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佐渡島旅行 [旅・出張]

国内もいろいろ行って、ここ最近は半島や島への旅行が増えてきています。
10月の連休は佐渡島へ。

島の旅行はやはり時間がかかるので、初日はいつもより早起きして新幹線で新潟へ、新潟からジェットフォイルで両津港へ。
台風が日本海側を通過予定でどうなるかと思っていましたが、無事に佐渡島に上陸できました。

初日はバスで佐渡歴史伝説館、佐渡博物館を回っておしまい。
泊まったホテルの周り、夜は何もありませんでした。

2日目、台風の通過によって、未明に強い風が吹いたようで、朝方はまだ雨がぱらついていました。
船も午前中は欠航していたようで、まさに孤島状態。
この日はレンタカーを借りて、本格的に観光しました。
本当は三日間車を借りようと思っていたのですが、なんとどの会社も満車。
台風のせいでキャンセルが出たのか、直前に見たらこの1日だけ借りられました。

まずは西三川ゴールドパークへ。
佐渡は金山が有名ですが、金が出るところはいくつかあり、この西三川は砂金がとれたところ。
昔、買い付けた野菜の土に砂金が着いているのに気付いた男が畑を買った話など、面白い話があります。
最後に砂金とりの体験コーナーがあります。
本物の川砂が用意されているそうで、これを水の中で揺すって軽い砂を減らしていきます。
見せてくれたお手本のようにはとても行きませんが、いくつかとれて記念品に。

さらに佐渡島南西の小木半島に向かいます。
途中で真言宗の蓮華峰寺を見ましたが、他に誰もいませんでした。
矢島・経島も誰もいませんでした。
船が欠航しているせいで、近隣からの観光客がいないせいかも。

そしていよいよハイライトの宿根木へ。
ここは重要伝統的建造物保存地区になっている集落です。

宿根木の入口の佐渡国小木民俗博物館・千石船展示館へ。
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千石船展示館の名の通り、巨大な千石船を船大工たちによって復元し、なんと中にも入ることが出来ます。
隣接している学校を改良した博物館も古い生活用具を並べていて、雰囲気がありました。

そしていよいよ宿根木の集落へ。
入江にある川の河口の狭い範囲に家が密集して、周囲は段丘上に高低差があるため、山道のような階段を降りていきます。
すると、突然タイムスリップしたような町が現れます。
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もちろん、生活している人がいるわけですが、いくつかの家屋は公開されており、三角屋、清九郎、金子屋を順番に見ました。

三角屋は違う地区で建てられた四角い家を移築したというもの。
おばあちゃんが長く住んでいましたが、高齢になって転居したため後悔されるようになりました。
もともと四角かった家を、三角にしてここに移築したと言うことで、内部はなんとも不思議な作りです。

清九郎は豪勢な家で、簡単に説明してくれました。
入ると囲炉裏がある間があり、吹き抜け。
寝る場所はちょっと高くなっていて、鼠返しがある。
白川郷の家とちょっと似た配置。
けやきの一枚板、一本の柱など贅沢で、釘隠しまであった。
窓の開け閉めは滑車で出来て、このあたりは船の技術でしょうか。
石で押さえた石置木羽葺屋根と呼ばれる屋根です。
向かいの蔵は板で囲われており、能登の黒島の鞘蔵と同じ。

金子屋も同じような配置でした。
全般的に外見は古びた木で質素ですが、中は豪勢。
外観の木材なども含めて、船で使われた丈夫なものを再利用しているそうです。
また、集落内を流れる川にかかった石は尾道のものだったりするそうです。

最後に井戸の横を登って段丘の上から見ると、街を一望できます。
一段下がった狭い地域に住宅が密集していることがわかります。
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昼食を摂って宿根木を発ち、ここから大きく北部の相川まで移動して、佐渡奉行所。
これは復元されたもので、バスで来ていたツアー客と一緒にガイドを受けました。

このあたりと金山の間には今こそ車道が走っていますが、並行して当時の街並みが京町として残っています。
時間が無いので、ほんの一瞬だけ見て、自分の影と一緒に写真を撮りました。
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そして、北ルートとは別に、佐渡金山の横を通って大佐渡スカイラインで両津に戻りました。
紅葉にはちょっと早い。
夕暮れの展望を楽しみにしていたのに、一番上はガスが出ていて、結局いつもの展望に・・・。
雨男過ぎる。
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両津の夷町(えびすちょう)に出て、三軒はしごして、この日はおしまい。
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最終日は、二日酔いで1時間近く起きられませんでした。
この日はバスで佐渡金山へ。
今では坑道も人形がおかれてすっかり観光地でした。
初期の露天掘りの跡が、道遊の割戸として残っています。
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佐渡金山って、平成元年まで掘っていたんですね。
江戸時代は、それはそれは労働集約的な方法で鉱石から金の純度を高めていって小判にしていました。
金山とは言うもののの、その何倍も銀が採れるので、まずは金銀を鉛の合金として取り出し、さらに銀と金を分離します。
地盤が固い佐渡金山ではタガネも1-2日でだめになってしまったそうで、採掘には道具を作る技術が必要とされますし、土木技術や排水技術も必要です。
結果として多くの技術がこの地に集まっていて、棚田が作られた技術のベースにもなっているそうです。


