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マルタ語学研修(ダイジェスト) [旅・出張]

ばたばたして少し時間が経ってしまいましたが、ゴールデンウィークは地中海の島国、マルタに行ってきました。

マルタは長くイギリス統治下にあったこと、物価が安いことから英語学校があることで有名で、半分観光ではありますが、一週間英語学校に入ってみました。

授業は半日、そして5/1は祝日だったので、それなりに観光もしました。
マルタは本島とゴゾ島、そしてとても小さなコミノ島からなります。
本島でも淡路島や東京23区の半分くらいの大きさで、比較的簡単に見て回れます。

島の海岸線は変化に富んでいて、Blue Grottoという洞門があり、ボートで中まで行くことができます。
地中海の青はなんとも言えないですね。
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マルサシュロックという港町も観光地となっており、目が描かれたカラフルな船があり、新鮮な魚が食べられます。
のんびりした港町と思いきや、冷戦終了のマルタ会談が行われた地でもあります。
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エムディーナは、バレッタに首都が移る前の旧都。
夜に訪問したところ、雰囲気抜群。首のない花嫁姿の少女が現れるという伝説があります・・・。
マルタ騎士団が築いた街であり、ロードス島に似ていますね。
冬のように寒かったのもきつかった。
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エムディーナは島の真ん中に位置していて、海賊対策だったとか。
島で二番目の高台にあるため、夜景もきれいでした。

そして、世界遺産のバレッタ。
とても複雑な海岸線になっていて、細長い半島のようになっているのがバレッタ旧市街。
対岸から見ると、長崎の軍艦島を思い出します。
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中に入ればマンハッタンのように縦横に道が区画されています。
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聖ヨハネ大聖堂はもともと質素な教会として建てた後、バロックの装飾が内部に施されたため、外から見ると地味、中は派手派手という教会。
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さらに、マルタには紀元前の巨石神殿群が残されており、これも世界遺産になっています。
紀元前4500-2000年頃と言われる割には保存状態が良いです。
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小さな島国マルタ。
シチリアのすぐ近くにありながら、現地の言葉はマルタ語。イタリア語等からの借用語が多く、ラテン文字で記述するものの基本的にはアラビア語なんだそうです。
街中にはクレーンが立ち並んで建設ラッシュ。
人口も急増していて、小さいながら元気な国です。
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島原佐賀旅行 [旅・出張]

ようやく年度が開け、1月以来の旅行です。

すべての都道府県には行っているものの、すべての県庁所在地には行ったことはありません。
そこで、行ったことがない佐賀に行こうと思い立ち、ついでに島原半島も行ってみようとしたら、島原半島がメインになってしまいました。

■島原

まずは島原へ。

羽田から長崎空港へ。
実は長崎空港も初めてです。以前に長崎に行ったとき、長崎空港から帰ってこようと思ったら、北海道の雪の影響で福岡空港を経由する羽目になったことがありました。
飛行機の中からは、例の諫早の河口堰が見えました。

長崎空港でうどんを食べてから、バスで諫早へ。
バスの車窓から何か平行して建設していると思ったら、長崎新幹線(九州新幹線西九州ルート)ですね。
諫早駅も新幹線乗り入れに向けて工事中でした。
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諫早でバスから島原鉄道に乗り換えて、島原へ。
ホテルにチェックインして、まずは島原城。
維新後に取り壊されたものを鉄筋コンクリートで再建したもので、現在は博物館になっています。
もともと立派な城で、これを無理に作って負担を領民に強いたことが島原の乱を招いたという話もあるようです。

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天守閣の裏には北村西望という彫刻家の展示があり、知らなかったのですが、長崎の平和祈念像、三鷹駅の武蔵野市世界連邦平和像を作った人で、武蔵野市の名誉市民だそうです。

島原城の裏に行くと、武家屋敷があります。
ここは重伝建になっている訳でもなく、現代的な家や、空き家が目立ちます。
むしろ、舗装されておらず、生活用水としていた水路が残っている全体の雰囲気が残されているといったことのようです。
水路では子供達が沢ガニを捕っていました。
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武家屋敷の通りの奥に、さかきばら郷土資料館があります。
終了時間が近く、照明も落とされていたのでやっていないのかと思ったら、電気をつけてくれ、年配の女性が丁寧に説明をしてくれました。
島原といえば1792年の島原大変肥後迷惑。
しかし、島原藩は翌年の1973年に藩校を開校し、人造りに努めたそうです。
そして、ここで今年初めて蚊に刺された。

