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新潟旅行 [旅・出張]

連休なので新潟にプチ旅行してきました。
先日の健康診断で脂肪肝と言われたので、新潟に行くのに酒抜きです。
新潟に行くのに。
新潟に行くのに。

■新潟

土曜日は放送大学の面接授業があったので、終わったその足で上越新幹線に。
ホテルにチェックインすると夜景がきれいに見えます。
少し歩くと気がつきますが、きわめて平坦な土地です。
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この日は(酒抜きで)すしを食べて就寝。


翌日は一日市内観光。
いつものように?雨が降っていましたが、信濃川ウォーターシャトルで、新潟市歴史博物館みなとぴあに上陸。
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新潟は信濃川、そしてかつての阿賀野川の河口にできた街です。
日本海と信濃川に挟まれた部分が古くからの街の中心で、現在では埋め立てられていますが、掘割が縦横に走っていました。
信濃川の反対側に新潟駅があります。
そもそも越後平野自体が潟が多い低湿な土地で、排水が古くから課題になってきました。

企画展の湊まつりも興味深いものでした。
あまり知られていませんが、函館、横浜、神戸、長崎と並んで開港された港町、花街もあって賑やかだったのですね。

北方文化博物館新潟分館前を見てから、旧齋藤家別邸を見学。
昔の豪華な日本家屋に最近とても惹かれます。欄間や書院造りの明かり取りの意匠など素晴らしい。
楓が植えられており、秋はきっと美しいのだと思いますが、この季節の緑も悪くないですね。
抹茶と和菓子を食べてしばし休憩。
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古町まで歩いて、新潟のカツ丼を食べ、古町を歩いて白山神社、白山公園。
商店街は元気があるとは言えませんが、若者の新しいセンスの店も点在していました。

新潟県政記念館はかつての議会だった建物で、現在の前の通りは掘割で、橋を渡って出入りできたそうです。
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やっぱり暑いので冷たい飲み物(酒ではない)で休憩しつつ、新潟駅まで歩き、新幹線で長岡へ。


■長岡

長岡についてへぎそばで(酒なしで)夕食。

翌日は新潟県立歴史博物館へ。
地方のバスにしてはそれなりに人が乗っているなと思ったら、長岡技科大で皆降りて、やっぱり最後は一人に。
新潟の歴史と縄文の火焔形土器を見て、バスで市内に戻って、これまた洋風カツ丼。

山本五十六記念館、長岡戦災資料館をさっと見学。
何で長岡がハワイと友好都市なんだろうと思っていましたが、真珠湾攻撃を行った山本五十六が長岡出身なんですね。

長岡や越後平野にあり、信濃川を新潟から遡ったところにあります。
新潟県第二の都市で、日本の数少ない石油、天然ガスの産出地だったんですね。

今では花火大会で有名ですが、それを含めた長岡まつりは1945/8/1の空襲の復興を願って始められたのだそうです。

アオーレ長岡というすごい施設も作ってしまった。
長岡市役所の本庁舎も入居。こんなおしゃれな市役所、働く人も良いですね。
ホールでサーカスをやっているようで、人が集まっていました。
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長岡震災アーカイブセンター きおくみらいを見て、新潟県立近代美術館でモネ展を見て、新幹線で帰りました。
新潟って、上越新幹線のおかげでもありますが、意外と近いですね。

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アンコール遺跡旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

祝日がない6月なのに、カンボジアのアンコール遺跡を見に行ってきました。

いろいろな国に行っているようで実はあまり貧しい国に行ったことがなく、また、暑がりで蚊に好かれるので赤道付近の国を苦手としています。
なので、アンコール遺跡があるカンボジアのシェムリアップに余裕の三連泊することとし、帰りに以前に見逃しがあったベトナムのホーチミンに寄ってきました。


さて、アンコール遺跡。

今回は出発前日にビザを受け取りに行くなどばたばたで、出発してから知ったのですが、世界遺産となっている「アンコール遺跡」は30も40も寺院(跡)があり、それぞれがそれなりに離れていて、公共交通機関もないため、まじめに見ようとするとものすごく時間がかかるものだったのでした。

