


昼食後、一気に島の南部まで走り、山の中でマテリヤの滝。
遊歩道があって、歩けるのに誰もおらず、神秘的でした。
ハブが出ないかなあ、とちょっと心配ではありましたが。
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夕暮れ時は、高知山展望台へ。
奄美大島の南部にはすぐに向かい合って、加計呂麻島があり、その間の大島海峡が臨めます。
ここもブラタモリで映ったところみたいですね。
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入り組んだ奄美大島には、荒い波の海、静かな波の海があり、大島海峡は至って穏やか。
対岸の加計呂麻島、のんびりしたところで、夜はとてもきれいに星が見えるそうです。



そして最後の日は、ホテルをチェックアウトし、まずは名瀬市内の奄美市立奄美博物館。
奄美の歴史、文化、自然の展示があります。
奄美の歴史はもちろん本土と異なっていますが、特に古代は沖縄と同様、本土とは独立して歩んできたと考えられてきました。
しかし、展示によれば、喜界島に城久遺跡が見つかったことにより、奄美諸島は大和朝廷と古くから交流があったのではないか、と考えられてきているそうです。
奄美大島の小湊フワガネク遺跡では大量の夜光貝が見つかり、これは加工して本土に輸出されていた可能性があります。
平泉の中尊寺金色堂の螺鈿は、奄美の夜光貝を使っている可能性があるそうです。

屋外には、奄美の民家の展示がありました。
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最後は再び南部に行って、ホノホシ海岸。
ここは荒波に洗われて丸い石ばかりで、引き波のときにがらがらと音を立てる。写真を撮っている人も多かった。
この丸い石、地元の人は持って帰ると災いがあると信じているそうです。
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ここで旅は終了、一路北部の奄美空港へ。
途中の龍郷町で、奄美名物の鶏版をさっと食べて、奄美歴史民俗資料館をさっと見て、空港に滑り込み。
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鹿児島空港を経由して帰ってきました。



今年は、マルタ、キューバ、佐渡島、そして奄美大島と島が続きました。
遠くて時間がかかるし、お金もかかりますが、島の旅、はまってしまいそうです。

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佐渡島旅行 [旅・出張]

国内もいろいろ行って、ここ最近は半島や島への旅行が増えてきています。
10月の連休は佐渡島へ。

島の旅行はやはり時間がかかるので、初日はいつもより早起きして新幹線で新潟へ、新潟からジェットフォイルで両津港へ。
台風が日本海側を通過予定でどうなるかと思っていましたが、無事に佐渡島に上陸できました。

初日はバスで佐渡歴史伝説館、佐渡博物館を回っておしまい。
泊まったホテルの周り、夜は何もありませんでした。

2日目、台風の通過によって、未明に強い風が吹いたようで、朝方はまだ雨がぱらついていました。
船も午前中は欠航していたようで、まさに孤島状態。
この日はレンタカーを借りて、本格的に観光しました。
本当は三日間車を借りようと思っていたのですが、なんとどの会社も満車。
台風のせいでキャンセルが出たのか、直前に見たらこの1日だけ借りられました。

まずは西三川ゴールドパークへ。
佐渡は金山が有名ですが、金が出るところはいくつかあり、この西三川は砂金がとれたところ。
昔、買い付けた野菜の土に砂金が着いているのに気付いた男が畑を買った話など、面白い話があります。
最後に砂金とりの体験コーナーがあります。
本物の川砂が用意されているそうで、これを水の中で揺すって軽い砂を減らしていきます。
見せてくれたお手本のようにはとても行きませんが、いくつかとれて記念品に。

さらに佐渡島南西の小木半島に向かいます。
途中で真言宗の蓮華峰寺を見ましたが、他に誰もいませんでした。
矢島・経島も誰もいませんでした。
船が欠航しているせいで、近隣からの観光客がいないせいかも。

そしていよいよハイライトの宿根木へ。
ここは重要伝統的建造物保存地区になっている集落です。

宿根木の入口の佐渡国小木民俗博物館・千石船展示館へ。
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千石船展示館の名の通り、巨大な千石船を船大工たちによって復元し、なんと中にも入ることが出来ます。
隣接している学校を改良した博物館も古い生活用具を並べていて、雰囲気がありました。

