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ロシア絵画の至宝展 [芸術]

東京富士美術館のロシア絵画の至宝展をさっと見てきました。
http://www.fujibi.or.jp/exhibitions/profile-of-exhibitions/?exhibit_id=1201810071

先日のロマンティック・ロシアに引き続きロシア絵画。
今年は、ロシアにおける日本年、日本におけるロシア年と言うことになっているらしいですね。

ロマンティック・ロシアはモスクワのトレチャコフ美術館が隊商となっているのに対し、ロシア絵画の至宝展はサンクトペテルブルクの国立ロシア美術館が対象となっているようです。

ただし、内容は19世紀のロシア絵画ということで、レーピン、アイヴァゾフスキー、レヴィタン、シーシキンと顔ぶれは同じです。

ロマティック・ロシアのハイライトがクラムスコイの見知らぬ女だとすれば、こちらはアイヴァゾフスキーの第九の波でしょうか。
大きいこともあって、やはり迫力がありました。

あと、シーシキンも相変わらず良い感じでした。



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ロマンティック・ロシア [芸術]

「また お会いできますね。」

というキャッチコピーが街に溢れている、「ロマンティック・ロシア」を見てきました。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_russia/

ポスターになっているクラムスコイの「忘れえぬ女」(あるいは「見知らぬ女」)は、まさにモスクワの国立トレチャコフ美術館で見て印象的だったので、まさに「また お会いできますね。」という感じでしたが、この絵は何と8回も日本に来ているのだそうです。

19世紀末のロシア絵画ということで、「移動派」がテーマです。
フランスでは印象派など、写実から離れた絵が模索された時代に、宗教絵画から脱したロシアは写実的に風景を描いていたことになります。

モスクワでも見たレーピンや、アイヴァゾフスキーも良かったのですが、イサーク・レヴィタン「樫の木」や、空が広い麦畑のイワン・シーシキン「正午、モスクワ郊外」が気に入りました。

ただ、最近日本美術を多く見ているせいか、どの絵画も、対象が中心になる構図、近い部分に明るい色を使った遠近法を使っていて、決まり通りというか、ちょっと窮屈な感じがしました。

その中で、改めてクラムスコイの「見知らぬ女」を見てみると、この絵だけ背景が大胆に省略されているところが面白いと思いました。

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佐原 [旅・出張]

近所の重伝建として、川越に続いて、千葉県の佐原に行ってきました。

成田空港の近く、と言うことで、近いような、遠いような。

うなぎを食べてから、街歩き。
利根川の支流の小野川沿いに街並みが拡がっていて、小野川で小江戸舟めぐりが出来ます。
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伊能忠敬が人生の前半を過ごして財をなした土地ということで、記念館もありました。


川沿いは電柱も地中化されて、美しい街並みですが、昔のまま残っているだけではなく、少しずつ新しい無粋な建物を建て直して行っているようですね。

屋根は切妻でも平入りと妻入りが混じっていて、寄棟もあります。
蔵も目立ちます。
寄棟の場合、鬼瓦に相当する部分が凝っていて、字や模様で装飾されています。
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重伝建は川沿い意外にも拡がっていますが、電柱が残っていて、ちょっと残念。
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真っ暗になる前に香取神宮を見て帰りました。
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肝心の千葉県立中央博物館大利根分館が冬は個人が見られないということで残念でしたが、この地が繁栄したのは、物流。
東回り航路においては、直接東京湾に入るルートもあったものの、犬吠埼が難所であるため、銚子まで南下した後は利根川に入り、江戸川に入って江戸に到る経路が重要でした。
なので、その経路にある佐原が発展した、ということのようです。

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奄美大島旅行 [旅・出張]

11月の三連休は奄美大島に行ってきました。

祝日の金曜日に、少々家事を済ませてから羽田空港に行き、まずは鹿児島空港へ。
羽田空港の出発遅れに加えて向かい風で飛行機が遅れたので、鹿児島空港では20分で乗り換えて、奄美大島の空港へ。
午前中に家を出たのに、着いたのは夕方。

奄美空港は、島の北端と言って良いところにあり、日の入りは東京よりずっと遅いものの、
空港近くの奄美パークなどを見て、島の中心部の名瀬のホテルにチェックインしたときは真っ暗でした。