初日はその後、街をざーっと見て、ガンバ寿司、具雑煮、寒ざらしなどを食べて、ウイスキーを飲んで終了。

翌朝、朝一番に湧水庭園の四明荘。
明治に医師が作った別荘とのことで、鯉が泳ぐ池に張り出した屋敷。
ここに限らず、島原は湧水が多く、錦鯉が泳いでいたりします。
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さらに、バスで雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」へ。
「がまだす」というのは島原の言葉で「頑張る」という意味だそうです。
ここはジオラマ、映像、資料等を使って、1792年の島原大変肥後迷惑、1990-1996年の平成大噴火について紹介しています。
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1792年島原大変肥後迷惑では、噴火と共に眉山(まゆやま)の一部が崩壊して海に流れ込んで津波を引き起こし、1万5千人が亡くなるという大災害を引き起こしました。

そして、平成大噴火では1990年6月3日の火砕流で、43名の死者を出してしまいます。
大学生から新社会人の頃でうっすらとした記憶にありませんが、大変な状況だったのですね。

そもそもこの「がまだすドーム」や隣接したアリーナが建てられている場所は、平成大噴火の後の復興で火山灰を埋め立てて作られた土地で、「平成町」と呼ばれています。
アリーナにはサムライブルーの坂本龍馬が立ち、背景には眉山が見えます。
眉山のえぐられたように見えるところが、1792年の島原大変肥後迷惑で崩壊した部分です。
島原大変肥後迷惑のときに崩壊した土砂、そして平成の復興のための埋め立てが行われたため、山から海が結構離れているように見えます。
平成大噴火では逆に、眉山が雲仙岳からの火砕流の壁にもなりました。
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■口之津

もともと島原の後は佐賀に移動しようと思っていましたが、計画を変えてさらに南下して口之津へ。
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ここでは口之津歴史民俗資料館・海の資料館を見ました。
この小さな口之津、なかなか激動の歴史です。

有明湾の入口に位置した港のため、南蛮船が頻繁に入港してキリスト教布教と南蛮貿易の拠点となり、住民もキリスト教になります。
そして、島原の乱が起こり、住民はほぼ全滅。
その後、讃岐の小豆島から移民をさせて復興させます。

維新後は三井三池炭鉱の輸出港として大発展。
有明海は浅いので小さな船で口之津まで運び、大きな船に積み替えて輸出していました。
そして、貧しい島原や天草の娘達が「からゆきさん」として石炭と共に「輸出」されていったという悲しい歴史もあります。
タンザニアのザンジバルでからゆきさんが働いていた場所を訪れたことがあり、感慨深いものがあります。
この頃は遊郭もできるなど大いに賑やかになり、人手が足りないので南西諸島の与論島からこれまた移住させています。


その後、1908年に三池港が開港すると口之津港を経由する必要がなくなり衰退、現在に到ります。

今では、かつてを感じさせるものも全くない、小さな港町です。
歩いていても静かで、たまに車が通るくらい。
しかし、こうしたところを歩くことこそ旅情かも知れないですね。
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その後、バスで諫早へ。
ここまで来ると島原に戻るより反対側を回って諫早に出た方が早く、結局島原半島を一周してしまいました。

■佐賀

諫早から佐賀に着いたのは夕方で、佐賀牛を食べて、バーでウイスキーを飲んでおしまい。
翌朝には帰途についてしまったので、本当は佐賀がメインのはずだったのに、泊まるだけになってしまいました。
夜の街の雰囲気は感じられましたが。

まあ、全部見てしまうより、あそこも見たかった、というところを残しておくのがまた来る理由になる、と思える程度には心の余裕ができました。最近。


短期間のリハビリのような旅でしたが、普段見ないようなものを見て、普段話さないような人と話し、自分が普段住んでいる世界は本当に一部に過ぎないんだ、ということを思い出すことができました。



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群馬県立歴史博物館・群馬県立近代美術館 [旅・出張]