そしていよいよ宿根木の集落へ。
入江にある川の河口の狭い範囲に家が密集して、周囲は段丘上に高低差があるため、山道のような階段を降りていきます。
すると、突然タイムスリップしたような町が現れます。
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もちろん、生活している人がいるわけですが、いくつかの家屋は公開されており、三角屋、清九郎、金子屋を順番に見ました。

三角屋は違う地区で建てられた四角い家を移築したというもの。
おばあちゃんが長く住んでいましたが、高齢になって転居したため後悔されるようになりました。
もともと四角かった家を、三角にしてここに移築したと言うことで、内部はなんとも不思議な作りです。

清九郎は豪勢な家で、簡単に説明してくれました。
入ると囲炉裏がある間があり、吹き抜け。
寝る場所はちょっと高くなっていて、鼠返しがある。
白川郷の家とちょっと似た配置。
けやきの一枚板、一本の柱など贅沢で、釘隠しまであった。
窓の開け閉めは滑車で出来て、このあたりは船の技術でしょうか。
石で押さえた石置木羽葺屋根と呼ばれる屋根です。
向かいの蔵は板で囲われており、能登の黒島の鞘蔵と同じ。

金子屋も同じような配置でした。
全般的に外見は古びた木で質素ですが、中は豪勢。
外観の木材なども含めて、船で使われた丈夫なものを再利用しているそうです。
また、集落内を流れる川にかかった石は尾道のものだったりするそうです。

最後に井戸の横を登って段丘の上から見ると、街を一望できます。
一段下がった狭い地域に住宅が密集していることがわかります。
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昼食を摂って宿根木を発ち、ここから大きく北部の相川まで移動して、佐渡奉行所。
これは復元されたもので、バスで来ていたツアー客と一緒にガイドを受けました。

このあたりと金山の間には今こそ車道が走っていますが、並行して当時の街並みが京町として残っています。
時間が無いので、ほんの一瞬だけ見て、自分の影と一緒に写真を撮りました。
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そして、北ルートとは別に、佐渡金山の横を通って大佐渡スカイラインで両津に戻りました。
紅葉にはちょっと早い。
夕暮れの展望を楽しみにしていたのに、一番上はガスが出ていて、結局いつもの展望に・・・。
雨男過ぎる。
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両津の夷町(えびすちょう)に出て、三軒はしごして、この日はおしまい。
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最終日は、二日酔いで1時間近く起きられませんでした。
この日はバスで佐渡金山へ。
今では坑道も人形がおかれてすっかり観光地でした。
初期の露天掘りの跡が、道遊の割戸として残っています。
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佐渡金山って、平成元年まで掘っていたんですね。
江戸時代は、それはそれは労働集約的な方法で鉱石から金の純度を高めていって小判にしていました。
金山とは言うもののの、その何倍も銀が採れるので、まずは金銀を鉛の合金として取り出し、さらに銀と金を分離します。
地盤が固い佐渡金山ではタガネも1-2日でだめになってしまったそうで、採掘には道具を作る技術が必要とされますし、土木技術や排水技術も必要です。
結果として多くの技術がこの地に集まっていて、棚田が作られた技術のベースにもなっているそうです。


バスを乗り換えて両津港に戻り、ジェットフォイルで新潟へ。
新幹線で東京に戻りました。
12時過ぎに金山を出たのに、家を着いたのは19時頃でした。

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静岡旅行 [旅・出張]

この9月は良いか悪いか祝日がばらけていて三連休2回、後半は静岡に行ってきました。
本当はもっと西に行くつもりだったのですが、初日に東京を離れられなくなってしまったので、2日目、3日目に一泊2泊となってしまいました。

車で静岡まで行って、静岡県立美術館で「幕末狩野派展」。
地方の美術館は、空いていてゆっくり見られて本当に良いです。
東京は美術館や博物館はたくさんあるものの、いつも人をかき分けてみている感じで、恵まれているのか恵まれていないのかわからなくなることがあります。