これらは日本で言う平安時代頃に築かれたものですが、歴史、宗教、様式を理解していないと皆同じように見えてしまいます。今回はちょっと準備不足でした。

■アンコール・トム

3km四方の城壁と環濠に囲まれた都を指しますが、中心部のバイヨン寺院がハイライト。
これは仏教寺院で、この有名な顔は観音菩薩なんだそうです。
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周囲の面には丁寧な彫刻が施されていますが、先に作られたアンコール・ワットが宗教的な題材であるのに対して、バイヨンは普通の生活を描いたものが多い。これは出産場面だそうです。
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続いて、ヒンズー教寺院として建てられた後仏教寺院とされたパプーオンに登り、
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ヒンズー教寺院のピミアナカスを見て、
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象のテラス、ライ王のテラスを見て昼食。
ここまでで暑さと、強い日差しでふらふら。


■アンコール・ワット

ここはヒンズー教寺院なので、「顔」はなし。

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暑くて朦朧として観光。

帰り間際、雨期なので、強い雨。
でも、雨でも降らないと暑くてやってられない。


■トンレサップ湖クルーズ

アンコール・トムとアンコール・ワットの見学をした1日で体力を奪われ、その晩から未明に蚊の攻撃を受けたため、だるい中でトンレサップ湖のクルーズ。

この湖は乾季に琵琶湖の5倍、雨季には10倍という東南アジア最大の湖。

周囲には高床式の家があり、さらには湖中にも水上生活者がいます。
チチカカ湖とは違い、船のような浮力を持つ家に住んでいますが、水深はとても浅い。
彼らの多くはベトナム人であり、彼らのための商店はカンボジア人が営んでいるようですが、いろいろ問題はある様子。

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■ボンテアイ・クディー、タ・プローム、タケウ

寺院がたくさんあって、きりが無いので、不調の体に鞭打って、トゥクトゥクで3つ。
世界的な観光地と言いつつ、時期的な理由か空いていて、じっくり見られる。

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■ホーチミン

前回ベトナム旅行したときはメコン川クルーズに行ってしまって、ホーチミン市内に時間を割けなかったので、帰りに1泊。
ベトナム戦績博物館も見てきました。
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日本人写真家が手がけたものを含めた写真が多くあり、日本語の説明もかなりあります。

この写真は有名ですよね。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20120118/296593/?P=2

アメリカ兵に苦しめられるベトナムの人達という展示が続き、枯れ葉剤の影響などは目を背けたくなるようなグロテスクなものもあります。

第二次世界大戦時の日本と異なり、農業国であったベトナムは80%が農村に住んでいたので、米軍の攻撃対象も農村となります。
解放軍の補給に利用されるという理由で、農民が汗水流して働いて蓄えていた籾を火にくべさせている場面は、同じ稲作民族としてさぞかし無念だったろうと想像できます。
米軍に対する感情も悪化しますよね。

一党独裁の国家であり、展示が一方的なプロパガンダになりがちな点は否めませんが、ここは欧米人の見学がかなり多くありました。
ベトナムにとってはもちろん、アメリカにとっても不毛でした。


さて、3年ぶりのホーチミン、バイクは相変わらず多いですが、車の割合も増え、街のあちこちにおしゃれなコーヒーショップがあり、若者で賑わっています。観光客の街歩きにも良い感じです。
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ややましな都市環境になったため、体調、食欲も復活してきました。
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最後はリトル・トーキョーと呼ばれる地区も冷やかして帰ってきました。
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街ではなぜかスカートが短い服装のお姉さん達に何度もマッサージに誘われましたが、危険な雰囲気を感じたので、空港に着いてから歩いて疲れた腰と足をマッサージしてもらって帰国しました。



旅程
カンボジアの旅行記
ホーチミンの旅行記


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旧ユーゴスラビア旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

ゴールデンウィークは旧ユーゴスラビア(の一部)を旅行してきました。
海外旅行は河西回廊旅行以来、半年ぶりです。

内陸のベオグラードから南下してアドリア海に出て、再び北上してサラエヴォに行くルート。
地形と民族について考えさせられる旅でした。
あと、雨が多かった。

■ベオグラード

まずはトルコのイスタンブールで乗り換えて、セルビアのベオグラードへ。
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ベオグラードは、ドナウ川とサヴァ川という二つの川が合流する要所にあり、普通の東欧の街ですが、街の北側の合流地点は小高い丘となっていて、古くから要塞が築かれ、今では公園になっています。
この時期復活祭で連休になっているとかで、博物館などは軒並み休みでしたが、公園は人がたくさんでした。

内陸は肉料理主体で、これはムチュカリツァといって、豚肉の小さな塊をトマトと、多分パプリカで煮込んだもの。
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■ノヴィ・サド

