So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の10件 | -

スマートテーラー [買い物]

オンワードのスマートテーラーという店が吉祥寺に出来たので、夏用のスーツを作ってみました。

いわゆるパターンオーダーですが、店で採寸してから、採寸データを中国の大連に送って縫製し、配送する仕組み。
本当に一週間で届いた。
看板に偽りなし。すごいな。

こんな長細い箱で直接家に届けられ、
suits_0708.jpg

開けるとプラスティックのハンガーと共にスーツが入っています。
suits_0710.jpg

スーツはハムとかベーコンみたいに真空パックになっていて、同梱されたハンガーに掛けて、1時間くらい経つと形が戻りますよ、と書いてあります。
suits_0711.jpg

吊るしのスーツでもすそを直したりして一週間くらい受け取りに時間がかかることを考えると、オーダーの敷居って、低くなりましたね。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ファッション

琳派−光悦と光琳 [芸術]

珍しくノープランで平日に休みを取ってしまい、どうしたものかと朝1時間考え、暑いのでアウトドア活動はやめて熱海のMOA美術館の琳派−光悦と光琳に行ってきました。

この美術館、とても良いですね。

着いたのが昼過ぎだったので、併設のカフェレストランで前菜、メインとフランス料理でランチをしてしまい、平日の空いた美術館でゆっくり見ました。

本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一ほかという正統派の展示で、何より空いているので、東京で見るように人の隙間からのぞき見るのではなく、まるで日曜美術館の番組のようにゆっくり見ることができました。
あと、この美術館、海外の美術館のように、写真撮っても良いんですよね。
DSC_0698.jpg

熱海から結構狭い道を登りますが、海も見えてゆっくりと時間を過ごすのに良いところです。
次は違う季節に来てみたいです。
DSC_0704.jpg

尾形光琳の「紅白梅図屏風」を所蔵していることで有名ですが、これは梅に合わせて2月に展示とのこと。
2月はちょっと厳しいかな。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

二度目のリコール [車]

前回のエンジンから火を噴くリコールに続いて、今度は不適切な検査のリコールということで、定期点検と一緒に済ませてきました。
台数が多く、一度に集中しないよう、定期点検と一緒に済ませるようにインセンティブを与えているようです。
DSC_0694.jpg
まあ、ちょっとリコールが多いですよね。前の前の車もあわせて3回目です。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

琳派 ―俵屋宗達から田中一光へ― [芸術]

山種美術館にさっと行ってきました。

【特別展】琳派 ―俵屋宗達から田中一光へ―
http://www.yamatane-museum.jp/exh/2018/rimpa.html

俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一といった定番から、後半は琳派に影響を受けた後の画家として田中一光まで。

やはり前者の大物の絵が印象に残ったものの、以前に山種美術館で見たことがあったものが多かった印象でした。

ただし、良いのか悪いのかわかりませんが、山種美術館はひどく混雑していることがなく、ゆっくりと見られる気がします。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

マルタ語学研修(ダイジェスト) [旅・出張]

ばたばたして少し時間が経ってしまいましたが、ゴールデンウィークは地中海の島国、マルタに行ってきました。

マルタは長くイギリス統治下にあったこと、物価が安いことから英語学校があることで有名で、半分観光ではありますが、一週間英語学校に入ってみました。

授業は半日、そして5/1は祝日だったので、それなりに観光もしました。
マルタは本島とゴゾ島、そしてとても小さなコミノ島からなります。
本島でも淡路島や東京23区の半分くらいの大きさで、比較的簡単に見て回れます。

島の海岸線は変化に富んでいて、Blue Grottoという洞門があり、ボートで中まで行くことができます。
地中海の青はなんとも言えないですね。
malta_008.jpg
malta_016.jpg

マルサシュロックという港町も観光地となっており、目が描かれたカラフルな船があり、新鮮な魚が食べられます。
のんびりした港町と思いきや、冷戦終了のマルタ会談が行われた地でもあります。
malta_021.jpg