ちょっと夜の街を歩いて見たところ、静岡は駅からの中心街が賑やかで、シャッター街にはなっていません。
電線が地中化されていて、歩いている人も多い。
歓楽街のようになっている一角もあるののの、しゃれた店も多く、若者も多い。

いろいろ見て見たかったのですが、前日までの疲れが出て、ホテルで寝てしまいました。

翌朝、駿府城公園まで行き、県庁21階の展望台まで行って見ました。
シャツが汗びっしょりになるほど暑いのに、富士山は雲をかぶって見えず。

諦めて、車で日本平ロープウェイまで行って、久能山東照宮に行きました。
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ここは徳川家康が死後に埋葬され、祀られた神社。
日光東照宮が出来たのは、一周忌後です。

昔は歩いて登るしか無く、実際、神主さんたちは今でも毎日歩いて通勤しているそうです。
しかし、観光客はロープウェイで一直線。
便利なものです。

ロープウェイ乗り場には展望台があり、工事中でしたが、清水らしき街がよく見えました。
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さらに足を延ばして(といっても静岡市内ですが)、三保の松原。
羽衣伝説とともに、世界遺産アピールが目立ち、もうすぐビジターセンターが出来るようです。
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そして、最後は清水港のフェールケール博物館。
清水港の博物館と言うことで、湊がどのように発達してきたのかよくわかります。
昔はもっと内側の湊だったのに、向島がどんどん大きくなり、最後は地震で隆起してしまったので、向島の外側に港を移したのが今の清水港になります。

博物館には小さな缶詰博物館も併設されています。
ここの地味に面白かった。
ツナ缶などの輸出で清水は大いに発展しました。
「はごろもフーズ」って、清水由来。
言われてみれば三保の松原の羽衣伝説から来ているのですね。

また、最近見る、底側に継ぎ目がない缶詰は、プレスして一気に形を作っているようですね。
面白いのは、整形してから印刷するのでは無く、印刷してから整形しているようで、放射状に間延びした印刷がされた整形前の板も展示されていました。
ここでも説明されていますね。
https://www.toyo-seikan.co.jp/product/for-foods-can/drcan.html

三連休の帰りと言うことで、高速道路の渋滞にうんざりしましたが、月がきれいに見えました。



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三重旅行 [旅・出張]

このところ疲れ切っていたにもかかわらず、三連休なので三重県を旅行してみました。
このところ平日が忙しく、土曜日の朝はぐったりとしてしまって、出発が遅れたので、やや不完全燃焼の旅行に。

これまで47都道府県には行ったけれども、47の県庁所在地に入っていない、ということで、まずは最期の地、津へ。

■津

名古屋まで新幹線。仕事では無い東海道新幹線の開放感は良いですね。
スマートEXで予約していたので、新幹線に続いて名古屋でなめらかにSuicaで快速みえに乗り換えたまでは良かったものの、何とJRの津はICカードのエリア外。
車内で精算し、その旨の証明書をもらい、エリア内に戻ったらこれを見せて入場記録をキャンセルしてください、とのこと。
それはそれで良いのですが、JR以外のバスや近鉄はICカードが使えるのに、以降、全て現金払いとなってしまいました。

あと、印象的だったのは名古屋からほとんど起伏が無く、ぺたっとした地形。
津も四日市もとても海抜が低い。

さて、肝心の津は、県庁所在地ではあるものの、駅前も近所で言えば武蔵小金井くらいの賑わい。
三重県立美術館を見てから、街の中心部に出てみました。
街の中心部は津からも隣駅の津新町からも微妙に離れています。
空襲があったせいもあると思いますが、通りは広く、あっさりとした街並み。
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繁華街とされる大門のあたりも最近アーケードも撤去されてしまったらしく、閑散とした感じ。
厳しい。
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津城址、津観音を見てから、うなぎを食べ、バーで飲んで終了。


2日目はレンタカーを借りて南へ。
専修寺(せんじゅじ)の最近国宝となった如来堂、御影堂を見てみました。
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三重県立総合博物館で北海道の名付け親、松浦武四郎の展示、常設展示の三重の地質、生態、歴史を見てから、松阪へ。