さて、奄美大島。
北方領土を除くと沖縄島、佐渡島に次いで7番目に大きな島で、8番目の対馬より大きい。
また、佐渡島は人口6万人を割っているのに対して、奄美大島は11万人ほど住んでいます。

対馬もそうですが、山がち。
そのため、各々の集落(シマと呼ぶらしい)の間の陸路は不便で海路が中心で、結果的に各々の異なった文化が発展したとのこと。

現在はトンネルが掘りまくられていて、ちょっと隣町に行くにもすぐトンネル。
でも、このトンネルのおかげで最近は島内の時間距離が随分縮んでいるらしい。
ちなみに、奄美大島は南北というより東西に長いように思うのに、なぜか南部、北部という言い方をします。


夕食は名瀬の屋仁川(やんご)通りで。
ここは、鹿児島県内では天文館に次ぐ規模で、昔は300軒、今でも200軒の店が並んでいるそう。
ただし、店は住宅に混じって並んでいるし、客引きもいないのでのんびりしています。

ここで名物、黒糖焼酎デビュー。
ラム酒と焼酎のあいのこみたいで、甘くて美味しいですね。
鮪は多くある食材で、奄美でエラブチと呼ぶ、ブダイも美味しい。


翌日は朝からマングローブでカヌー。
ブラタモリでもやっていたやつですね。
簡単な漕ぎ方を教わってから一人用に乗りましたが、結構安定していて、あっさり乗れました。
流れがあっても、思いのほか自由に動けるし、視線が水面に近いので、これは楽しい!

この時間は干潮だったそうで、干潟に上陸すると、小さな蟹が穴から出入りしていて、小さなトビハゼがぴょんぴょんと飛び跳ねていました。
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うっそうとしたマングローブの中を進む、というのは満潮のときだそうです。


昼食後、一気に島の南部まで走り、山の中でマテリヤの滝。
遊歩道があって、歩けるのに誰もおらず、神秘的でした。
ハブが出ないかなあ、とちょっと心配ではありましたが。
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夕暮れ時は、高知山展望台へ。
奄美大島の南部にはすぐに向かい合って、加計呂麻島があり、その間の大島海峡が臨めます。
ここもブラタモリで映ったところみたいですね。
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入り組んだ奄美大島には、荒い波の海、静かな波の海があり、大島海峡は至って穏やか。
対岸の加計呂麻島、のんびりしたところで、夜はとてもきれいに星が見えるそうです。



そして最後の日は、ホテルをチェックアウトし、まずは名瀬市内の奄美市立奄美博物館。
奄美の歴史、文化、自然の展示があります。
奄美の歴史はもちろん本土と異なっていますが、特に古代は沖縄と同様、本土とは独立して歩んできたと考えられてきました。
しかし、展示によれば、喜界島に城久遺跡が見つかったことにより、奄美諸島は大和朝廷と古くから交流があったのではないか、と考えられてきているそうです。
奄美大島の小湊フワガネク遺跡では大量の夜光貝が見つかり、これは加工して本土に輸出されていた可能性があります。
平泉の中尊寺金色堂の螺鈿は、奄美の夜光貝を使っている可能性があるそうです。

屋外には、奄美の民家の展示がありました。
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最後は再び南部に行って、ホノホシ海岸。
ここは荒波に洗われて丸い石ばかりで、引き波のときにがらがらと音を立てる。写真を撮っている人も多かった。
この丸い石、地元の人は持って帰ると災いがあると信じているそうです。
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ここで旅は終了、一路北部の奄美空港へ。
途中の龍郷町で、奄美名物の鶏版をさっと食べて、奄美歴史民俗資料館をさっと見て、空港に滑り込み。
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鹿児島空港を経由して帰ってきました。



今年は、マルタ、キューバ、佐渡島、そして奄美大島と島が続きました。
遠くて時間がかかるし、お金もかかりますが、島の旅、はまってしまいそうです。

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武蔵野ふるさと歴史館 [日常]

以前から行きたかった、武蔵野ふるさと歴史館にようやく行ってきました。

国内を旅行していると、それぞれの町に歴史民俗資料館の類いがあって面白いのですが、地元は盲点でした。
というより、そもそもできたのが4-5年前で、当初は土日が休みというけしからん状態で、ようやく最近、土曜日は開館するようになりました。
日曜日はまだ休館ですが。