翌日はセルビア北部のノヴィ・サドに日帰り。
セルビア第二の都市で、ドナウ川沿いに広がります。町の対岸には要塞があり、現在ではアーティストが住んだり、野外音楽祭の会場になっているそうです。
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ややこしいですが、セルビア北部はハンガリー人などが多い多民族地域であり、ヴィオヴォディナ自治州とされていて、ノヴィ・サドはその州都という位置づけです。街を歩いていて人の顔つきを見ても、そのあたりはよくわかりません。
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この市庁舎は、何だか日本の擬洋風建築に似た雰囲気を持っていますね。


■ポドゴリツァ

セルビアから鉄道で南下して、モンテネグロに入国、首都のポドゴリツァへ。
この路線はバール鉄道と呼ばれ、山越えで景色が良いことで有名です。
ただ、随分と老朽化していてあまりスピードを出しません。特に橋なんてそろりそろりと渡る感じなんですよね。
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ポドゴリツァはリブニツァ川とモラチャ川が合流する地点にあります。
モンテネグロは面積の割に60万人の小国なので、地方都市。
着いたときは大雨でしたが、翌朝はようやく晴れてきた。
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■ブドヴァを経由してコトルへ

ポドゴリツァからさらに南下していよいよアドリア海へ。
このあたり、クロアチアの海沿いと似ていて、リゾートとしてこれから発展しそうです。

まずはブドヴァの旧市街を(雨の間隙を突いて)さっと見て、
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さらに西のコトルへ。
ここは良いところですね。
アドリア海に面した深い湾の一番奥にあります。
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ドブロブニクに近いことから、そことセットで訪れる観光客も多いようです。


■ドブロヴニク

国境を越えて、クロアチアの飛び地のドブロヴニクへ。
ここは14年ぶりの再訪。日本人も含めたアジアからの観光客も多く、物価も上がっていてちょっと浦島太郎。
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ちょっと感傷的ですが、前回と同じホテルに泊まってみました。
ここは旧市街の喧噪が嘘のように静かで、ベランダからはアドリア海の夕陽が見えます。あんまり天気良くないけど。
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■モスタル

クロアチアの飛び地を出て、ボスニア・ヘルツェゴビナを通って、またクロアチアに入り、内陸に方向を転じてボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ。
アドリア海から、1時間くらい走っただけで、モスクが目立つようになり、雰囲気が一変します。
建物に弾痕が残っているし・・・。

ここれはアドリア海に注ぐネトレヴァ川沿いの町で、橋で有名。
実際に橋を架けた結果として人が増えて出来た町だそうです。
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この橋もボスニア紛争で、完全に破壊され、ユネスコの協力で再建されました。
うなぎの豪快な炭火焼きを食べました。
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■サラエヴォ

最後はボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエヴォ。

ここも内戦で包囲されて大変だったところです。
目立つところはきれいになっていて観光客で溢れていて、街行く人の表情も明るく、店も身なりもおしゃれ。
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しかし、不思議なところです。
盆地に広がった街ですが、よーく見ると、モスクの尖塔があちこちに出ています。
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街中にはモスクも、カトリックの教会も、正教の教会もあります。
そうしたところはスペインのイスラム、トルコのキリスト教もありますが、あくまでも過去のもの。
サラエヴォの場合はどれも今でも使われています。エルサレム以来の感覚。

かつてはこうして異なる宗教の人達が仲良く暮らしていたのだと思いますが、内戦は民族の衝突を避けるデイトン合意によって終結し、事実上分離した国家のようです。実質的に元首も民族代表が8か月毎に交代で務めているそうです。
結果として、海外からの投資も遅れ、失業率も高い。

部外者から見れば、皆同じような顔つきで、同じ言葉をしゃべっていて、仲良くすればと思うのですが、不信感は根深いようです。
壮麗な旧市庁舎は図書館として使われていましたが、セルビア人の攻撃で貴重な資料が燃えてしまいました。
今では修復されていますが、入口の掲示がこれ。
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簡単には行きそうにないですね。

「セルビア人」も「モンテネグロ人」も「クロアチア人」も「ボシュニャク人」も同じ南スラブ人で、同じ言葉を話します。
「民族」という言葉の意味を考えます。



旅程
セルビアの旅行記
モンテネグロの旅行記
ボスニア・ヘルツェゴビナの旅行記
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対馬 [旅・出張]