バスを乗り換えて両津港に戻り、ジェットフォイルで新潟へ。
新幹線で東京に戻りました。
12時過ぎに金山を出たのに、家を着いたのは19時頃でした。

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静岡旅行 [旅・出張]

この9月は良いか悪いか祝日がばらけていて三連休2回、後半は静岡に行ってきました。
本当はもっと西に行くつもりだったのですが、初日に東京を離れられなくなってしまったので、2日目、3日目に一泊2泊となってしまいました。

車で静岡まで行って、静岡県立美術館で「幕末狩野派展」。
地方の美術館は、空いていてゆっくり見られて本当に良いです。
東京は美術館や博物館はたくさんあるものの、いつも人をかき分けてみている感じで、恵まれているのか恵まれていないのかわからなくなることがあります。

ちょっと夜の街を歩いて見たところ、静岡は駅からの中心街が賑やかで、シャッター街にはなっていません。
電線が地中化されていて、歩いている人も多い。
歓楽街のようになっている一角もあるののの、しゃれた店も多く、若者も多い。

いろいろ見て見たかったのですが、前日までの疲れが出て、ホテルで寝てしまいました。

翌朝、駿府城公園まで行き、県庁21階の展望台まで行って見ました。
シャツが汗びっしょりになるほど暑いのに、富士山は雲をかぶって見えず。

諦めて、車で日本平ロープウェイまで行って、久能山東照宮に行きました。
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ここは徳川家康が死後に埋葬され、祀られた神社。
日光東照宮が出来たのは、一周忌後です。

昔は歩いて登るしか無く、実際、神主さんたちは今でも毎日歩いて通勤しているそうです。
しかし、観光客はロープウェイで一直線。
便利なものです。

ロープウェイ乗り場には展望台があり、工事中でしたが、清水らしき街がよく見えました。
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さらに足を延ばして(といっても静岡市内ですが)、三保の松原。
羽衣伝説とともに、世界遺産アピールが目立ち、もうすぐビジターセンターが出来るようです。
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そして、最後は清水港のフェールケール博物館。
清水港の博物館と言うことで、湊がどのように発達してきたのかよくわかります。
昔はもっと内側の湊だったのに、向島がどんどん大きくなり、最後は地震で隆起してしまったので、向島の外側に港を移したのが今の清水港になります。

博物館には小さな缶詰博物館も併設されています。
ここの地味に面白かった。
ツナ缶などの輸出で清水は大いに発展しました。
「はごろもフーズ」って、清水由来。
言われてみれば三保の松原の羽衣伝説から来ているのですね。

また、最近見る、底側に継ぎ目がない缶詰は、プレスして一気に形を作っているようですね。
面白いのは、整形してから印刷するのでは無く、印刷してから整形しているようで、放射状に間延びした印刷がされた整形前の板も展示されていました。
ここでも説明されていますね。
https://www.toyo-seikan.co.jp/product/for-foods-can/drcan.html

三連休の帰りと言うことで、高速道路の渋滞にうんざりしましたが、月がきれいに見えました。



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三重旅行 [旅・出張]

このところ疲れ切っていたにもかかわらず、三連休なので三重県を旅行してみました。
このところ平日が忙しく、土曜日の朝はぐったりとしてしまって、出発が遅れたので、やや不完全燃焼の旅行に。

これまで47都道府県には行ったけれども、47の県庁所在地に入っていない、ということで、まずは最期の地、津へ。

■津

名古屋まで新幹線。仕事では無い東海道新幹線の開放感は良いですね。
スマートEXで予約していたので、新幹線に続いて名古屋でなめらかにSuicaで快速みえに乗り換えたまでは良かったものの、何とJRの津はICカードのエリア外。
車内で精算し、その旨の証明書をもらい、エリア内に戻ったらこれを見せて入場記録をキャンセルしてください、とのこと。
それはそれで良いのですが、JR以外のバスや近鉄はICカードが使えるのに、以降、全て現金払いとなってしまいました。