武蔵野ふるさと歴史館は中央線の線路沿い、武蔵境駅から西に結構歩いたところにあります。
そもそも武蔵境の駅自体、高校の頃は近くにいたもののとんとご無沙汰で、物珍しい。
中央線が高架になってからこの辺りを歩くのは初めてかも知れません。
高架にして出来た敷地を使って出来たのでしょうか。
線路沿いにまっすぐと道が延びています。
DSC_0847.jpg
昔は無かったような気がします。
電線は地中化され、ぽつぽつと高架下に店や施設があり、なかなか良い感じです。
周囲にはマンションが立ち並んでいます。

そろそろ武蔵野市から出るのでは、と思った頃に目的地はありました。
DSC_0850.jpg

展示はワンフロア、1階のみです。
井の頭公園で見つかった縄文時代の石器から始まり、武蔵野市が成り立つまでの歴史がコンパクトにまとめられていました。
江戸時代の明暦の大火以降の歴史が中心になりますね。

旅行をして気付くこととして、どこの地域のもそこでのハイライトというものがあります。
薩長に行けば明治維新だし、福井であれば地震、酒田であれば火事、新潟であれば排水工事です。

そして武蔵野市では、中島飛行場なのでしょう。
企画展示で充実していたのかも知れないですが、中島飛行機の武蔵野製作所への空襲は詳しく展示されていました。
第二次世界大戦の本土空襲で、空母から行われたドーリットル空襲を除くと、初の空襲の標的が中島飛行機の武蔵野製作所でした。
また、この広大な武蔵野製作所の跡地を戦後どのように活用してきたか、も焦点です。

今回初めて知ったことが2つありました。

1つは、私が生まれ育ったあたり、一中の西の中央通りとの間は、丸々エンジン工場だったようです。
DSC_0849.jpg

もう1つは野球スタジアム。
戦後に野球スタジアムが出来た頃は知っていましたが、福祉会館から市役所までのあたり、道がカーブしているのは野球スタジアムの形がそのまま残っているようです。
戦前にはそのような道もありません。
あのあたりが窪んでいるのも、もしかしてスタジアムの形なんでしょうか。
https://goo.gl/maps/JsdSSxL25u22

1時間ほど楽しめましたが、やはりもっと早くこうした施設を作るべきだったという印象です。
そうすれば、もっといろいろな資料が集まったはずです。

戦後の歴史も三鷹事件もありました。

武蔵野市は都市規模の割に美術館もこうした施設も貧弱です。
もっともっと頑張って欲しいです。
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佐渡島旅行 [旅・出張]

国内もいろいろ行って、ここ最近は半島や島への旅行が増えてきています。
10月の連休は佐渡島へ。

島の旅行はやはり時間がかかるので、初日はいつもより早起きして新幹線で新潟へ、新潟からジェットフォイルで両津港へ。
台風が日本海側を通過予定でどうなるかと思っていましたが、無事に佐渡島に上陸できました。

初日はバスで佐渡歴史伝説館、佐渡博物館を回っておしまい。
泊まったホテルの周り、夜は何もありませんでした。

2日目、台風の通過によって、未明に強い風が吹いたようで、朝方はまだ雨がぱらついていました。
船も午前中は欠航していたようで、まさに孤島状態。
この日はレンタカーを借りて、本格的に観光しました。
本当は三日間車を借りようと思っていたのですが、なんとどの会社も満車。
台風のせいでキャンセルが出たのか、直前に見たらこの1日だけ借りられました。

まずは西三川ゴールドパークへ。
佐渡は金山が有名ですが、金が出るところはいくつかあり、この西三川は砂金がとれたところ。
昔、買い付けた野菜の土に砂金が着いているのに気付いた男が畑を買った話など、面白い話があります。
最後に砂金とりの体験コーナーがあります。
本物の川砂が用意されているそうで、これを水の中で揺すって軽い砂を減らしていきます。
見せてくれたお手本のようにはとても行きませんが、いくつかとれて記念品に。

さらに佐渡島南西の小木半島に向かいます。
途中で真言宗の蓮華峰寺を見ましたが、他に誰もいませんでした。
矢島・経島も誰もいませんでした。
船が欠航しているせいで、近隣からの観光客がいないせいかも。