■松阪

松阪市立歴史民俗資料館で伊勢の木綿を徳島の藍で染めていた話を見て、天守閣跡、鈴の屋、本居宣長記念館を見てから白から御城番屋敷へ。
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ここは重伝建にはなっていないものの、街並みが残っています。

街の市街も街並み、雰囲気が残っていて、その中の長谷川邸でガイドの説明を受け、松阪商人の家の豪華な作りを見ましたた。
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あと面白いな、と思ったのは、「笑門」のような字が書かれた注連飾りがどの家にも残っていること。
伊勢地域の文化だって、説明されていますね。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/83003046690.htm


■鳥羽

レンタカーを借りたのは、本当は鳥羽や志摩に行きたかったからなのに、出発が遅れていろいろ後ろ倒しになったため、鳥羽でミキモト真珠島を見るだけに。

ただ、伊勢を超えたあたりからぺったりとした地形がリアス式の複雑な海岸線へ急変しており、三重県南部の雰囲気は味わえました。
次の機会ですね。


■四日市

車で津まで戻って津ぎょうざを食べて、近鉄で四日市へ。

ここは、津と違って大都会ですね。
ただ、繁華街は歓楽街といった感じで、日本人、中国人の客引きがとても多く、歩きにくい。
バーをはしごして、ラーメンと餃子とご飯で締め、というだめな人のコースをたどって就寝。
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翌朝、四日市市総合博物館へ行きました。
ここは無料なのに展示は充実しています。
ジオラマがあって、近世の暮らしがわかります。

何と言っても四日市ぜんそくの展示が興味深い。
我々の世代はこれで四日市を知っている訳ですが、展示してある最近教科書を見ると、ほんのちょっとしか取り上げられていません。
日本で深刻な公害があったこと自体、今の日本の子供たちからは想像しにくいのかな、とも思いました。

公害訴訟は9人の原告となりましたが、親戚にも被告企業に勤める被害者が多く、原告集めは苦労したそうです。
ぜんそくの原因は、何か変なものを作っていたと言うより、硫黄分が多い原油を燃やしたことによる亜硫酸ガス。
かなり踏み込んだ判決が出て、中東産の硫黄分が多い原油からの切り替えやLNGへの転換、脱硫技術の導入で1960年代の
公害は、1970年代に入って改善されていきました。
学校の教室に空気清浄機をつけてあった写真や、配られていたマスクが展示されています。
マスクなんて効果があるのでしょうか。


■関宿

最後は電車で関宿へ。
関まで電車で行き、観光案内所で地図をもらって坂を登っていきます。

ここは東海道五十三次の宿場町の街並みが驚くほど残っています。
もちろん、重伝建。
東の追分から、西の追分まで1.8kmの区間、街並みが続きます。
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宿場町だけあって、遊郭だった建物があって、しびれます。
写真だとわかりにくいですが、所々朱色に塗られたりしています。
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ここでも注連飾りが残っている家がありました。
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三重に行くまで知らなかったのですが、東海道って、東海道新幹線のルートと違うんですね。
愛知の宮から桑名まで船で渡り、三重を通って、鈴鹿山脈の北の関ヶ原では無く南を通って滋賀に抜けていました。
実は国道1号線もそのルート。
その鈴鹿山脈の手前にあるのが関宿です。

明治維新後、むしろ宿場町としては栄えたものの、現在の関西本線である鉄道が開通したことで宿場町としての機能を喪失し、国道1号線もほんの少し離れたところ(駅の前)を通ったことによって、この街並みが残りました。
現在では人が住むところが多いものの、所々観光客向けのカフェや土産物屋になっていて、重伝建としては良い感じの玄奘です。
ただ、連休中なのにそれほど観光客は多くないんですよね。他の重伝建もそうですが。みんなもっとくれば良いのに。

鉄道で無人駅の関駅からの名古屋駅の戻り、精算と、Suicaの出場記録の修正を行って、新幹線で東京へ。
関宿はのんびりしていたのに、連休最終日で新幹線は軒並み満席になっており、優雅にグリーン車に乗ってしまいました。