貴重な休み、何をしようかと考えた結果、晴れてはいるけども風が強く寒いので、群馬県立歴史博物館に行ってきました。

昨年末に前橋旅行をしましたが、年末なので軒並み施設は閉まっていたし、そもそも群馬県立の施設は高崎に集まっていたりするので、復習です。
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各地域の歴史博物館を見て面白いのは、それぞれの地域で「売り」にしているというか、大切にされている出来事がそれぞれ違うことです。

北海道であれば開拓時代、新潟県なら新潟平野の水との戦い、山口県や鹿児島県は明治維新あたりでしょうか。
それぞれの江戸自体の藩主に重点を置いている地域もありますね。

群馬県立歴史博物館では、どの地域もまんべんなく取りあげられてはいましたが、旧石器時代の岩宿、そして古墳が多いということで古墳時代あたりに、やはり力が入っているでしょうか。
1783年の浅間山噴火もありました。火山灰が積もった土地で、どうやって水田を回復したかの説明もありました。
あとは新田義貞、富岡製糸場、SUBARUもありました。


となりには群馬県立近代美術館もあって、ついでに?見てきました。
たまたまMIHO MUSEUMのオリエントの展示があって、(人が少なかったけど)ラッキーでした。
その土地の画家を取り上げて、というのはありましたが、「近代」美術館ということで、西洋画はフランスの19世紀末あたりに偏っているかな、という印象でした。宗教画とか、ルネサンス、フランドルの絵はないです。

時間も値段もあまり変わらなそうだったので車で行きましたが、帰りは事故が多く、ちょっと時間がかかりました。







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和歌山旅行 [旅・出張]

毎年成人の日の連休は国内旅行。
今年はカレンダーの都合で、まだ年末年始の休みの続きみたいですね。

これまで国内旅行で行ったところを地図で眺めてみると、紀伊半島が手薄。
ただ、範囲が広く、東京からの往復も含めて交通の便が良いところではなく、1回で行くことは難しそうなので、まずは和歌山県側です。

■南紀白浜

マイレージで予約した飛行機はあまり良い時間がとれなくて、夕方に南紀白浜空港へ。
飛行機の中からはきれいな夕陽が見えましたが、空港に着陸したときは夜。
東京便は1日3便あるものの、最後の便に接続する公共交通機関はなく、真っ暗な中をタクシーでホテルへ。

翌日にホテルをチェックアウトして、自転車を借りて、回ってみました。
快適ではあるものの、結構起伏があり、自転車のサイズも体に合っていないので、きつい。まあ、一番は運動不足でしょうけども。

紀伊半島の地形は独特で、千畳敷はミルフィーユのような地層が海に侵食されています。
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三段壁(さんだんべき)は、柱状節理で絶壁。
さらに地下に洞窟があり、熊野水軍が隠れる場所として使っていたという伝説があります。
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夕陽で有名な円月島のあたりは、魚釣りをする人、ダイビングをする人、ウインドサーフィンをする人で賑わっていました。
関西からは、東京からで言えば、伊豆半島みたいな位置づけでしょうか。
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ここあたりから、対岸の四国が見えました。
かつて舟運が中心だった頃は、意外に四国とも近かったのかも。

観光地ではあるものの、自転車で一周してみると寂れた建物も目につき、特に白浜駅前は廃墟のようなビルがありました。
夜もスナックが集まる場所はあるものの、あまり賑やかではないですね。
白浜って、多分子供の頃に両親に連れられて旅行に聞いたことがあるんですよね。
記憶が曖昧だし、両親も亡くなっているので確かめようがないですけども。

パンダも見ずに和歌山へ。


■和歌山

和歌山は以前に出張できたことはありますが、観光で来るのは初めて。
ただし、特急で和歌山に着いたのは夕方で、観光をする時間はほとんどなし。

夜の街を歩いてみました。

和歌山の街は南海の和歌山市駅と、JRの和歌山駅の間に広がっていますが、駅が離れているせいか、盛り上がりがないまま、ぽつぽつと広がっている感じです。

かつて賑やかだったというぶらくり横丁も夜のせいだとしても閑散としています。
1980年代以降急速に衰退したようですね。
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和歌山駅からのメインストリート、けやき大通りは6車線、8車線もあり、やたら広い。
これはかつて路面電車が走っていた名残でしょうか。
全体的に道はやたら広く、碁盤の目になっていて、空襲の影響かとも思いましたが、少なくとも和歌山城周辺は城下町の区画の名残でもあるように感じました。