先日、ちょっと対馬に行ってきました。

飛行機で対馬に近づくと、海にせり出した岩が海岸線を作っています。
これは平地少ない。
対馬空港は島の真ん中のくびれたあたりにあり、滑走路の下を幹線道路がトンネルで通っています。
泊まった宿の人も「島に来たと思ったら山ばっかりとかね。」と言っていましたが、本当に山道ばかりで、トンネルも多数。
平地が多い壱岐と対照的だそうです。壱岐は行ったことないですが。

レンタカーを借りて、小茂田浜(こもだはま)神社。誰もいない。
ここは元寇の古戦場ということになっています。

日本の最前線である対馬は二度の元寇でも最初に攻撃を受け、甚大な被害を出しました。
最初の文永の役では蒙古軍の1000人の兵が上陸し、僅か80騎で迎え撃った宗資国以下は全滅します。
その場所に建てられたのがこの神社です。
桜が少し残っていました。

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島の南端の豆酘崎(つつさき)まで行った頃はちょうど夕陽。
他にはカップルが一組だけ。
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豆酘崎(つつさき)から戻る道で、大きな動物が立ちはだかっていると思ったら鹿でした。
一匹かと思ったら群れがいて逃げないでこちらを見ています。写真を撮ろうと思ったらぱっと散って距離をとられてしまいましたが。
小さなイノシシもいて、こちらはちょこちょこ走って逃げていきました。
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対馬は山がちで電波状況が悪く、豆酘崎でも圏外となりましたが、そこから電波が入るところに戻ったところで、ドコモから海外1dayパケのSMSが届いていました。いや、ここ日本なんですけど。

さて、多久頭魂(たくづだま)神社を見てから厳原(いずはら)に一泊し、翌朝は街歩き。
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街中にはぽつぽつと石垣があります。
これは火切石と行って防火壁のようです。
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八幡宮神社に行くと韓国人観光客の団体。
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対馬歴史民俗資料館に行っても、入館者は韓国人ばかり。駐車場も韓国人のツアーバスばかり。
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韓国人が多いこともありますが、日本人観光客が少ない。
地理的に日本本土より韓国に近く、日本人にとっては普通の田舎ですが、韓国人にとっては海外旅行だと言うことでしょうか。

町を貫く川沿いの欄干には古くからの朝鮮とのつながりを示す意匠と、現在の複雑な状況を表す表示が。
まあ、今に始まったことではなく、朝鮮との関係の中で歴史を紡いできた土地です。
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厳原の町を出て、和多都美(わたづみ)神社。
鳥居が海の中にあります。
ここはさすがに観光地らしく、観光客が沢山いました。日本人は一グループだけでしたが。

近くの烏帽子岳展望所からは浅芽湾(あそうわん)が一望できます。ポスターにもなっている景色。
対馬は一応一つの島ですが、くびれているあたりの一番深い湾が浅芽湾。リアス式で海は穏やか。
ここも昼頃になると韓国人のツアーバスで占拠されていました。すごいです。
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木坂海神神社を見てから、万関橋(まんぜきばし)を通って戻りました。
対馬は真ん中でくびれていて、上島、下島に分かれています。
陸が細くなっているところには船越という地名が着いていて、昔は船を下りたり、あるいは船を運んで渡ったそうです。
その後、水路を切ったので、今では橋が架かっています。
ここはすごい風で吹き飛ばされそうだった。
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交通標識や案内板は島内全部韓国語併記です。
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とにかく韓国人観光客が多い(日本人観光客が少ない)ので、アウェイ感がありますし、割と観光地化されていなくて、観光客向けの店とか少ないです。
でも、車で走っているとぽつりぽつりと見える港はのんびりしていて、次回は釣り竿持ってきたいな、と思いました。
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宮崎大分初詣の旅 [旅・出張]

新年の連休の旅行、今年は宮崎と大分に行ってきました。

一筆書きがしやすいオープンジョーが好きなので、今回も発着を隣接県の空港にしましたが、地図で見たらえらく距離があることに気がつきました。


睡眠不足だったので爆睡して宮崎ブーゲンビリア空港に到着。

一日目はローカル線の旅ということで、時間待ちで空港で昼食をとってから、宮崎空港駅へ。
鉄道が通っている地方空港ってあまりない気がしますが、宮崎空港はその一つ。

宮崎空港駅は日南線から一駅だけの支線として延びているので、本線につながる田吉駅で、行く方向によっては乗り換える必要があります。
しかし、降りたところ、駅舎もないローカル駅で、プラットフォームの端に僅かなベンチがあって、屋根がかかっているだけ。
これは、天気が悪かったら辛いかも。目と鼻の先の宮崎空港の飛行機が見えます。
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乗り換えた油津行の日南線で、第一日目の目的にである飫肥(おび)へ。
日南線、混んでいて最初座れませんでした。単線のローカル線、雰囲気があって良い感じです。