エムディーナは、バレッタに首都が移る前の旧都。
夜に訪問したところ、雰囲気抜群。首のない花嫁姿の少女が現れるという伝説があります・・・。
マルタ騎士団が築いた街であり、ロードス島に似ていますね。
冬のように寒かったのもきつかった。
malta_039.jpg
malta_053.jpg

エムディーナは島の真ん中に位置していて、海賊対策だったとか。
島で二番目の高台にあるため、夜景もきれいでした。

そして、世界遺産のバレッタ。
とても複雑な海岸線になっていて、細長い半島のようになっているのがバレッタ旧市街。
対岸から見ると、長崎の軍艦島を思い出します。
malta_027.jpg

中に入ればマンハッタンのように縦横に道が区画されています。
malta_066.jpg
malta_100.jpg

聖ヨハネ大聖堂はもともと質素な教会として建てた後、バロックの装飾が内部に施されたため、外から見ると地味、中は派手派手という教会。
malta_122.jpg

さらに、マルタには紀元前の巨石神殿群が残されており、これも世界遺産になっています。
紀元前4500-2000年頃と言われる割には保存状態が良いです。
malta_106.jpg

小さな島国マルタ。
シチリアのすぐ近くにありながら、現地の言葉はマルタ語。イタリア語等からの借用語が多く、ラテン文字で記述するものの基本的にはアラビア語なんだそうです。
街中にはクレーンが立ち並んで建設ラッシュ。
人口も急増していて、小さいながら元気な国です。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

東京国立博物館「名作誕生 つながる日本美術」 [芸術]

久し振りに仕事も旅行も法事もない休日、久し振りに美術館。
行こうと思っていた東京国立博物館の「名作誕生 つながる日本美術」に。
金曜日と土曜日は夜までやっているということで、いろいろ片付けてから19:00過ぎから見てきました。

日本美術の展覧会で、一つの時代だけではなく、奈良から大正時代までを俯瞰して、全体の流れを見ることができます。
それでいて、いくつかのテーマのまとまりに焦点を当てているので、冗長にならず、ストーリーが強調されています。
例えば、狩野派はいくつか紹介されているものの、脇役です。
なので、一人の作品をひたすら見せられる展覧会や、ばらばらといろいろなものを見せられる展覧会と違って、飽きずに引きつけられます。

http://meisaku2018.jp/highlights/

始まりは一木造りの仏像から。
一木造りですから、脱活乾漆造と寄木造の間の狭い時代ということになりますが、並べて見て見ると、胴と足の長さのバランスや、身体の太さ、衣文など、様式がかなり違うことがわかります。
一方で、素材の制約なのか、どの像も直立していて、奈良時代の金属製の仏像に見られるような身体をひねった表現は見られません。
普通、仏像はお寺にあらうので、並べていくつも見る機会は少ないですよね。

説明によれば、一木造りの仏像は、鑑真が連れてきた大陸の工人がはじめたとのこと。
大陸では石で仏像を作っていたものの、日本には適した材料がなかったため、カヤの木で作り、白檀の木で作ったかのように色を塗ったとのこと。
一方の日本人も、仏像は金属や漆といった貴重な素材で作らなければならないと思っていたのに、カヤの木で作るんだ、という驚きがあったものの、慣れ親しんだ素材であるために、すぐに技法をものにしたとのことです。

「祈る普賢」というテーマでは、「扇面法華経冊子」が印象的でした。
平安後期の絵巻、料紙は大好きで、この「扇面法華経冊子」も料紙が美しく、現代にあってもまったく不思議ではない完成度。

琳派の宗達も、彼が多くの古典を題材にした作品を手がけたことが後のテーマの多彩さにつながっていることが示され、最近、何が何だかわからないほど人気がある若冲もなんと「若冲と模倣」というテーマで、彼が中国絵画を、そして自身の絵を繰り返し模倣したことが幹となっていることが示されます。

和服も展示されていて、「小袖 縞縮緬地桜山模様」もため息が出るような美しさ。
吉野山を思わせる桜と山が友禅で華やかに表現されています。

最後に浮世絵もいくつか示されていますが、それは岸田劉生の有名な洋画「道路と土手と塀」の前振り。
岸田劉生は古典や日本画をよく勉強していたらしく、不気味な麗子を描いた野童女は、寒山拾得図を意識して書かれたものだそうです。