街のシンボルは和歌山城。夜はライトアップされます。
中心部の小高い虎伏山(とらふすやま)にそびえていますが、これはコンクリート製の再建。
維新後も現存して国宝となっていたものの、和歌山大空襲で消失してしまいました。
ホテルをチェックアウトした朝、大急ぎで見学して、東京に戻ってきました。

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前橋旅行 [旅・出張]

今年は卒業研究もあったりして、あまり旅行は出来ませんでした。
年末年始はどこに行くの?とも聞かれましたが、年末年始は大人しくしていることも多いんですよね。
ということで、どうしようか迷ったのですが、一泊だけのプチ旅行をしてきました。

夕方にホテルを予約して、そのまま車で前橋まで。
ちなみに前橋は、「まばし」ではなく、前橋市と言うときのように、平板に「まえばし」と発音します。
Wikipediaを読んで、知ってはいましたが、本当に現地の人はそう発音していました。

繁華街まで歩き、ステーキを食べて、バーで軽く飲みました。
繁華街は、キャバクラのような風俗店が多く、男性の人通りは多いものの、旅行者にはどうも馴染みにくい街ですね。
あと、寒い!
夜なのに冷たい風が吹き、冷蔵庫の中にいるようです。

翌日は、目立って高層の群馬県庁32Fの展望台へ。
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前橋ってあんまり高い建物はないですね。
1945年8月5日に空襲があったそうです。
それもあってか、古い建物も少ないです。

中心部を歩いてみましたが、ご多分に漏れず、商店街は厳しい状況です。
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これでもまだ人がいる方で、前の晩に歩いた際は誰も人がおらず、ひっそりとしていました。

前橋カトリック教会などありますが、年末でもあり、訪問するところも限られていて、とりめしを食べて帰りました。
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47都道府県はすべて行っているのですが、実は県庁所在地は全部行っていません。
前橋に行って、一つつぶしました。
後は、佐賀と津ですかね。

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福島といわき [旅・出張]

福島といわきを旅行してきました。

このところ飛行機のマイレージを使っての国内旅行が多く、実は飛行機で行けない近場が盲点です。
また、東日本大震災の被災地は北海道から岩手、宮城と見てきたので、福島も行ってみたいと思っていました。

そこで福島県。広いので、今回は東半分、福島といわきを車で回ってきました。

初日は東北道で猪苗代湖によってから福島へ。

雨男なので日本列島台風縦断と重なりました・・・。
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そして県庁所在地の福島、泊まってみたものの、これが定番の名所というものがあるわけではなく、つかみ所がない街ですね。
いか人参や、餃子を食べました。



翌日は福島からいわきに向かって出発。
最短距離より少し北を回り、飯舘村(いいたてむら)のあたりを通過してきました。

飯舘村は2017年3月31日に一部を除いて避難解除されました。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list271-840.html
福島がある中通りと、太平洋側の浜通りの間は阿武隈高地となっています。
植生が違い、松が目立ちます。まるで北海道のような美しい景色です。
除染土と思われるシートに覆われた台形の山がぽつぽつあるものの、平和そのもの。

「いいたて村の道の駅 までい館」が2017年8月12日にオープンしていて、新しい館内にはしゃれたディスプレイで名産品が売られています。
一角には花が多く売られていました。飯舘村の名産品なんだそうです。
復興はようやくこれからだと思いますが、頑張って欲しいです。
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/site/kanko/1404.html
https://www.facebook.com/michinoeki.madeikan/

浜通りまで出て、南相馬から常磐道へ入って南下。
浪江ICから常磐富岡ICまでの間は帰還困難区域に入ります。
路肩に線量計があり、数字が表示されていますが、概ね低く、局地的に高くなっていました。
ここで見てもその傾向が見て取れますね。
高速道路なので、通過はあっという間です。
https://jobando.jp/senryo/genzai.html