飫肥はU字型に蛇行した酒谷川に囲まれた小さな町。
駅から歩き、水が本当にきれいな酒谷川を渡ると、五万七千石の伊東氏に治められていた城下町に入ります。
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観光客はぱらぱらと居たもののそれほど多くなく、のんびりと歩くのはとても気持ちが良い。
見てはいませんがNHKの朝ドラ「わかば」の舞台にもなったそうです。
特産は飫肥杉。建物にも使われていて良い匂いがしますが、花粉症の人にはちょっと辛いかも。
旧家や歴史資料館を見ていたら、ほとんどの建物が16:30で終了とのこと、時間切れに。

街の端の田上八幡神社で初詣をし、お土産におび天を買って、再び日南線で宮崎へ。

ちょっと遅くなってしまいましたが、宮崎で夕食、橘通のバー。
繁華街は相当賑やかで人通りも多く、地方都市がどこでもシャッター街ではないということを実感。

ホテルに戻って久し振りにまとまった睡眠。
神話の国、宮崎、ホテルの部屋には古事記が。
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二日目はレンタカーの旅。

宮崎駅近くでレンタカーを借り、まずは市内の宮崎神宮。
神武天皇を祀っており、やたら菊のご紋が目立ちます。
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次は少し南下して青島神社へ。
青島という島に神社がありますが、周囲は鬼の洗濯岩と呼ばれる不思議な地形で、島自体も亜熱帯性の植物で覆われていて、不思議なところです。

そして今度は北上して、一路高千穂へ。東九州自動車道の整備が進行中ですが、3時間くらいかかります。

高千穂ではまず、高千穂峡へ。非常に狭く深い谷ですが、貸しボートがあり、真名井の滝(まないのたき)を近くで見ることができます。が、観光客、ボートを漕ぐのが初めてといった人ばかりで、突然行く手を阻まれたりするのでなかなかテクニックが要求されます。
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高千穂はびっくりするくらい山奥にあるにも関わらず、神話にまつわる神社があります。
高千穂神社は意外に質素な神社でしたが、側面には凝った彫刻がありました。
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槵触神社(くしふるじんじゃ)の周囲には、 天孫降臨後、神々が集まり高天原を遥拝したという高天原遙拝所(たかまがはらようはいじょ)がありますが、とても質素です。
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日がかげってきたので、急いで天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)、天安河原(あまのやすがわら)を見て、蜂蜜ソフトクリームを食べて高千穂観光を終了。
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車で大分に竹田経由で向かいました。竹田までは細くて暗い山道が続き、結構怖い。

レンタカー営業店に閉店間際にぎりぎり滑り込んで、大分到着。
昨年出来たという立派な駅舎の近くのホテルに宿泊。

大分ではこの日に成人式が行われたらしく、街には酔っ払っている、というか、泥酔している若者が多数で、賑やかでした。


さて、最後の三日目は、大分交通の定期観光バス「国東半島史跡めぐり」でバス旅行。

まずは宇佐神宮。実は一昨年に来ていますが、宇佐神宮は10年に1回天皇陛下の御使者である勅使を迎えており、それが昨年だったために施設が修復されたとのこと。

宇佐神宮の鳥居、前回は気がつきませんでしたが、特徴的なもの。両端が反っていて、さらに両側に黒いリングのようなものがはまっています。これは神仏習合をあらわしているのだそうです。
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そしていよいよ国東半島。国東半島には仁聞という僧が開いたという多くの天台宗の寺があります。
石仏もあり、全国の石像仏の80%がここを含む大分県にあるとのこと。そのほとんどは誰が作ったかも分かりません。