たいてい展覧会は1時間ちょっとで飽きてしまうことが多いのに、2時間近く見入ってしまいました。
お薦め。というか、自分でももう1回行っても良いくらいです。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

島原佐賀旅行 [旅・出張]

ようやく年度が開け、1月以来の旅行です。

すべての都道府県には行っているものの、すべての県庁所在地には行ったことはありません。
そこで、行ったことがない佐賀に行こうと思い立ち、ついでに島原半島も行ってみようとしたら、島原半島がメインになってしまいました。

■島原

まずは島原へ。

羽田から長崎空港へ。
実は長崎空港も初めてです。以前に長崎に行ったとき、長崎空港から帰ってこようと思ったら、北海道の雪の影響で福岡空港を経由する羽目になったことがありました。
飛行機の中からは、例の諫早の河口堰が見えました。

長崎空港でうどんを食べてから、バスで諫早へ。
バスの車窓から何か平行して建設していると思ったら、長崎新幹線(九州新幹線西九州ルート)ですね。
諫早駅も新幹線乗り入れに向けて工事中でした。
simabara_saga_002.jpg

諫早でバスから島原鉄道に乗り換えて、島原へ。
ホテルにチェックインして、まずは島原城。
維新後に取り壊されたものを鉄筋コンクリートで再建したもので、現在は博物館になっています。
もともと立派な城で、これを無理に作って負担を領民に強いたことが島原の乱を招いたという話もあるようです。

simabara_saga_010.jpg

天守閣の裏には北村西望という彫刻家の展示があり、知らなかったのですが、長崎の平和祈念像、三鷹駅の武蔵野市世界連邦平和像を作った人で、武蔵野市の名誉市民だそうです。

島原城の裏に行くと、武家屋敷があります。
ここは重伝建になっている訳でもなく、現代的な家や、空き家が目立ちます。
むしろ、舗装されておらず、生活用水としていた水路が残っている全体の雰囲気が残されているといったことのようです。
水路では子供達が沢ガニを捕っていました。
simabara_saga_019.jpg

武家屋敷の通りの奥に、さかきばら郷土資料館があります。
終了時間が近く、照明も落とされていたのでやっていないのかと思ったら、電気をつけてくれ、年配の女性が丁寧に説明をしてくれました。
島原といえば1792年の島原大変肥後迷惑。
しかし、島原藩は翌年の1973年に藩校を開校し、人造りに努めたそうです。
そして、ここで今年初めて蚊に刺された。

初日はその後、街をざーっと見て、ガンバ寿司、具雑煮、寒ざらしなどを食べて、ウイスキーを飲んで終了。

翌朝、朝一番に湧水庭園の四明荘。
明治に医師が作った別荘とのことで、鯉が泳ぐ池に張り出した屋敷。
ここに限らず、島原は湧水が多く、錦鯉が泳いでいたりします。
simabara_saga_025.jpg

さらに、バスで雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」へ。
「がまだす」というのは島原の言葉で「頑張る」という意味だそうです。
ここはジオラマ、映像、資料等を使って、1792年の島原大変肥後迷惑、1990-1996年の平成大噴火について紹介しています。
simabara_saga_029.jpg

1792年島原大変肥後迷惑では、噴火と共に眉山(まゆやま)の一部が崩壊して海に流れ込んで津波を引き起こし、1万5千人が亡くなるという大災害を引き起こしました。

そして、平成大噴火では1990年6月3日の火砕流で、43名の死者を出してしまいます。
大学生から新社会人の頃でうっすらとした記憶にありませんが、大変な状況だったのですね。