あと、印象的だったのは名古屋からほとんど起伏が無く、ぺたっとした地形。
津も四日市もとても海抜が低い。

さて、肝心の津は、県庁所在地ではあるものの、駅前も近所で言えば武蔵小金井くらいの賑わい。
三重県立美術館を見てから、街の中心部に出てみました。
街の中心部は津からも隣駅の津新町からも微妙に離れています。
空襲があったせいもあると思いますが、通りは広く、あっさりとした街並み。
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繁華街とされる大門のあたりも最近アーケードも撤去されてしまったらしく、閑散とした感じ。
厳しい。
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津城址、津観音を見てから、うなぎを食べ、バーで飲んで終了。


2日目はレンタカーを借りて南へ。
専修寺(せんじゅじ)の最近国宝となった如来堂、御影堂を見てみました。
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三重県立総合博物館で北海道の名付け親、松浦武四郎の展示、常設展示の三重の地質、生態、歴史を見てから、松阪へ。

■松阪

松阪市立歴史民俗資料館で伊勢の木綿を徳島の藍で染めていた話を見て、天守閣跡、鈴の屋、本居宣長記念館を見てから白から御城番屋敷へ。
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ここは重伝建にはなっていないものの、街並みが残っています。

街の市街も街並み、雰囲気が残っていて、その中の長谷川邸でガイドの説明を受け、松阪商人の家の豪華な作りを見ましたた。
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あと面白いな、と思ったのは、「笑門」のような字が書かれた注連飾りがどの家にも残っていること。
伊勢地域の文化だって、説明されていますね。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/83003046690.htm


■鳥羽

レンタカーを借りたのは、本当は鳥羽や志摩に行きたかったからなのに、出発が遅れていろいろ後ろ倒しになったため、鳥羽でミキモト真珠島を見るだけに。

ただ、伊勢を超えたあたりからぺったりとした地形がリアス式の複雑な海岸線へ急変しており、三重県南部の雰囲気は味わえました。
次の機会ですね。


■四日市

車で津まで戻って津ぎょうざを食べて、近鉄で四日市へ。

ここは、津と違って大都会ですね。
ただ、繁華街は歓楽街といった感じで、日本人、中国人の客引きがとても多く、歩きにくい。
バーをはしごして、ラーメンと餃子とご飯で締め、というだめな人のコースをたどって就寝。
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翌朝、四日市市総合博物館へ行きました。
ここは無料なのに展示は充実しています。
ジオラマがあって、近世の暮らしがわかります。

何と言っても四日市ぜんそくの展示が興味深い。
我々の世代はこれで四日市を知っている訳ですが、展示してある最近教科書を見ると、ほんのちょっとしか取り上げられていません。
日本で深刻な公害があったこと自体、今の日本の子供たちからは想像しにくいのかな、とも思いました。

公害訴訟は9人の原告となりましたが、親戚にも被告企業に勤める被害者が多く、原告集めは苦労したそうです。
ぜんそくの原因は、何か変なものを作っていたと言うより、硫黄分が多い原油を燃やしたことによる亜硫酸ガス。
かなり踏み込んだ判決が出て、中東産の硫黄分が多い原油からの切り替えやLNGへの転換、脱硫技術の導入で1960年代の
公害は、1970年代に入って改善されていきました。
学校の教室に空気清浄機をつけてあった写真や、配られていたマスクが展示されています。
マスクなんて効果があるのでしょうか。


■関宿

最後は電車で関宿へ。
関まで電車で行き、観光案内所で地図をもらって坂を登っていきます。

ここは東海道五十三次の宿場町の街並みが驚くほど残っています。
もちろん、重伝建。
東の追分から、西の追分まで1.8kmの区間、街並みが続きます。
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宿場町だけあって、遊郭だった建物があって、しびれます。
写真だとわかりにくいですが、所々朱色に塗られたりしています。
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ここでも注連飾りが残っている家がありました。
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三重に行くまで知らなかったのですが、東海道って、東海道新幹線のルートと違うんですね。
愛知の宮から桑名まで船で渡り、三重を通って、鈴鹿山脈の北の関ヶ原では無く南を通って滋賀に抜けていました。
実は国道1号線もそのルート。
その鈴鹿山脈の手前にあるのが関宿です。

明治維新後、むしろ宿場町としては栄えたものの、現在の関西本線である鉄道が開通したことで宿場町としての機能を喪失し、国道1号線もほんの少し離れたところ(駅の前)を通ったことによって、この街並みが残りました。
現在では人が住むところが多いものの、所々観光客向けのカフェや土産物屋になっていて、重伝建としては良い感じの玄奘です。
ただ、連休中なのにそれほど観光客は多くないんですよね。他の重伝建もそうですが。みんなもっとくれば良いのに。