富貴寺の大堂は平安後期に建てられたもので、建物全体が榧で作られています。
平安時代に盛んに作られた檀像としての榧の仏像との関連を思わせます。
これは九州最古の和様建築とされ、平泉の金色堂、宇治の阿弥陀堂とも似ています。
仏像は寄木造りの定朝様の阿弥陀如来坐像で、驚いたのは内壁に壁画が残されていること。
これまた宇治の阿弥陀堂と同様にかすれていて痕跡のようになってしまっていますが、本尊の後ろには浄土変相図が描かれており、昨年見た敦煌の壁画を思い出します。
このお堂、かつては管理する人もなく浮浪者が寝泊まりしたり、集会場として使われて、子供がコマ回しをした傷が床に残っていたりする僧です。

ここで昼食にだんご汁。
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昼食後は真木大堂。
ここはすごかった。
阿弥陀如来坐像を中心に、四天王像、大威徳明王像、不動明王像と二童子像が並び、まるで京都のお寺のよう。平安時代の仏像がこれだけまとまっている場所があるのはすごい。

続いて熊野磨崖仏。大日如来と、笑っているような不動明王で有名ですが、そこまで行くには鬼が一晩で作ったという険しい石段を登らなくてはいけません。
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最後は両子寺(ふたごじ)。
ここは国東半島のど真ん中にあります。
仁王様が守る門、写真では見えないかも知れませんが、しめ縄が飾られています。
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国東半島は神仏習合も特徴で、仏像と神像が並んでいたり、神社に線香があげられていたり、神社の狛犬の代わりに仁王像があったり、自由すぎます。

ここで観光はおしまい。

国東半島にある大分空港でバスを降り、大分名物とり天を食べて帰りました。
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年末年始から帯状疱疹にかかってしまい、まだ治っていない「病人」でしたが、頑張りました。

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山形石巻旅行 [旅・出張]

11月の三連休は、山形、石巻に行ってきました。
最初はマイレージを利用して飛行機で旅行しようと思ったものの、空港一覧を眺めても良いアイデアが湧かず、久し振りに鉄道旅行です。

■米沢

例によって睡眠不足のまま新幹線で米沢へ。
大宮から新幹線に乗ると1時間半ほどで着いてしまうのですね。

まずは駅前で米沢牛のリッチな昼食。
昼間からワインを飲んでしまった。

米沢と言えば上杉家。
特に、藩を立て直した上杉鷹山は人気があるようです。

バスで行って上杉家の墓地である上杉家廟所を見て、歩いて上杉神社まで。
稽照殿、上杉神社、松が岬公園と見てから、隣接した米沢市上杉博物館を見学。狩野永徳の洛中洛外図(上杉本)はなんと米沢にあるのですね。展示されていたのはレプリカですが。

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米沢は米沢牛以外に米沢ラーメンでも有名なんだそうです。ラーメンは食べられませんでしたが。
市中には米沢牛と米沢ラーメンの看板ばかり。
考えてみれば、焼き肉とラーメン。強い引力を感じますが、中年の敵です。


■赤湯

山形に行く途中には赤湯で降りて、赤湯温泉まで。
駅から温泉街は少し離れていますが、てくてく歩いて行きました。

赤湯温泉には共同浴場がいくつかあり、赤湯元湯へ。
いかにも地元の銭湯という感じで、脱衣場も大混雑。
硫黄の臭いがするいかにも温泉という湯。
さらに、ここ、なんと200円。しかし、これでも高い方で他の共同浴場は100円だそうです。


さて。普段は温泉なんて行ったりしないのにここに来たのは理由があります。

父方の祖母壽美子(1913年3月26日-2004年2月2日)は椎谷明治郎、たけのの四女として山形県に生まれました。
ということで、ルーツの旅という訳です。

山形県の赤湯温泉あたりの出身と言われており、幼少時代に兄と二人で東京に養子に来たそうです。
今では山形の親戚とはつきあいもありませんし、そもそも祖母が亡くなったときに戸籍を調べた際も、文京区から東京大空襲で焼けてしまったため、これ以上調査できないという回答が来ました。

長野、大津。そしてニューヨーク、モスクワ、ウラジオストック、上海、ハルピン。
先祖に関わりがある土地を訪問しようシリーズ。ここ山形で完結です。


■山形

一泊目は山形。
山形には仕事でも私用でも来たことはあったものの、きちんと観光したことはありません。

夕食は七日町で食べ、その後バーで少し飲みましたが、地元の人と話したり、楽しい夜でした。


さて、山形は、まあ、普通の地方都市ではあるものの、洋館が多く残る街でもあります。

その親玉が旧県庁舎である文翔館。
街の中心から歩いて行くと、電線が地中化された道の突き当たりに立っています。
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1975年までの県庁舎としての役割を終えた後、跡地を駐車場にしようという案もあったそうですが、10年かけて内部を復原し、素晴らしい建物として残っています。