ドキュメント72時間で取り上げられた夜ノ森公園に行きたかったのですが、天気が悪いし、スクリーニング場などあり、ややこしいのであぶくま洞へ。

ここは1969年(私が生まれた年)に発見された、比較的新しい鍾乳洞。
周囲に何もないところにありますが、なかなか賑わっています。
公共交通機関では来にくいと思いますが。
追加200円で探検コースという追加ルートを通ることが出来ます。
ただ、ここはかなり狭く、おそらくお相撲さんだと通れないでしょう。
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続いて、福島県の国宝、願成寺(がんじょうじ)白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)へ。
これは平安末期の藤原清衡の娘であった徳姫が建立した寺で、阿弥陀堂が国宝、中の仏像が重文となっています。
池を渡っていくと阿弥陀堂がある構成は浄土式庭園と呼ぶそうで、宇治の平等院鳳凰堂を思い起こさせます。
ただ、西を向いて祈るレイアウトの平等院と異なり、白水阿弥陀堂は北を向いて祈るようになっていますね。
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阿弥陀堂内部には極彩色で彩られていた痕跡がうっすらと残っています。
仏像はいずれも寄木造りで平安時代中期以降の様式でしょうか。
定朝様と説明されていますが、顔つきはこれまた平等院の阿弥陀堂とは違う気がします。
脇侍は観世音菩薩、勢至菩薩、さらには多聞天と増長天があります。
いずれも平安時代という説明ですが、観世音菩薩と勢至菩薩は直立しており、勢いを見せる多聞天と増長天とは同じ時代のものだというのは不思議な感じがします。
四天王のうち、持国天と多聞天の2つしかないのも不思議です。
残念ながら、仏像は撮影禁止でした。

この日の最後はいわき市石炭・化石館ほるるへ。
首長竜などの化石の展示も面白いですが、炭田の展示は人形なども使って再現した本格的なもので、見応えがあります。
そもそも常磐炭田というものがあったことさえ知りませんでした。
エネルギー政策の転換で閉山となったものの、現在でも日本の火力発電では石油より石炭が多いそうです。
当時から温泉が湧き出て採掘の妨げともなっていましたが、閉山後はこれを使ってスパリゾートハワイアンズを作り、成功しました。

夜はいわきに泊まり、メヒカリの唐揚げを食べました。
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雨が相当強くなっていました。



最後の日は台風一過、強い日差しの日となりました。

午前はアクアマリンふくしまへ。
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ここはとても真面目な水族館です。
「カリスマ種に頼らない」という方針で、主役は普通の魚です。
鰯の群れは迫力がありますし、秋刀魚が泳いでいるのは初めて見ました。

また、キハダマグロやカツオが泳いでいる水槽の前で寿司を売っています。
アジなどを釣るコーナーや、焼き魚や魚料理を作るコーナーも設けられていて、人間と魚との関わりを考えさせるように工夫されています。

福島第一原発関連の展示もあります。
小名浜港の魚の放射線量は、大きく減少しているそうです。
グラフを見ても、最初の一年半くらいで劇的に減少しています。
震災直後は姿を消した釣り人も、放射線量が減ったことを知り、翌年からアジ釣りに戻ってきたそうです。
県内の木戸川は鮭で知られていましたが、津波でふ化場が被災し、原発事故の影響で避難地域になってしまいました。
鮭の量は放流量に強く依存しているため、当然ながら数は大きく減ってしまいました。
しかし、人間の手が入らず、簗場がない川を遡る鮭の写真は印象的でした。

小名浜港の向かい側にはいわき・ら・ら・ミュウという物販施設があり、魚売場やレストランが集まっています。
2Fは博物館となっており、いわきの被災に関する展示が続けられていました。
いわきは津波の被害を受けた上に、一か月後にさらに強い地震に襲われ、原発事故の影響を受けたため、復興は大変だったと思います。応援に来た大分県警の訓示など、心を打ちます。
ここも1Fは津波の被害を受けたようですね。
前では台風で延期になった秋刀魚のお祭りをやっていて、炭火焼きのいい匂いがしていました。

最後は塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)へ。
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ここは登れる灯台として知らされていて、それほど大きな施設ではないですが、高台の上に立っているので絶景です。
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海は台風直後のせいか、とても荒れていました。
海の写真の左側、津波で被災したと思われる地区が見えますね。
小さな資料館を併設していて、この灯台も地震の被害をかなり受けたことがわかります。

最後は常磐道で一気に東京に戻りました。


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稚内旭川旅行 [旅・出張]