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キューバ・カナダ旅行 [旅・出張]

夏休みはキューバとカナダに行ってきました。

キューバはアメリカ経由では行きにくく、カナダかメキシコを経由するのが一般的。
今回はカナダ経由で、二次元の地図を見ると遠回りのようでいて、実は結構直線で行けます。

■シエンフエゴス

台風をぎりぎりかわして羽田、トロントを経由してハバナへ深夜到着。
そして翌朝にバスでシエンフエゴスへ。

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ここはフランス系の移民が築いた街で、格子状に道が走る街は世界遺産になっています。
新古典主義の建物が多いように思いました。

観光客はいるものの、街中にレストランなど観光客向けの店は少なく、この後どうなるのかと思いました。
とにかく暑く、寝るときも冷房を入れないといけないのに閉口しました。

■トリニダー

さらにバスでトリニダー。
ここも世界遺産、中心部は赤い瓦屋根の家々がよく残されています。

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ここに来ると観光客が極めて多く、中心部にはレストランやバーが並びます。
せっかくなのでロブスターを食べてみました。
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我々観光客が移動するViazul社のバスは中国製でまだましな一方、地元の人が移動しているらしい「乗り物」はあり合わせで作った質素なもの。
この乗り物なんて、路面電車か何かの車輌をトラックに合体させたとしか思えない。
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バスからの車窓は山あり、川あり、森あり、海ありですが、目立つのはサトウキビ畑。
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植民地化され、砂糖生産のためにアフリカから黒人奴隷が連れられてきた歴史を思い起こします。

また、車窓から見える田舎の家は質素な平屋で、決して生活水準が高いようには見えません。


■サンティアゴ・デ・クーバ

さらにバスで、キューバ島東部、キューバ第2の都市サンティアゴ・デ・クーバへ。
ここのモンカダ兵営をカストロらが襲撃したのがは、キューバ革命の始まりと言うことになっています。

商店街が賑わっています。
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ただし、スーパーマーケットのような店を除くとがらんと暗かったりしますし、商品が多い場合も同じ種類の商品が多く並んでいる感じです。

■カマグエイ

バスで西に戻りつつ、キューバ第3の都市カマグエイ。
バスが交通事故で4時間ぐらい遅れて、着いたときは日が変わっていました。

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ここも賑やか。ただ、街の道はもっと複雑に入り組んでいます。

■ハバナ

そしてハバナに戻ってきました。
ここはそれまでの都市よりずっと都会。
観光客やそれ向けの店がとても多く、さらにはブランドものの店までありました。
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そして、飛行機でハバナを発って、カナダのトロントへ。
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■トロント

キューバから来ると、空港でも電車でも、もちろんホテルでもカードが使えて、インターネット接続が出来て天国のようです。

ここから足を延ばしてナイアガラの滝を見てきました。
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トロント自体はこれと行って見所があるわけでもないですが、移民の街で、たくさんの移民街があります。
一番大きいのはもちろん、チャイナタウン。
河西回廊旅行でなつかしの蘭州ラーメンを食べて帰ってきました。
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秋田青森旅行 [旅・出張]

7月の連休に、秋田から青森へと旅行してきました。

秋田も青森も旅行したことがあるので、行っていないところ、見ていないところを中心に回りました。


秋田に飛行機で夕方について、稲庭うどんを食べてからホテルにチェックイン。
川反こそ覗いてみましたが、観光らしい観光はせず、比内地鶏を食べて終了。
街中で大きな虫が飛んでいて、何だろうと思ったらカブトムシの雄でした。
とりあえず、東京より5℃くらい涼しい。

翌日、秋田駅から五リゾートしらかみで出発。
これはローカル線である五能線を走る観光列車で、席や窓の配置も観光向け。
三味線の実演が車内であったりして、飲んでいる人も多いです。
秋田を出発する際は満席。出発前から予約しておいて良かったです。