そしていよいよハイライトの宿根木へ。
ここは重要伝統的建造物保存地区になっている集落です。

宿根木の入口の佐渡国小木民俗博物館・千石船展示館へ。
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千石船展示館の名の通り、巨大な千石船を船大工たちによって復元し、なんと中にも入ることが出来ます。
隣接している学校を改良した博物館も古い生活用具を並べていて、雰囲気がありました。

そしていよいよ宿根木の集落へ。
入江にある川の河口の狭い範囲に家が密集して、周囲は段丘上に高低差があるため、山道のような階段を降りていきます。
すると、突然タイムスリップしたような町が現れます。
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もちろん、生活している人がいるわけですが、いくつかの家屋は公開されており、三角屋、清九郎、金子屋を順番に見ました。

三角屋は違う地区で建てられた四角い家を移築したというもの。
おばあちゃんが長く住んでいましたが、高齢になって転居したため後悔されるようになりました。
もともと四角かった家を、三角にしてここに移築したと言うことで、内部はなんとも不思議な作りです。

清九郎は豪勢な家で、簡単に説明してくれました。
入ると囲炉裏がある間があり、吹き抜け。
寝る場所はちょっと高くなっていて、鼠返しがある。
白川郷の家とちょっと似た配置。
けやきの一枚板、一本の柱など贅沢で、釘隠しまであった。
窓の開け閉めは滑車で出来て、このあたりは船の技術でしょうか。
石で押さえた石置木羽葺屋根と呼ばれる屋根です。
向かいの蔵は板で囲われており、能登の黒島の鞘蔵と同じ。

金子屋も同じような配置でした。
全般的に外見は古びた木で質素ですが、中は豪勢。
外観の木材なども含めて、船で使われた丈夫なものを再利用しているそうです。
また、集落内を流れる川にかかった石は尾道のものだったりするそうです。

最後に井戸の横を登って段丘の上から見ると、街を一望できます。
一段下がった狭い地域に住宅が密集していることがわかります。
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昼食を摂って宿根木を発ち、ここから大きく北部の相川まで移動して、佐渡奉行所。
これは復元されたもので、バスで来ていたツアー客と一緒にガイドを受けました。

このあたりと金山の間には今こそ車道が走っていますが、並行して当時の街並みが京町として残っています。
時間が無いので、ほんの一瞬だけ見て、自分の影と一緒に写真を撮りました。
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そして、北ルートとは別に、佐渡金山の横を通って大佐渡スカイラインで両津に戻りました。
紅葉にはちょっと早い。
夕暮れの展望を楽しみにしていたのに、一番上はガスが出ていて、結局いつもの展望に・・・。
雨男過ぎる。
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両津の夷町(えびすちょう)に出て、三軒はしごして、この日はおしまい。
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最終日は、二日酔いで1時間近く起きられませんでした。
この日はバスで佐渡金山へ。
今では坑道も人形がおかれてすっかり観光地でした。
初期の露天掘りの跡が、道遊の割戸として残っています。
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佐渡金山って、平成元年まで掘っていたんですね。
江戸時代は、それはそれは労働集約的な方法で鉱石から金の純度を高めていって小判にしていました。
金山とは言うもののの、その何倍も銀が採れるので、まずは金銀を鉛の合金として取り出し、さらに銀と金を分離します。
地盤が固い佐渡金山ではタガネも1-2日でだめになってしまったそうで、採掘には道具を作る技術が必要とされますし、土木技術や排水技術も必要です。
結果として多くの技術がこの地に集まっていて、棚田が作られた技術のベースにもなっているそうです。


バスを乗り換えて両津港に戻り、ジェットフォイルで新潟へ。
新幹線で東京に戻りました。
12時過ぎに金山を出たのに、家を着いたのは19時頃でした。

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デジカメ更新 [買い物]

デジタルカメラが壊れてしまったので、買い換えてきました。

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上のものがこれまで使ってきたNikon Coolpix S620で、調べてみると2009年に買っているので、思い返せば、本当に世界中に持って歩きました。
以前の機種よりも格段に画素数が多くなり、いろんな写真を撮りました。
https://www.takayas.jp/gellery/gellery.html