鉄道で無人駅の関駅からの名古屋駅の戻り、精算と、Suicaの出場記録の修正を行って、新幹線で東京へ。
関宿はのんびりしていたのに、連休最終日で新幹線は軒並み満席になっており、優雅にグリーン車に乗ってしまいました。







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キューバ・カナダ旅行 [旅・出張]

夏休みはキューバとカナダに行ってきました。

キューバはアメリカ経由では行きにくく、カナダかメキシコを経由するのが一般的。
今回はカナダ経由で、二次元の地図を見ると遠回りのようでいて、実は結構直線で行けます。

■シエンフエゴス

台風をぎりぎりかわして羽田、トロントを経由してハバナへ深夜到着。
そして翌朝にバスでシエンフエゴスへ。

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ここはフランス系の移民が築いた街で、格子状に道が走る街は世界遺産になっています。
新古典主義の建物が多いように思いました。

観光客はいるものの、街中にレストランなど観光客向けの店は少なく、この後どうなるのかと思いました。
とにかく暑く、寝るときも冷房を入れないといけないのに閉口しました。

■トリニダー

さらにバスでトリニダー。
ここも世界遺産、中心部は赤い瓦屋根の家々がよく残されています。

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ここに来ると観光客が極めて多く、中心部にはレストランやバーが並びます。
せっかくなのでロブスターを食べてみました。
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我々観光客が移動するViazul社のバスは中国製でまだましな一方、地元の人が移動しているらしい「乗り物」はあり合わせで作った質素なもの。
この乗り物なんて、路面電車か何かの車輌をトラックに合体させたとしか思えない。
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バスからの車窓は山あり、川あり、森あり、海ありですが、目立つのはサトウキビ畑。
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植民地化され、砂糖生産のためにアフリカから黒人奴隷が連れられてきた歴史を思い起こします。

また、車窓から見える田舎の家は質素な平屋で、決して生活水準が高いようには見えません。


■サンティアゴ・デ・クーバ

さらにバスで、キューバ島東部、キューバ第2の都市サンティアゴ・デ・クーバへ。
ここのモンカダ兵営をカストロらが襲撃したのがは、キューバ革命の始まりと言うことになっています。

商店街が賑わっています。
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ただし、スーパーマーケットのような店を除くとがらんと暗かったりしますし、商品が多い場合も同じ種類の商品が多く並んでいる感じです。

■カマグエイ

バスで西に戻りつつ、キューバ第3の都市カマグエイ。
バスが交通事故で4時間ぐらい遅れて、着いたときは日が変わっていました。

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ここも賑やか。ただ、街の道はもっと複雑に入り組んでいます。

■ハバナ

そしてハバナに戻ってきました。
ここはそれまでの都市よりずっと都会。
観光客やそれ向けの店がとても多く、さらにはブランドものの店までありました。
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そして、飛行機でハバナを発って、カナダのトロントへ。
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■トロント

キューバから来ると、空港でも電車でも、もちろんホテルでもカードが使えて、インターネット接続が出来て天国のようです。

ここから足を延ばしてナイアガラの滝を見てきました。
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トロント自体はこれと行って見所があるわけでもないですが、移民の街で、たくさんの移民街があります。
一番大きいのはもちろん、チャイナタウン。
河西回廊旅行でなつかしの蘭州ラーメンを食べて帰ってきました。
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秋田青森旅行 [旅・出張]

7月の連休に、秋田から青森へと旅行してきました。

秋田も青森も旅行したことがあるので、行っていないところ、見ていないところを中心に回りました。


秋田に飛行機で夕方について、稲庭うどんを食べてからホテルにチェックイン。
川反こそ覗いてみましたが、観光らしい観光はせず、比内地鶏を食べて終了。
街中で大きな虫が飛んでいて、何だろうと思ったらカブトムシの雄でした。
とりあえず、東京より5℃くらい涼しい。

翌日、秋田駅から五リゾートしらかみで出発。
これはローカル線である五能線を走る観光列車で、席や窓の配置も観光向け。
三味線の実演が車内であったりして、飲んでいる人も多いです。
秋田を出発する際は満席。出発前から予約しておいて良かったです。

各駅停車ではなく、主要駅を止まっていきますが、ところどころ景色が良いところでは止まったりします。
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中国人観光客もいて賑やかだった車内も、秋田県から青森県に入り、白神山地を降りると空いてきます。
そして津軽平野に入ると岩木山。
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今回は、太宰治の出身地である金木まで行ってきました。
五所川原駅でリゾートしらかみを降り、ローカル鉄道の津軽鉄道に乗り換えます。
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津軽鉄道はご多分に漏れず過疎で乗降客は減っているようですが、観光列車として力を入れているようで、乗り込むとアテンダントが行き先を聞いて、地図をくれます。金木の地図をもらいました。
また、車内もこの時期は風鈴がいくつも下げられていて、帰りの列車は太宰治の小説からの引用で埋め尽くされていました。