そもそもこの「がまだすドーム」や隣接したアリーナが建てられている場所は、平成大噴火の後の復興で火山灰を埋め立てて作られた土地で、「平成町」と呼ばれています。
アリーナにはサムライブルーの坂本龍馬が立ち、背景には眉山が見えます。
眉山のえぐられたように見えるところが、1792年の島原大変肥後迷惑で崩壊した部分です。
島原大変肥後迷惑のときに崩壊した土砂、そして平成の復興のための埋め立てが行われたため、山から海が結構離れているように見えます。
平成大噴火では逆に、眉山が雲仙岳からの火砕流の壁にもなりました。
simabara_saga_028.jpg


■口之津

もともと島原の後は佐賀に移動しようと思っていましたが、計画を変えてさらに南下して口之津へ。
simabara_saga_033.jpg


ここでは口之津歴史民俗資料館・海の資料館を見ました。
この小さな口之津、なかなか激動の歴史です。

有明湾の入口に位置した港のため、南蛮船が頻繁に入港してキリスト教布教と南蛮貿易の拠点となり、住民もキリスト教になります。
そして、島原の乱が起こり、住民はほぼ全滅。
その後、讃岐の小豆島から移民をさせて復興させます。

維新後は三井三池炭鉱の輸出港として大発展。
有明海は浅いので小さな船で口之津まで運び、大きな船に積み替えて輸出していました。
そして、貧しい島原や天草の娘達が「からゆきさん」として石炭と共に「輸出」されていったという悲しい歴史もあります。
タンザニアのザンジバルでからゆきさんが働いていた場所を訪れたことがあり、感慨深いものがあります。
この頃は遊郭もできるなど大いに賑やかになり、人手が足りないので南西諸島の与論島からこれまた移住させています。


その後、1908年に三池港が開港すると口之津港を経由する必要がなくなり衰退、現在に到ります。

今では、かつてを感じさせるものも全くない、小さな港町です。
歩いていても静かで、たまに車が通るくらい。
しかし、こうしたところを歩くことこそ旅情かも知れないですね。
simabara_saga_034.jpg

その後、バスで諫早へ。
ここまで来ると島原に戻るより反対側を回って諫早に出た方が早く、結局島原半島を一周してしまいました。

■佐賀

諫早から佐賀に着いたのは夕方で、佐賀牛を食べて、バーでウイスキーを飲んでおしまい。
翌朝には帰途についてしまったので、本当は佐賀がメインのはずだったのに、泊まるだけになってしまいました。
夜の街の雰囲気は感じられましたが。

まあ、全部見てしまうより、あそこも見たかった、というところを残しておくのがまた来る理由になる、と思える程度には心の余裕ができました。最近。


短期間のリハビリのような旅でしたが、普段見ないようなものを見て、普段話さないような人と話し、自分が普段住んでいる世界は本当に一部に過ぎないんだ、ということを思い出すことができました。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

平成29年度2学期(18学期目) [放送大学]

いよいよ最後の成績が出ていました。
今回は発表後、システムに丸一日くらいアクセスできませんでした。

[放送授業]
Walking with Writers(’16) B
卒業研究(社会と産業)     A○
移動と定住の社会学(’16)   A○

卒業研究は合格がわかっていたものの、Walking with WritersがBでもとれてよかった。
前日も仕事で直前の復習が十分できなかったんですよね。
放送大学では不合格になると自動的に次の学期は再履修となり、そこでがんばれば復活できるのですが、今学期は前学期時点の単位数からして、卒業研究が(合格でも不合格でも)自動的に卒業することが決まっていました。
つまり、今学期落としてしまうと、「不合格」で終わってしまうところでした。


入学してから18学期(9年)。

卒業までに必要な単位124単位に対して、修得済単位138単位。
ようやく卒業が決まりました。
システムで見ると、学位記番号も表示されるようになっていますね。

今、49歳ですから、40代は何をやっていたのか、と言えば、放送大学やっていた、と言うことになるのですかね。

勉強の習慣がなくなるのもちょっと寂しいですけど、やりたいこともたくさんあるし、進学せずに一旦ここで一区切りにしようと思います。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

群馬県立歴史博物館・群馬県立近代美術館 [旅・出張]