この県庁舎と隣の県議会堂、当時の県知事であった馬淵鋭太郎が計画したものの、あまりに費用が高額であったために、議会は反対し、材料の変更や、議会と公会堂の併用などの修正案を出したそうです。
それでも馬渕はゆずらずに抜き差しならない対立になり、結局馬渕は山口県知事に転任。

しかし、結果としてできたこの建物は山形のランドマークになっています。
このようにかつての立派な県庁舎が残されているのは、山形の他に山口だけだそうです。
そして、山口というのは馬渕が転任したところでもありますね・・・。

内部は見学でき、復原された素晴らしい漆喰の造形も見ることもできます。
地元の人の絵の展示会をやったり、喫茶店で珈琲を飲むことも出来ます。

となりの旧県議会堂も雰囲気がある建物で、内部はまるで教会のよう。
実際に現在は結婚式場としても使われるそうで、見学した際もウェディングドレス姿の女性がいました。
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旧県庁舎、旧県議会堂から少し歩いたところにある山形県立博物館教育資料館は、旧山形師範学校本館。
静謐で、歴史を感じさせる雰囲気があります。
見学者も私だけでしたし・・・。
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その後、山形美術館で近代洋画、院展を見て、山形県立博物館で縄文の女神を見て、山形市郷土館(旧済生館本館)を見てから山形駅にダッシュして仙山線へ。


■山寺

立石寺、通常山寺は天台宗の寺院。
1000段の石段で有名。

山寺駅で降りて昼食をとり、石段へ。
結構いろいろな建物が途中にあるので、それほどのきつさもなく奥の院へ。
ここから横にそれると開山堂、五大堂があって眺望が楽しめます。

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芭蕉の句、「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」で有名な寺なのですが、この雰囲気を味わうには蝉がいる夏に来た方が良いかも。


■石巻

二泊目は石巻。

東日本大震災は何が起こったのか、そして今も何が起こっているのかを自分の目に留めておきたいと思っていて、これまでも南三陸釜石・気仙沼久慈を見てきました。

そして石巻。
仙台に次ぐ宮城県第二の都市ですが、震災で最多、3000人を超す犠牲者を出してしまいました。

河口に広がる低地の街が浸水しましたが、河口近くにぽっこりと60mほどの高さの日和山があります。
多くの人がここに逃れて助かりました。津波に飲み込まれ、続いて火に包まれる街を見ているしかなかったそうです。
多くの人が亡くなりましたが、ここに山があったという地形の幸運も感じます。そうでなければどうなったでしょうか。

てっぺんの日和見公園は展望台のようになっており、震災前の景色の写真のパネルも展示されています。
特に海側の門脇地区は、現在は更地に寺と墓地くらいしかないので、ギャップがあります。
陸側も川沿いの景色が大きく変わっています。

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特に漫画が好きという訳ではないですが、中州にある石ノ森萬画館を見て、その後橋通りにある復興まちづくり情報交流館を見て、石巻NEWSeeへ。震災直後に、設備を失ってしまった記者たちが手書きで発行した壁新聞の現物が展示されています。

東京にいるとすっかり聞かなくなった言葉ですが、石巻に着いた夜に飲んだ際も、日和山の登った際も、周囲の会話からは震災、復興という言葉が漏れてきます。
震災から四年半という時間の流れの早さが、被災地とそれ以外では異なってしまっている感じです。

今回も持参したこの本を再度紹介しておきます。
仙石線も再開し、良い意味で、少し情報は古くなってきていますね。

三陸たびガイド

三陸たびガイド

  • 作者: 遠藤 宏之
  • 出版社/メーカー: マイナビ
  • 発売日: 2014/06/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




街に戻り、お土産に笹かまを買って、昼食に鮨を食べて、仙石東北ライン、東北新幹線で東京に帰りました。
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京都奈良旅行 [旅・出張]

週末に京都奈良を旅行してきました。

主目的は京都国立博物館で行われている琳派の展覧会でしたが、ついでに京都と奈良のまだ見ていないところを見てきました。ちょうど奈良国立博物館の正倉院展も開かれていましたし、その他の寺でも観光シーズンに合わせて特別公開をしているようで、良いタイミングでした。