金木(かなぎ)の駅で降りると、何もなく、閉まっている店が何軒かあります。
太宰治の「津軽」では、ある程度賑わった町のように描かれているものの、やはりその後は過疎が進んでいるのでしょうか。ごく最近に閉店したというお知らせがいくつかありました。

まずは駅の近くから旧津島家新座敷へ。
ここは太宰治の兄夫婦のために、もともと津島家の屋敷であった「斜陽館」につなげて建てられたもので、和洋折衷の贅沢な建物。
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太宰の父がすぐに亡くなったために、実際には兄夫婦が使用したのは短期間だったとのこと。
長く生家と関係が途絶えていた太宰治が帰郷して使用し、二番目の妻美知子とも結婚していて落ち着いて創作活動に打ち込んだ場所です。
現在では斜陽館から少し離れたこの場所まで移動されていますが、そもそもこのあたりも津島家の敷地であり、いかに津島家が栄えていたかを感じさせます。
男性が15分ほどで太宰治の小説を手に説明してくれます。
太宰治はその最期や、晩年の人間失格といった作品による暗い印象が強いと思うが、ここで穏やかな精神状態で創作に打ち込んだ時期の作品もあることを知って欲しい、執筆された時期を意識して作品を読むと面白いですよ、とのことでした。
ちなみに、かつては林業で栄え、木が金になるので金木ということです。

続いて斜陽館へ。
ここは旧津島家の本体だった建物。
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まず大きいと言うことに加えて、ヒバがふんだんに利用されています。
派手に装飾された部屋もあり、豪勢な生活をしていたことがわかります。
観光客もこちらはかなり多くなっていました。

そして津軽三味線会館。
ちょうど時間があって、生演奏を聴くことが出来ました。
もともと三味線は目が見えない人が門付けとして演奏するもので、地位も低かったそうです。
そこに仁田坊という演奏者が現れ、現在のスタイルを確立し、地位も向上していきます。
聞く人を引きつけるようにたたきつけるような力強い演奏とし、曲も標準化されていきました。

芦野公園まで歩き、旧駅舎を利用した喫茶店で休んでから津軽鉄道で津軽五所川原駅に戻り、JRで弘前に到着。
弘前は前も来たことがあるので、ホテルに落ち着いたら結局観光せず、夜に飲みに行ったきりでした。
でも、夜の涼しさが素晴らしく、ゆっくりと眠れました。


翌朝は津軽半島の東側、外ヶ浜に行ってみることにしました。
朝、弘前から青森に出て、津軽線で蟹田駅乗り換えで終点の三厩(みんまや)駅まで。
ここからさらに町営のバスで、昼頃に津軽半島の先端、龍飛﨑まで。
せっかく来たのに、(いつものように)天気が悪く、まったく景色が楽しめませんでした。
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また町営のバスで三厩駅まで引き返し、1時間待って再び津軽線で蟹田駅乗り換えて青森まで。
津軽線は1日に五本程度しかなく、乗っている人もカメラを抱えた鉄道マニアらしい人達ばかりでした。
しかし、貨物列車が青函トンネルを通るために津軽線の一部を経由しているらしく、往きも帰りも貨物列車の通過待ちがありました。
森ばかりの景色が開け、新幹線の線路や立体交差した海峡線が見えるところは壮観でした。
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青森で寿司を食べ、最終便の飛行機で羽田に帰りました。
あまりの暑さで羽田空港の滑走路に穴が空いたと言うことでダイヤが乱れており、家に着いたときは日をまたいでいました。
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マルタ語学研修(ダイジェスト) [旅・出張]

ばたばたして少し時間が経ってしまいましたが、ゴールデンウィークは地中海の島国、マルタに行ってきました。

マルタは長くイギリス統治下にあったこと、物価が安いことから英語学校があることで有名で、半分観光ではありますが、一週間英語学校に入ってみました。

授業は半日、そして5/1は祝日だったので、それなりに観光もしました。
マルタは本島とゴゾ島、そしてとても小さなコミノ島からなります。
本島でも淡路島や東京23区の半分くらいの大きさで、比較的簡単に見て回れます。