暑い東京を離れて北海道に行ってきました。

まずは稚内へ。
日本が実効支配している領域で最北の宗谷岬。
北海道らしく腹ごしらえしてから海を望むと、(私の旅行には)珍しく晴れていて、サハリンが見えました。
雲の下の水平線にサハリンが広がっていますが、ちょっと写真では見にくいかも。
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続いてノシャップ岬へ。
ここは最北端ではありませんが、夕陽の名所で、観光客が多く集まっていました。
これまた写真だと違ったように見えますね。
日没は、沈んだ後も空の色が変わっていってきれいです。
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翌日も快晴で、街の後ろにある小山、稚内公園へ。
稚内の全景が見渡せ、最北端だけあって空気も涼しく、快適。

公園内にはサハリンに関連した碑がいくつか残されています。
これは9人の乙女の碑。
日本が支配していた樺太(サハリン)の真岡、8/15以降もソ連軍が当時の国境を越えて進軍してきました。
電話交換手だった9人の女性は、最後まで任務を全うし、この言葉を残して服毒自殺したそうです。
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Wikipediaにも説明がありますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

また、ロシアのサハリンと言いますが、日本の立場として、南サハリンは帰属未定地と言うことになっています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/topic.html


公園内には開基百年記念塔という塔があります。
それほど高い塔でもないですが、高台に立っていることもあり、これも絶景。
1Fと2Fは稚内の歴史について紹介されていて、また、サハリンについても紹介されています。
稚内は稚泊連絡船(ちはくれんらくせん)の出港地として発展しました。
そして、戦後も漁業で栄えたものの、200海里規制以降はそれも衰退してしまいました。
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昔はロシア人が多かったとも聞きましたが、今でも標識などは日本語、英語、ロシア語です。
アーケード街という商店街、ご多分に漏れずシャッター街になりかけていますが、表示がロシア語です。
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昼食後、特急で旭川へ。
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北海道のローカル線、楽しみにしていたのですが、車窓は森ばかりで変化がなく、携帯電話も圏外になったままで、飽きてしまいました。
鹿が多いため、急ブレーキをかけることがある、という放送が何度も流されます。

旭川に着いたのは夕方。
旭川は北海道・東北で、札幌、仙台に次ぐ規模の大都会です。

観光する時間はほとんどなく、翌朝、飛行機の時間の前に旭川市博物館へ。
稚内の開基百年記念塔と重なる説明がありましたが、アイヌの話が丁寧に説明されていました。

普通に習う「日本史」では、縄文時代から、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代と進みますが、北方では縄文時代以降、稲作が出来なかったこともあり、異なった歴史を歩んでいきます。
弥生時代ではなく縄文時代が続き、続縄文時代に入ります。北方の大陸からの移住者によるオホーツク文化、さらにそれらが混淆して擦文時代になります。これが平安期から鎌倉時代まで。
その後アイヌ文化に進みます。
知られていませんが、九州だけではなく、サハリンでもアイヌが元との争いを13世紀に経験しています。
アイヌ文化というと独自の文化という印象を持っていましたが、文化や経済的にも倭人との交流は密でした。
そうした互恵的な関係が、江戸時代、そして明治時代と一方的なものへの変わってきてしまい、現在に到ります。

最後の飛行機も珍しく晴れていて景色がよく見えました。
旭川は上川盆地にあり、主要な河川が交わる場所となっています。
北海道の異国感というのは、日本の田舎で見られる田んぼがないからだと思っていましたが、旭川は米所。
ビルが建ち並ぶ中心部を田んぼが取り囲んでいることがよくわかります。
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中欧・東欧旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

