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三重旅行 [旅・出張]

このところ疲れ切っていたにもかかわらず、三連休なので三重県を旅行してみました。
このところ平日が忙しく、土曜日の朝はぐったりとしてしまって、出発が遅れたので、やや不完全燃焼の旅行に。

これまで47都道府県には行ったけれども、47の県庁所在地に入っていない、ということで、まずは最期の地、津へ。

■津

名古屋まで新幹線。仕事では無い東海道新幹線の開放感は良いですね。
スマートEXで予約していたので、新幹線に続いて名古屋でなめらかにSuicaで快速みえに乗り換えたまでは良かったものの、何とJRの津はICカードのエリア外。
車内で精算し、その旨の証明書をもらい、エリア内に戻ったらこれを見せて入場記録をキャンセルしてください、とのこと。
それはそれで良いのですが、JR以外のバスや近鉄はICカードが使えるのに、以降、全て現金払いとなってしまいました。

あと、印象的だったのは名古屋からほとんど起伏が無く、ぺたっとした地形。
津も四日市もとても海抜が低い。

さて、肝心の津は、県庁所在地ではあるものの、駅前も近所で言えば武蔵小金井くらいの賑わい。
三重県立美術館を見てから、街の中心部に出てみました。
街の中心部は津からも隣駅の津新町からも微妙に離れています。
空襲があったせいもあると思いますが、通りは広く、あっさりとした街並み。
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繁華街とされる大門のあたりも最近アーケードも撤去されてしまったらしく、閑散とした感じ。
厳しい。
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津城址、津観音を見てから、うなぎを食べ、バーで飲んで終了。


2日目はレンタカーを借りて南へ。
専修寺(せんじゅじ)の最近国宝となった如来堂、御影堂を見てみました。
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三重県立総合博物館で北海道の名付け親、松浦武四郎の展示、常設展示の三重の地質、生態、歴史を見てから、松阪へ。

■松阪

松阪市立歴史民俗資料館で伊勢の木綿を徳島の藍で染めていた話を見て、天守閣跡、鈴の屋、本居宣長記念館を見てから白から御城番屋敷へ。
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ここは重伝建にはなっていないものの、街並みが残っています。

街の市街も街並み、雰囲気が残っていて、その中の長谷川邸でガイドの説明を受け、松阪商人の家の豪華な作りを見ましたた。
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あと面白いな、と思ったのは、「笑門」のような字が書かれた注連飾りがどの家にも残っていること。
伊勢地域の文化だって、説明されていますね。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/83003046690.htm


■鳥羽

レンタカーを借りたのは、本当は鳥羽や志摩に行きたかったからなのに、出発が遅れていろいろ後ろ倒しになったため、鳥羽でミキモト真珠島を見るだけに。

ただ、伊勢を超えたあたりからぺったりとした地形がリアス式の複雑な海岸線へ急変しており、三重県南部の雰囲気は味わえました。
次の機会ですね。


■四日市

車で津まで戻って津ぎょうざを食べて、近鉄で四日市へ。

ここは、津と違って大都会ですね。
ただ、繁華街は歓楽街といった感じで、日本人、中国人の客引きがとても多く、歩きにくい。
バーをはしごして、ラーメンと餃子とご飯で締め、というだめな人のコースをたどって就寝。
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翌朝、四日市市総合博物館へ行きました。
ここは無料なのに展示は充実しています。
ジオラマがあって、近世の暮らしがわかります。

何と言っても四日市ぜんそくの展示が興味深い。
我々の世代はこれで四日市を知っている訳ですが、展示してある最近教科書を見ると、ほんのちょっとしか取り上げられていません。
日本で深刻な公害があったこと自体、今の日本の子供たちからは想像しにくいのかな、とも思いました。

公害訴訟は9人の原告となりましたが、親戚にも被告企業に勤める被害者が多く、原告集めは苦労したそうです。
ぜんそくの原因は、何か変なものを作っていたと言うより、硫黄分が多い原油を燃やしたことによる亜硫酸ガス。
かなり踏み込んだ判決が出て、中東産の硫黄分が多い原油からの切り替えやLNGへの転換、脱硫技術の導入で1960年代の
公害は、1970年代に入って改善されていきました。
学校の教室に空気清浄機をつけてあった写真や、配られていたマスクが展示されています。
マスクなんて効果があるのでしょうか。


■関宿

最後は電車で関宿へ。
関まで電車で行き、観光案内所で地図をもらって坂を登っていきます。

ここは東海道五十三次の宿場町の街並みが驚くほど残っています。
もちろん、重伝建。
東の追分から、西の追分まで1.8kmの区間、街並みが続きます。
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宿場町だけあって、遊郭だった建物があって、しびれます。
写真だとわかりにくいですが、所々朱色に塗られたりしています。
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ここでも注連飾りが残っている家がありました。
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三重に行くまで知らなかったのですが、東海道って、東海道新幹線のルートと違うんですね。
愛知の宮から桑名まで船で渡り、三重を通って、鈴鹿山脈の北の関ヶ原では無く南を通って滋賀に抜けていました。
実は国道1号線もそのルート。
その鈴鹿山脈の手前にあるのが関宿です。

明治維新後、むしろ宿場町としては栄えたものの、現在の関西本線である鉄道が開通したことで宿場町としての機能を喪失し、国道1号線もほんの少し離れたところ(駅の前)を通ったことによって、この街並みが残りました。
現在では人が住むところが多いものの、所々観光客向けのカフェや土産物屋になっていて、重伝建としては良い感じの玄奘です。
ただ、連休中なのにそれほど観光客は多くないんですよね。他の重伝建もそうですが。みんなもっとくれば良いのに。

鉄道で無人駅の関駅からの名古屋駅の戻り、精算と、Suicaの出場記録の修正を行って、新幹線で東京へ。
関宿はのんびりしていたのに、連休最終日で新幹線は軒並み満席になっており、優雅にグリーン車に乗ってしまいました。







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