しかし、ついにシャッターボタンがもげ、セレクターが動作しなくなりました。
以前まったく同じことが起こって修理したことがありますが、さすがに2回目で寿命かと。

最近スマートフォンのカメラの性能が格段に良くなってきて、コンパクトデジカメ自体が役割を終えつつあり、売場面積も本当に狭くなりました。
今さらコンパクトデジカメを買うのかちょっと悩み、アウトドア用のものを買いました。
大型だとポケットに入らないし、ダイビングをしたりはしないものの、魚釣りには行くし、旅行に行ってもいつも雨なので。

サイズが随分大きくなってしまって、そこは残念ですが、新しいカメラって面白いですね。
GPSがついていたり、Wi-FiやBluetoothでスマートフォンと連携したりします。
さあ、これからどんな写真が撮れるのかな。
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静岡旅行 [旅・出張]

この9月は良いか悪いか祝日がばらけていて三連休2回、後半は静岡に行ってきました。
本当はもっと西に行くつもりだったのですが、初日に東京を離れられなくなってしまったので、2日目、3日目に一泊2泊となってしまいました。

車で静岡まで行って、静岡県立美術館で「幕末狩野派展」。
地方の美術館は、空いていてゆっくり見られて本当に良いです。
東京は美術館や博物館はたくさんあるものの、いつも人をかき分けてみている感じで、恵まれているのか恵まれていないのかわからなくなることがあります。

ちょっと夜の街を歩いて見たところ、静岡は駅からの中心街が賑やかで、シャッター街にはなっていません。
電線が地中化されていて、歩いている人も多い。
歓楽街のようになっている一角もあるののの、しゃれた店も多く、若者も多い。

いろいろ見て見たかったのですが、前日までの疲れが出て、ホテルで寝てしまいました。

翌朝、駿府城公園まで行き、県庁21階の展望台まで行って見ました。
シャツが汗びっしょりになるほど暑いのに、富士山は雲をかぶって見えず。

諦めて、車で日本平ロープウェイまで行って、久能山東照宮に行きました。
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ここは徳川家康が死後に埋葬され、祀られた神社。
日光東照宮が出来たのは、一周忌後です。

昔は歩いて登るしか無く、実際、神主さんたちは今でも毎日歩いて通勤しているそうです。
しかし、観光客はロープウェイで一直線。
便利なものです。

ロープウェイ乗り場には展望台があり、工事中でしたが、清水らしき街がよく見えました。
DSC_0830.jpg

さらに足を延ばして(といっても静岡市内ですが)、三保の松原。
羽衣伝説とともに、世界遺産アピールが目立ち、もうすぐビジターセンターが出来るようです。
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そして、最後は清水港のフェールケール博物館。
清水港の博物館と言うことで、湊がどのように発達してきたのかよくわかります。
昔はもっと内側の湊だったのに、向島がどんどん大きくなり、最後は地震で隆起してしまったので、向島の外側に港を移したのが今の清水港になります。

博物館には小さな缶詰博物館も併設されています。
ここの地味に面白かった。
ツナ缶などの輸出で清水は大いに発展しました。
「はごろもフーズ」って、清水由来。
言われてみれば三保の松原の羽衣伝説から来ているのですね。

また、最近見る、底側に継ぎ目がない缶詰は、プレスして一気に形を作っているようですね。
面白いのは、整形してから印刷するのでは無く、印刷してから整形しているようで、放射状に間延びした印刷がされた整形前の板も展示されていました。
ここでも説明されていますね。
https://www.toyo-seikan.co.jp/product/for-foods-can/drcan.html

三連休の帰りと言うことで、高速道路の渋滞にうんざりしましたが、月がきれいに見えました。



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三重旅行 [旅・出張]

このところ疲れ切っていたにもかかわらず、三連休なので三重県を旅行してみました。
このところ平日が忙しく、土曜日の朝はぐったりとしてしまって、出発が遅れたので、やや不完全燃焼の旅行に。