島の海岸線は変化に富んでいて、Blue Grottoという洞門があり、ボートで中まで行くことができます。
地中海の青はなんとも言えないですね。
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マルサシュロックという港町も観光地となっており、目が描かれたカラフルな船があり、新鮮な魚が食べられます。
のんびりした港町と思いきや、冷戦終了のマルタ会談が行われた地でもあります。
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エムディーナは、バレッタに首都が移る前の旧都。
夜に訪問したところ、雰囲気抜群。首のない花嫁姿の少女が現れるという伝説があります・・・。
マルタ騎士団が築いた街であり、ロードス島に似ていますね。
冬のように寒かったのもきつかった。
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エムディーナは島の真ん中に位置していて、海賊対策だったとか。
島で二番目の高台にあるため、夜景もきれいでした。

そして、世界遺産のバレッタ。
とても複雑な海岸線になっていて、細長い半島のようになっているのがバレッタ旧市街。
対岸から見ると、長崎の軍艦島を思い出します。
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中に入ればマンハッタンのように縦横に道が区画されています。
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聖ヨハネ大聖堂はもともと質素な教会として建てた後、バロックの装飾が内部に施されたため、外から見ると地味、中は派手派手という教会。
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さらに、マルタには紀元前の巨石神殿群が残されており、これも世界遺産になっています。
紀元前4500-2000年頃と言われる割には保存状態が良いです。
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小さな島国マルタ。
シチリアのすぐ近くにありながら、現地の言葉はマルタ語。イタリア語等からの借用語が多く、ラテン文字で記述するものの基本的にはアラビア語なんだそうです。
街中にはクレーンが立ち並んで建設ラッシュ。
人口も急増していて、小さいながら元気な国です。
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島原佐賀旅行 [旅・出張]

ようやく年度が開け、1月以来の旅行です。

すべての都道府県には行っているものの、すべての県庁所在地には行ったことはありません。
そこで、行ったことがない佐賀に行こうと思い立ち、ついでに島原半島も行ってみようとしたら、島原半島がメインになってしまいました。

■島原

まずは島原へ。

羽田から長崎空港へ。
実は長崎空港も初めてです。以前に長崎に行ったとき、長崎空港から帰ってこようと思ったら、北海道の雪の影響で福岡空港を経由する羽目になったことがありました。
飛行機の中からは、例の諫早の河口堰が見えました。

長崎空港でうどんを食べてから、バスで諫早へ。
バスの車窓から何か平行して建設していると思ったら、長崎新幹線(九州新幹線西九州ルート)ですね。
諫早駅も新幹線乗り入れに向けて工事中でした。
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諫早でバスから島原鉄道に乗り換えて、島原へ。
ホテルにチェックインして、まずは島原城。
維新後に取り壊されたものを鉄筋コンクリートで再建したもので、現在は博物館になっています。
もともと立派な城で、これを無理に作って負担を領民に強いたことが島原の乱を招いたという話もあるようです。

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天守閣の裏には北村西望という彫刻家の展示があり、知らなかったのですが、長崎の平和祈念像、三鷹駅の武蔵野市世界連邦平和像を作った人で、武蔵野市の名誉市民だそうです。

島原城の裏に行くと、武家屋敷があります。
ここは重伝建になっている訳でもなく、現代的な家や、空き家が目立ちます。
むしろ、舗装されておらず、生活用水としていた水路が残っている全体の雰囲気が残されているといったことのようです。
水路では子供達が沢ガニを捕っていました。
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武家屋敷の通りの奥に、さかきばら郷土資料館があります。
終了時間が近く、照明も落とされていたのでやっていないのかと思ったら、電気をつけてくれ、年配の女性が丁寧に説明をしてくれました。
島原といえば1792年の島原大変肥後迷惑。
しかし、島原藩は翌年の1973年に藩校を開校し、人造りに努めたそうです。
そして、ここで今年初めて蚊に刺された。

初日はその後、街をざーっと見て、ガンバ寿司、具雑煮、寒ざらしなどを食べて、ウイスキーを飲んで終了。

翌朝、朝一番に湧水庭園の四明荘。
明治に医師が作った別荘とのことで、鯉が泳ぐ池に張り出した屋敷。
ここに限らず、島原は湧水が多く、錦鯉が泳いでいたりします。
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さらに、バスで雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」へ。
「がまだす」というのは島原の言葉で「頑張る」という意味だそうです。
ここはジオラマ、映像、資料等を使って、1792年の島原大変肥後迷惑、1990-1996年の平成大噴火について紹介しています。
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1792年島原大変肥後迷惑では、噴火と共に眉山(まゆやま)の一部が崩壊して海に流れ込んで津波を引き起こし、1万5千人が亡くなるという大災害を引き起こしました。

そして、平成大噴火では1990年6月3日の火砕流で、43名の死者を出してしまいます。
大学生から新社会人の頃でうっすらとした記憶にありませんが、大変な状況だったのですね。