遙か昔に感じますが、夏休みは中欧、東欧の5か国6都市をさーっと巡ってきました。

まず、ロンドン経由でポーランドのクラクフ。
近郊のヴィエリチカ岩塩坑へ。ここは世界遺産になっています。
坑内に教会がいくつもあります。
事故が多い現場、祈ってから仕事を始めたそうです。
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そして、翌日はアウシュビッツへ。
これはガス室。意外に小さい。
何でもない建物ですが、ここで何人もの命が奪われたことを考えると厳粛な気持ちになります。
近郊のビルケナウも見学しました。
戦後、多くの関係者は「自分は命令に従っただけだ。」と言ったそうです。
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クラクフの街自体も世界遺産になっています。
大きな広場に面した聖マリア教会、まあ普通の教会でしょう、と思ったら青で埋め尽くされた美しいものでした。
カトリックの国ですが、他の教会の建物も、イタリアのルネッサンス様式のようなものがあったりして、中欧というのは不思議なところです。
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さらに、皆ピエロギという餃子をばくばく食べていて、中欧というのは不思議なところです。
皮は日本の餃子より少し厚いものの、焼いたもの、煮たもの、揚げたものがあり、中身も豊富。
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堪能したクラクフの次は、夜行列車でスロバキアのブラチスラバへ。
首都とは言え、とても小さな街で、これといった見所も限られています。
でも、これぞ欧州の街という落ち着いたところで、こざっぱりとして雰囲気の良いところでした。
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今度はドナウ川を船で遡ってウィーンへ。
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べたな観光をしてから今度は飛行機で、ルクセンブルクへ。
ここも見所盛りだくさんという訳ではないですが、何より自然の要塞の上に作られた街が面白い。
そして、いろいろな言語が飛び交う不思議な国でした。
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最後の国はベルギー。
最初はルクセンブルクからほぼベルギーを横断してブルージュへ。
かつて交通の要所として栄えたものの、その後衰退したために古い街並みが残っている観光地です。
街自体、かつては今よりずっと人口が多かったそうです。
そして、丸くと広場に立つ巨大な鐘楼も、かつてはこの上にさらに木造の塔が建っていたそうです。
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旧市街は水路で囲まれていてボートで観光できます。
ジグザグな正面が特徴的な屋根は、この地域一帯で見られるものだそうです。
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こうしていろいろな国を続けて移動していくと、国毎に随分物価も異なり、ルクセンブルク、ベルギーはかなり高いです。
しかし、食べざるを得ません。
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最後は鉄道でブリュッセルまで戻り、食事と買い物をして帰ってきました。
ブリュッセルは今週もテロがあったようですが、行った時点でも街には二人組でマシンガンを持った兵士が目立ち、ものものしい雰囲気でした。
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能登旅行 [旅・出張]

国内旅行もいろいろ行ってきたので、最近の注目は離島や半島です。
この連休は能登半島に行ってきました。

午後から出発して飛行機で能登空港へ。
バス、のと鉄道と乗り継いで、最初は七尾へ。
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飛行機から見ると能登半島は山がちではあるものの、あまり高い山は無いようです。
鉄道で走ると、そのゆったりとした山はもちろん、穏やかな七尾湾の海が見え、その間には水田が広がり、黒い瓦の切妻屋根の民家が並びます。
海だけ、山だけ、水田だけ、というのではなく、これらが全部見えて色が美しく、日本の田舎、といった感じです。

七尾は結構大きな街ですね。
ちょうど夏祭りをやっているらしく、縁日の屋台が並んで楽しい雰囲気に溢れていました。
定石のように鮨で夕食、蒸しアワビやノドグロの炙りは美味しい。
そして、サザエなんて食べたのは何年ぶりでしょうか。
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二日目はレンタカーを借りて七尾を出発。
コンパクトカーなのに、自動ブレーキ、車線逸脱警告、ハイビーム切り替え。
時代は進んでいます。

能登島水族館でジンベイザメとイルカを見て、昼は外浦まで走ってこれまた鮨。
ちょっと走っただけなのに、内浦の七尾湾の穏やかな海と違って、波が荒い日本海。
海岸線も起伏が激しく山が迫っています。

走っていると、重要伝統的建造物保存地区の看板を発見し、急遽立ち寄り。
黒島地区は北前船の廻船問屋として栄えた天領で、地区全体が重要伝統的建造物保存地区となっています。全く知らなかった。

港町かと思うと真ん前の海岸の地形を見ても良港という感じではありません。
交易の拠点ではなく、廻船問屋という経営と労働力の機能だけがあって発展したそうです。
当時の黒島地区の船乗りは、春になると大阪まで陸路で行き、そこから北を目指して進みながら交易し、今度は南に下って交易して大阪まで戻り、そこで船を下りてまた陸路で黒島地区に戻ったそうです。
わかったようなわからないような。