これまで47都道府県には行ったけれども、47の県庁所在地に入っていない、ということで、まずは最期の地、津へ。

■津

名古屋まで新幹線。仕事では無い東海道新幹線の開放感は良いですね。
スマートEXで予約していたので、新幹線に続いて名古屋でなめらかにSuicaで快速みえに乗り換えたまでは良かったものの、何とJRの津はICカードのエリア外。
車内で精算し、その旨の証明書をもらい、エリア内に戻ったらこれを見せて入場記録をキャンセルしてください、とのこと。
それはそれで良いのですが、JR以外のバスや近鉄はICカードが使えるのに、以降、全て現金払いとなってしまいました。

あと、印象的だったのは名古屋からほとんど起伏が無く、ぺたっとした地形。
津も四日市もとても海抜が低い。

さて、肝心の津は、県庁所在地ではあるものの、駅前も近所で言えば武蔵小金井くらいの賑わい。
三重県立美術館を見てから、街の中心部に出てみました。
街の中心部は津からも隣駅の津新町からも微妙に離れています。
空襲があったせいもあると思いますが、通りは広く、あっさりとした街並み。
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繁華街とされる大門のあたりも最近アーケードも撤去されてしまったらしく、閑散とした感じ。
厳しい。
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津城址、津観音を見てから、うなぎを食べ、バーで飲んで終了。


2日目はレンタカーを借りて南へ。
専修寺(せんじゅじ)の最近国宝となった如来堂、御影堂を見てみました。
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三重県立総合博物館で北海道の名付け親、松浦武四郎の展示、常設展示の三重の地質、生態、歴史を見てから、松阪へ。

■松阪

松阪市立歴史民俗資料館で伊勢の木綿を徳島の藍で染めていた話を見て、天守閣跡、鈴の屋、本居宣長記念館を見てから白から御城番屋敷へ。
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ここは重伝建にはなっていないものの、街並みが残っています。

街の市街も街並み、雰囲気が残っていて、その中の長谷川邸でガイドの説明を受け、松阪商人の家の豪華な作りを見ましたた。
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あと面白いな、と思ったのは、「笑門」のような字が書かれた注連飾りがどの家にも残っていること。
伊勢地域の文化だって、説明されていますね。
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/83003046690.htm


■鳥羽

レンタカーを借りたのは、本当は鳥羽や志摩に行きたかったからなのに、出発が遅れていろいろ後ろ倒しになったため、鳥羽でミキモト真珠島を見るだけに。

ただ、伊勢を超えたあたりからぺったりとした地形がリアス式の複雑な海岸線へ急変しており、三重県南部の雰囲気は味わえました。
次の機会ですね。


■四日市

車で津まで戻って津ぎょうざを食べて、近鉄で四日市へ。

ここは、津と違って大都会ですね。
ただ、繁華街は歓楽街といった感じで、日本人、中国人の客引きがとても多く、歩きにくい。
バーをはしごして、ラーメンと餃子とご飯で締め、というだめな人のコースをたどって就寝。
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翌朝、四日市市総合博物館へ行きました。
ここは無料なのに展示は充実しています。
ジオラマがあって、近世の暮らしがわかります。

何と言っても四日市ぜんそくの展示が興味深い。
我々の世代はこれで四日市を知っている訳ですが、展示してある最近教科書を見ると、ほんのちょっとしか取り上げられていません。
日本で深刻な公害があったこと自体、今の日本の子供たちからは想像しにくいのかな、とも思いました。

公害訴訟は9人の原告となりましたが、親戚にも被告企業に勤める被害者が多く、原告集めは苦労したそうです。
ぜんそくの原因は、何か変なものを作っていたと言うより、硫黄分が多い原油を燃やしたことによる亜硫酸ガス。
かなり踏み込んだ判決が出て、中東産の硫黄分が多い原油からの切り替えやLNGへの転換、脱硫技術の導入で1960年代の
公害は、1970年代に入って改善されていきました。
学校の教室に空気清浄機をつけてあった写真や、配られていたマスクが展示されています。
マスクなんて効果があるのでしょうか。


■関宿

最後は電車で関宿へ。
関まで電車で行き、観光案内所で地図をもらって坂を登っていきます。

ここは東海道五十三次の宿場町の街並みが驚くほど残っています。
もちろん、重伝建。
東の追分から、西の追分まで1.8kmの区間、街並みが続きます。
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宿場町だけあって、遊郭だった建物があって、しびれます。
写真だとわかりにくいですが、所々朱色に塗られたりしています。
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ここでも注連飾りが残っている家がありました。
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三重に行くまで知らなかったのですが、東海道って、東海道新幹線のルートと違うんですね。
愛知の宮から桑名まで船で渡り、三重を通って、鈴鹿山脈の北の関ヶ原では無く南を通って滋賀に抜けていました。
実は国道1号線もそのルート。
その鈴鹿山脈の手前にあるのが関宿です。