貴重な休み、何をしようかと考えた結果、晴れてはいるけども風が強く寒いので、群馬県立歴史博物館に行ってきました。

昨年末に前橋旅行をしましたが、年末なので軒並み施設は閉まっていたし、そもそも群馬県立の施設は高崎に集まっていたりするので、復習です。
gunma.jpg

各地域の歴史博物館を見て面白いのは、それぞれの地域で「売り」にしているというか、大切にされている出来事がそれぞれ違うことです。

北海道であれば開拓時代、新潟県なら新潟平野の水との戦い、山口県や鹿児島県は明治維新あたりでしょうか。
それぞれの江戸自体の藩主に重点を置いている地域もありますね。

群馬県立歴史博物館では、どの地域もまんべんなく取りあげられてはいましたが、旧石器時代の岩宿、そして古墳が多いということで古墳時代あたりに、やはり力が入っているでしょうか。
1783年の浅間山噴火もありました。火山灰が積もった土地で、どうやって水田を回復したかの説明もありました。
あとは新田義貞、富岡製糸場、SUBARUもありました。


となりには群馬県立近代美術館もあって、ついでに?見てきました。
たまたまMIHO MUSEUMのオリエントの展示があって、(人が少なかったけど)ラッキーでした。
その土地の画家を取り上げて、というのはありましたが、「近代」美術館ということで、西洋画はフランスの19世紀末あたりに偏っているかな、という印象でした。宗教画とか、ルネサンス、フランドルの絵はないです。

時間も値段もあまり変わらなそうだったので車で行きましたが、帰りは事故が多く、ちょっと時間がかかりました。







nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

移動と定住の社会学 [放送大学]

さて、いよいよ最後の試験。

この「移動と定住の社会学」は、講師が二人で、内容も日本に来る外国人である日系人、技能自習生の話、日本国内での都市移住、出稼ぎ、ホームレスと二分されています。

それぞれ考えさせられるテーマで関心があったところですが、特に日系人と出稼ぎは新鮮でした。


まず日系人について。

そもそも日系人というのは何か、そもそも日本人(日本国籍者)とは何かという話になります。
日本は血統主義であり、日本人の母から生まれた子は自動的に日本国籍を有することになります。
(ちなみに、1979年の国籍法改正以前は、結婚すると妻は夫の国籍に入ったので、夫婦の国籍(当然子供の国籍)も一致するという仕組みでした。)
となると、最初の日本人はどうやって決めたのか、と言うことになりますが、これは明治4年の戸籍法で壬申戸籍に乗ったのが初期値の日本人ということなのだそうです。

で、日系人は日本人の子孫ということになりますが、「日系人」として日本に来られるのはもうちょっと複雑。

もともと日本人の子である日系二世は日本の入国と就労等に制限はありませんでした。
しかし、1990年の定住告示ではこれに加えて、日系三世、日系二世及び三世の配偶者、未婚・未成年で親の扶養を受けている日系四世も「日系人」として取り扱われることになりました。
つまり、日本人の血が流れていない人も含まれることになりました。
なんでこんなことをしたかというと、定住告示の半年前に入管法が改正され、それまでにいたイラン人などを閉め出してしまったこととの関連がうかがわれます。
つまり、労働者は欲しかった、ということです。


次に、出稼ぎについて。

最近では朝ドラの「ひよっこ」でお父さんが出稼ぎに出ていましたが、確か小学校の社会では出稼ぎを習った気がします。
ただし、最近は聞かないと思っていたら、1971年、1972年に55万人に達した後、激減しているそうです。
出稼ぎ者の次の世代は進学時から都市に出てくるようになり、人の流れ方が変わってきています。
あと、教科書では明確に書かれていなかった気がしますが、出稼ぎの送出道県は極めて偏っていて、青森県を最多として、北海道、岩手県、秋田県で半分を超えており、2004年では3/4を越えています。
北海道、北関東というのはなかなか厳しい地域ですね。



放送大学でありがちなことに、選択式の設問が10問しかなくて5分ほどで終わってしまい、退室できる開始30分後まで暇でした。
まあ、最後ですし。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:学問
前の10件 | -