廻船問屋だった旧角海家住宅を見てきました。
相当に大きな家で、道路沿いに店があり、奥の海側には蔵があります。
黒島地区を見ても、黒瓦の木造家屋が並ぶだけで、蔵があるように見えませんが、これは潮風にやられないように蔵を小屋で囲った鞘蔵だからだそうです。
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時間を随分使ってしまったので、總持寺祖院をさっと見てからレンタカーを返しに能登空港へ。

總持寺は大がかりな修復工事中で、これは2007年の能登半島地震で損傷を受けたためとのこと。
能登半島地震、あったことも記憶になりませんでしたが、黒島地区も甚大な被害を受け、そこからの復興過程が重要伝統的建造物保存地区となるきっかけでもあったようです。
台風の影響を受けてから重要伝統的建造物保存地区となった御手洗の話にも通じるものがあります。
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能登空港から輪島にバスで出て一泊。
鮨はいいやと思って割烹に行ったら、またもや海産物食べすぎ。
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重い体を引きずって、御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)の実演を見てきました。


最後の朝は、これまた定番の朝市を見てから輪島塗会館。
輪島塗は分業体制で、全体プロデューサーに相当するのが塗師。
塗師は各地を売りに回ると同時に文化を吸収してきたのだそうです。
展示されている漆塗りを見ると、そのデザインに文化的蓄積を感じます。

今回は時間も短く、白米千枚田など定番も行けませんでした。
東京からの飛行時間も短く、自然と調和した田舎で、食べ物も美味しく、文化も深い。
また行ってみようと思う場所でした。


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シチリア旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

放送大学で西洋の修道院をやって以来、イタリアに行ってみたいな、と思っていたので、ゴールデンウィークを利用してシチリアに行ってきました。

半年前のタンザニア旅行以来の海外旅行で、リハビリです。

■シラクーサ

行きはブリュッセルを経由してカターニアに夜に到着し、翌朝はシラクーサへ日帰り旅行。
今でこそ小さな町ですが、ここは紀元前のギリシャ植民地時代からシチリア島の中心都市だったところです。
アルキメデスもここの人物であり、アルキメデス広場という広場があったりします(他のシチリアの都市にもありますが)。

本土側にはギリシャ劇場、古代ローマの円形競技場が残りますが、ギリシャ劇場はカバーで覆われていて、台無しでした。
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突き出したオルティージャ島にはギリシャ時代の遺跡だけではなく、中世以降の街並みが広がります。
ドゥオーモはこれぞバロックという外観。
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カフェで昼食にシーフードスパゲティ(ブカティーニ)を頼んだら、3人分はあろうかという量が出てきて、夕食が食べられなくなりました。美味しかったけど。
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■カターニア

カターニアはエトナ山のそばにあるシチリア島第二の都市で、見所はそれ程多くないが、ローマ時代の円形闘技場跡があり、ドゥオーモがある。
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シチリアの名物に、混ぜご飯のおにぎりを揚げたようなアランチーニという食べ物がある。
ひたすら腹に溜まる。
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■アグリジェント

小さな町ではありますが、ここもギリシャの植民都市に遡ります。
観光客も多いです。

神殿の谷と呼ばれる地域には神殿跡が残ります。
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現在の街は丘の上にあり、街中の移動は坂ばかりで大変です。
街の住宅地の中にはサント・スピリト教会があり、一見地味ですが、中はすごい。
パレルモ出身のジャコモ・セルポッタという人物による像が動き出そうかというように配置され、これぞバロックという感じでした。
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■パレルモ

最後はパレルモ。
ここはすごかった。
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マルトラーナ教会は内部がビザンチン様式かと思えば、
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ロザリオ・イン・サンタ・チータ祈祷堂は、またジャコモ・セルポッタによるバロック。
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サン・フランチェスコ教会はロマネスクだとのことですが、内部はゴシックのような部分、バロックのような部分が混在していました。
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シチリア島は、ギリシャ、ローマ帝国、東ローマ帝国、イスラム、ノルマン人、フランス、スペイン、オーストリアと地中海世界の登場人物が全部入りになったような複雑な歴史を持っていて、難しくて頭が混乱しますが、大変興味深いところです。

食べ物も、イタリア料理でありつつ、魚介類も豊富で、日本人にはうれしいところです。
量が多いのはきついですが。
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