各駅停車ではなく、主要駅を止まっていきますが、ところどころ景色が良いところでは止まったりします。
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中国人観光客もいて賑やかだった車内も、秋田県から青森県に入り、白神山地を降りると空いてきます。
そして津軽平野に入ると岩木山。
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今回は、太宰治の出身地である金木まで行ってきました。
五所川原駅でリゾートしらかみを降り、ローカル鉄道の津軽鉄道に乗り換えます。
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津軽鉄道はご多分に漏れず過疎で乗降客は減っているようですが、観光列車として力を入れているようで、乗り込むとアテンダントが行き先を聞いて、地図をくれます。金木の地図をもらいました。
また、車内もこの時期は風鈴がいくつも下げられていて、帰りの列車は太宰治の小説からの引用で埋め尽くされていました。

金木(かなぎ)の駅で降りると、何もなく、閉まっている店が何軒かあります。
太宰治の「津軽」では、ある程度賑わった町のように描かれているものの、やはりその後は過疎が進んでいるのでしょうか。ごく最近に閉店したというお知らせがいくつかありました。

まずは駅の近くから旧津島家新座敷へ。
ここは太宰治の兄夫婦のために、もともと津島家の屋敷であった「斜陽館」につなげて建てられたもので、和洋折衷の贅沢な建物。
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太宰の父がすぐに亡くなったために、実際には兄夫婦が使用したのは短期間だったとのこと。
長く生家と関係が途絶えていた太宰治が帰郷して使用し、二番目の妻美知子とも結婚していて落ち着いて創作活動に打ち込んだ場所です。
現在では斜陽館から少し離れたこの場所まで移動されていますが、そもそもこのあたりも津島家の敷地であり、いかに津島家が栄えていたかを感じさせます。
男性が15分ほどで太宰治の小説を手に説明してくれます。
太宰治はその最期や、晩年の人間失格といった作品による暗い印象が強いと思うが、ここで穏やかな精神状態で創作に打ち込んだ時期の作品もあることを知って欲しい、執筆された時期を意識して作品を読むと面白いですよ、とのことでした。
ちなみに、かつては林業で栄え、木が金になるので金木ということです。

続いて斜陽館へ。
ここは旧津島家の本体だった建物。
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まず大きいと言うことに加えて、ヒバがふんだんに利用されています。
派手に装飾された部屋もあり、豪勢な生活をしていたことがわかります。
観光客もこちらはかなり多くなっていました。

そして津軽三味線会館。
ちょうど時間があって、生演奏を聴くことが出来ました。
もともと三味線は目が見えない人が門付けとして演奏するもので、地位も低かったそうです。
そこに仁田坊という演奏者が現れ、現在のスタイルを確立し、地位も向上していきます。
聞く人を引きつけるようにたたきつけるような力強い演奏とし、曲も標準化されていきました。

芦野公園まで歩き、旧駅舎を利用した喫茶店で休んでから津軽鉄道で津軽五所川原駅に戻り、JRで弘前に到着。
弘前は前も来たことがあるので、ホテルに落ち着いたら結局観光せず、夜に飲みに行ったきりでした。
でも、夜の涼しさが素晴らしく、ゆっくりと眠れました。


翌朝は津軽半島の東側、外ヶ浜に行ってみることにしました。
朝、弘前から青森に出て、津軽線で蟹田駅乗り換えで終点の三厩(みんまや)駅まで。
ここからさらに町営のバスで、昼頃に津軽半島の先端、龍飛﨑まで。
せっかく来たのに、(いつものように)天気が悪く、まったく景色が楽しめませんでした。
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また町営のバスで三厩駅まで引き返し、1時間待って再び津軽線で蟹田駅乗り換えて青森まで。
津軽線は1日に五本程度しかなく、乗っている人もカメラを抱えた鉄道マニアらしい人達ばかりでした。
しかし、貨物列車が青函トンネルを通るために津軽線の一部を経由しているらしく、往きも帰りも貨物列車の通過待ちがありました。
森ばかりの景色が開け、新幹線の線路や立体交差した海峡線が見えるところは壮観でした。
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青森で寿司を食べ、最終便の飛行機で羽田に帰りました。
あまりの暑さで羽田空港の滑走路に穴が空いたと言うことでダイヤが乱れており、家に着いたときは日をまたいでいました。
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