そもそもこの「がまだすドーム」や隣接したアリーナが建てられている場所は、平成大噴火の後の復興で火山灰を埋め立てて作られた土地で、「平成町」と呼ばれています。
アリーナにはサムライブルーの坂本龍馬が立ち、背景には眉山が見えます。
眉山のえぐられたように見えるところが、1792年の島原大変肥後迷惑で崩壊した部分です。
島原大変肥後迷惑のときに崩壊した土砂、そして平成の復興のための埋め立てが行われたため、山から海が結構離れているように見えます。
平成大噴火では逆に、眉山が雲仙岳からの火砕流の壁にもなりました。
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■口之津

もともと島原の後は佐賀に移動しようと思っていましたが、計画を変えてさらに南下して口之津へ。
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ここでは口之津歴史民俗資料館・海の資料館を見ました。
この小さな口之津、なかなか激動の歴史です。

有明湾の入口に位置した港のため、南蛮船が頻繁に入港してキリスト教布教と南蛮貿易の拠点となり、住民もキリスト教になります。
そして、島原の乱が起こり、住民はほぼ全滅。
その後、讃岐の小豆島から移民をさせて復興させます。

維新後は三井三池炭鉱の輸出港として大発展。
有明海は浅いので小さな船で口之津まで運び、大きな船に積み替えて輸出していました。
そして、貧しい島原や天草の娘達が「からゆきさん」として石炭と共に「輸出」されていったという悲しい歴史もあります。
タンザニアのザンジバルでからゆきさんが働いていた場所を訪れたことがあり、感慨深いものがあります。
この頃は遊郭もできるなど大いに賑やかになり、人手が足りないので南西諸島の与論島からこれまた移住させています。


その後、1908年に三池港が開港すると口之津港を経由する必要がなくなり衰退、現在に到ります。

今では、かつてを感じさせるものも全くない、小さな港町です。
歩いていても静かで、たまに車が通るくらい。
しかし、こうしたところを歩くことこそ旅情かも知れないですね。
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その後、バスで諫早へ。
ここまで来ると島原に戻るより反対側を回って諫早に出た方が早く、結局島原半島を一周してしまいました。

■佐賀

諫早から佐賀に着いたのは夕方で、佐賀牛を食べて、バーでウイスキーを飲んでおしまい。
翌朝には帰途についてしまったので、本当は佐賀がメインのはずだったのに、泊まるだけになってしまいました。
夜の街の雰囲気は感じられましたが。

まあ、全部見てしまうより、あそこも見たかった、というところを残しておくのがまた来る理由になる、と思える程度には心の余裕ができました。最近。


短期間のリハビリのような旅でしたが、普段見ないようなものを見て、普段話さないような人と話し、自分が普段住んでいる世界は本当に一部に過ぎないんだ、ということを思い出すことができました。



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群馬県立歴史博物館・群馬県立近代美術館 [旅・出張]

貴重な休み、何をしようかと考えた結果、晴れてはいるけども風が強く寒いので、群馬県立歴史博物館に行ってきました。

昨年末に前橋旅行をしましたが、年末なので軒並み施設は閉まっていたし、そもそも群馬県立の施設は高崎に集まっていたりするので、復習です。
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各地域の歴史博物館を見て面白いのは、それぞれの地域で「売り」にしているというか、大切にされている出来事がそれぞれ違うことです。

北海道であれば開拓時代、新潟県なら新潟平野の水との戦い、山口県や鹿児島県は明治維新あたりでしょうか。
それぞれの江戸自体の藩主に重点を置いている地域もありますね。

群馬県立歴史博物館では、どの地域もまんべんなく取りあげられてはいましたが、旧石器時代の岩宿、そして古墳が多いということで古墳時代あたりに、やはり力が入っているでしょうか。
1783年の浅間山噴火もありました。火山灰が積もった土地で、どうやって水田を回復したかの説明もありました。
あとは新田義貞、富岡製糸場、SUBARUもありました。


となりには群馬県立近代美術館もあって、ついでに?見てきました。
たまたまMIHO MUSEUMのオリエントの展示があって、(人が少なかったけど)ラッキーでした。
その土地の画家を取り上げて、というのはありましたが、「近代」美術館ということで、西洋画はフランスの19世紀末あたりに偏っているかな、という印象でした。宗教画とか、ルネサンス、フランドルの絵はないです。

時間も値段もあまり変わらなそうだったので車で行きましたが、帰りは事故が多く、ちょっと時間がかかりました。







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和歌山旅行 [旅・出張]