明治維新後、むしろ宿場町としては栄えたものの、現在の関西本線である鉄道が開通したことで宿場町としての機能を喪失し、国道1号線もほんの少し離れたところ(駅の前)を通ったことによって、この街並みが残りました。
現在では人が住むところが多いものの、所々観光客向けのカフェや土産物屋になっていて、重伝建としては良い感じの玄奘です。
ただ、連休中なのにそれほど観光客は多くないんですよね。他の重伝建もそうですが。みんなもっとくれば良いのに。

鉄道で無人駅の関駅からの名古屋駅の戻り、精算と、Suicaの出場記録の修正を行って、新幹線で東京へ。
関宿はのんびりしていたのに、連休最終日で新幹線は軒並み満席になっており、優雅にグリーン車に乗ってしまいました。







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キューバ・カナダ旅行 [旅・出張]

夏休みはキューバとカナダに行ってきました。

キューバはアメリカ経由では行きにくく、カナダかメキシコを経由するのが一般的。
今回はカナダ経由で、二次元の地図を見ると遠回りのようでいて、実は結構直線で行けます。

■シエンフエゴス

台風をぎりぎりかわして羽田、トロントを経由してハバナへ深夜到着。
そして翌朝にバスでシエンフエゴスへ。

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ここはフランス系の移民が築いた街で、格子状に道が走る街は世界遺産になっています。
新古典主義の建物が多いように思いました。

観光客はいるものの、街中にレストランなど観光客向けの店は少なく、この後どうなるのかと思いました。
とにかく暑く、寝るときも冷房を入れないといけないのに閉口しました。

■トリニダー

さらにバスでトリニダー。
ここも世界遺産、中心部は赤い瓦屋根の家々がよく残されています。

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ここに来ると観光客が極めて多く、中心部にはレストランやバーが並びます。
せっかくなのでロブスターを食べてみました。
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我々観光客が移動するViazul社のバスは中国製でまだましな一方、地元の人が移動しているらしい「乗り物」はあり合わせで作った質素なもの。
この乗り物なんて、路面電車か何かの車輌をトラックに合体させたとしか思えない。
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バスからの車窓は山あり、川あり、森あり、海ありですが、目立つのはサトウキビ畑。
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植民地化され、砂糖生産のためにアフリカから黒人奴隷が連れられてきた歴史を思い起こします。

また、車窓から見える田舎の家は質素な平屋で、決して生活水準が高いようには見えません。


■サンティアゴ・デ・クーバ

さらにバスで、キューバ島東部、キューバ第2の都市サンティアゴ・デ・クーバへ。
ここのモンカダ兵営をカストロらが襲撃したのがは、キューバ革命の始まりと言うことになっています。

商店街が賑わっています。
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ただし、スーパーマーケットのような店を除くとがらんと暗かったりしますし、商品が多い場合も同じ種類の商品が多く並んでいる感じです。

■カマグエイ

バスで西に戻りつつ、キューバ第3の都市カマグエイ。
バスが交通事故で4時間ぐらい遅れて、着いたときは日が変わっていました。

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ここも賑やか。ただ、街の道はもっと複雑に入り組んでいます。

■ハバナ

そしてハバナに戻ってきました。
ここはそれまでの都市よりずっと都会。
観光客やそれ向けの店がとても多く、さらにはブランドものの店までありました。
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そして、飛行機でハバナを発って、カナダのトロントへ。
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■トロント

キューバから来ると、空港でも電車でも、もちろんホテルでもカードが使えて、インターネット接続が出来て天国のようです。

ここから足を延ばしてナイアガラの滝を見てきました。
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トロント自体はこれと行って見所があるわけでもないですが、移民の街で、たくさんの移民街があります。
一番大きいのはもちろん、チャイナタウン。
河西回廊旅行でなつかしの蘭州ラーメンを食べて帰ってきました。
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