毎年成人の日の連休は国内旅行。
今年はカレンダーの都合で、まだ年末年始の休みの続きみたいですね。

これまで国内旅行で行ったところを地図で眺めてみると、紀伊半島が手薄。
ただ、範囲が広く、東京からの往復も含めて交通の便が良いところではなく、1回で行くことは難しそうなので、まずは和歌山県側です。

■南紀白浜

マイレージで予約した飛行機はあまり良い時間がとれなくて、夕方に南紀白浜空港へ。
飛行機の中からはきれいな夕陽が見えましたが、空港に着陸したときは夜。
東京便は1日3便あるものの、最後の便に接続する公共交通機関はなく、真っ暗な中をタクシーでホテルへ。

翌日にホテルをチェックアウトして、自転車を借りて、回ってみました。
快適ではあるものの、結構起伏があり、自転車のサイズも体に合っていないので、きつい。まあ、一番は運動不足でしょうけども。

紀伊半島の地形は独特で、千畳敷はミルフィーユのような地層が海に侵食されています。
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三段壁(さんだんべき)は、柱状節理で絶壁。
さらに地下に洞窟があり、熊野水軍が隠れる場所として使っていたという伝説があります。
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夕陽で有名な円月島のあたりは、魚釣りをする人、ダイビングをする人、ウインドサーフィンをする人で賑わっていました。
関西からは、東京からで言えば、伊豆半島みたいな位置づけでしょうか。
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ここあたりから、対岸の四国が見えました。
かつて舟運が中心だった頃は、意外に四国とも近かったのかも。

観光地ではあるものの、自転車で一周してみると寂れた建物も目につき、特に白浜駅前は廃墟のようなビルがありました。
夜もスナックが集まる場所はあるものの、あまり賑やかではないですね。
白浜って、多分子供の頃に両親に連れられて旅行に聞いたことがあるんですよね。
記憶が曖昧だし、両親も亡くなっているので確かめようがないですけども。

パンダも見ずに和歌山へ。


■和歌山

和歌山は以前に出張できたことはありますが、観光で来るのは初めて。
ただし、特急で和歌山に着いたのは夕方で、観光をする時間はほとんどなし。

夜の街を歩いてみました。

和歌山の街は南海の和歌山市駅と、JRの和歌山駅の間に広がっていますが、駅が離れているせいか、盛り上がりがないまま、ぽつぽつと広がっている感じです。

かつて賑やかだったというぶらくり横丁も夜のせいだとしても閑散としています。
1980年代以降急速に衰退したようですね。
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和歌山駅からのメインストリート、けやき大通りは6車線、8車線もあり、やたら広い。
これはかつて路面電車が走っていた名残でしょうか。
全体的に道はやたら広く、碁盤の目になっていて、空襲の影響かとも思いましたが、少なくとも和歌山城周辺は城下町の区画の名残でもあるように感じました。

街のシンボルは和歌山城。夜はライトアップされます。
中心部の小高い虎伏山(とらふすやま)にそびえていますが、これはコンクリート製の再建。
維新後も現存して国宝となっていたものの、和歌山大空襲で消失してしまいました。
ホテルをチェックアウトした朝、大急ぎで見学して、東京に戻ってきました。

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前橋旅行 [旅・出張]

今年は卒業研究もあったりして、あまり旅行は出来ませんでした。
年末年始はどこに行くの?とも聞かれましたが、年末年始は大人しくしていることも多いんですよね。
ということで、どうしようか迷ったのですが、一泊だけのプチ旅行をしてきました。

夕方にホテルを予約して、そのまま車で前橋まで。
ちなみに前橋は、「まばし」ではなく、前橋市と言うときのように、平板に「まえばし」と発音します。
Wikipediaを読んで、知ってはいましたが、本当に現地の人はそう発音していました。

繁華街まで歩き、ステーキを食べて、バーで軽く飲みました。
繁華街は、キャバクラのような風俗店が多く、男性の人通りは多いものの、旅行者にはどうも馴染みにくい街ですね。
あと、寒い!
夜なのに冷たい風が吹き、冷蔵庫の中にいるようです。

翌日は、目立って高層の群馬県庁32Fの展望台へ。
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前橋ってあんまり高い建物はないですね。
1945年8月5日に空襲があったそうです。
それもあってか、古い建物も少ないです。

中心部を歩いてみましたが、ご多分に漏れず、商店街は厳しい状況です。
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これでもまだ人がいる方で、前の晩に歩いた際は誰も人がおらず、ひっそりとしていました。

前橋カトリック教会などありますが、年末でもあり、訪問するところも限られていて、とりめしを食べて帰りました。
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47都道府県はすべて行っているのですが、実は県庁所在地は全部行っていません。
前橋に行って、一つつぶしました。
後は、佐賀と津ですかね。

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