前日の金曜日は帰りが遅かったのですが、土曜日はがんばって早起きして洗濯を済ませて出発。
新幹線で京都へ。
普段は仕事で乗る新幹線も、休日だと和やかな雰囲気ですね。

そして、京都駅で降りた瞬間に、人が多い・・・。


■東寺

京都に昼頃到着し、近鉄に乗り換えて東寺まで。
少し歩くと五重塔が見えてきて、境内に入ると立派な金堂が見えます。

宝物館に先に入ると十一面観音像があり、これもなかなか見応えがあります。

東寺講堂の中の諸像は一部を除いて平安初期のもので、密教の曼荼羅の世界を立体的に表しているとされています。講堂の中は広いですが、それでも21体の像が並ぶ様は迫力があります。
後に作られたものを除くほとんどが檜の一木造りを木屎漆で仕上げたものです。

金堂も見て、五重塔も中を見ようと思いましたが、長蛇の列で断念。
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小子房で堂本印象という日本画家の襖絵、灌頂院で十二神将を見て、バスで京都国立博物館へ。

■琳派京を彩る

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京都国立博物館の琳派京を彩る、人気があるようで入場待ち。
昼過ぎに混雑状況のtwitterで見たら40分くらいの待ち時間になっていたので油断して東寺を見ていたら、なんと着いたときには140分待ちとの表示。今回の旅行の主目的なので覚悟して並んだところ、結構列の流れは速く、20~30分くらいで中には入れてしまいました。

しかし、中の混雑が激しい。低い位置に展示しているため、屏風絵でもなければ最前列に行かないと見られませんが、そこに行くのは至難の業。作品によって混雑度に差があるものの、人気があるものは大変。

特に「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は私も見たかったので頑張りましたが、なかなか良いポジションに近づけませんでした。
写真ではよく見る作品ですが、実物は結構長い巻物で、それらの絵が連続的につながっているので、一部だけ見ても面白くありません。展示の上には写真が飾ってありますが、特に色は本物と全然違います。

本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の作品がこんなにあるのかというほど展示されていますが、やはり印象に残ったのは風神雷神図です。
今回は俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の3人による風神雷神図がそろい踏みするのが売りとなっていますが、実はそれぞれ展示期間が異なっているため、3つ揃う期間はそれほど無く、それが今回この時期に行った理由です。

風神雷神図の展示場所に行くと、やはりすごい人だかり。
正面に俵屋宗達、右に尾形光琳、左に酒井抱一の風神雷神図が陣取っています。人が多いですが、屏風絵は大く、遠くから見ることも出来るので、三つの作品の真ん中に立ってみるととても幸せな気分です。それぞれを個別に見に行くことも出来ますが、やはり3つ並ぶと違いもすぐに比較できて良いです。

俵屋宗達が書いた風神雷神図を尾形光琳が写し、その尾形光琳の風神雷神図を酒井抱一が写したので、「やはりオリジナル」という訳ではないですが、俵屋宗達のものが躍動感と浮遊感が一番素晴らしいように感じました。特に雷神図。

宗達のものは風神雷神が大胆に上方に位置していて、雷神の対角線に振り下ろす腕や広がる帯に勢いがあり、画面の構図がびしっと決まっている感じです。

光琳のものも色も鮮やかで良いですが、雷神の視線を横に修正してしまったり、太鼓が全部画面に収まるようにしてしまったせいで少しこぢんまりした印象を受けます。酒井抱一に至っては、両神がかなり下に来てしまっている印象です。


■萬福寺と平等院鳳凰堂

翌日は少し予定より寝坊してしまいましたが、まずは宇治へ。
まず平等院に行きましたが、肝心の鳳凰堂の内部見学は約2時間待ちと言うことだったので、そのまま踵を返して宇治駅に戻り、黄檗駅まで行って萬福寺へ。

萬福寺は江戸時代に日本に入ってきた黄檗宗の寺で、ここを通じて入ってきた明清の文化は若冲などにも大きな影響を与えました。

境内に入るとよくあるような寄付者の看板がありますが、よく見てぎょっとしました。すごい金額。
自宅近くの三鷹にある禅林寺は、太宰治や森鴎外の墓で有名ですが、実は黄檗宗の寺なんですね。
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何よりも、東寺や京都国立博物館、平等院と違って空いているのが良かったです。全体的に日本にありながら中国風の寺で、ちょうど読経をしていましたが、ちょっと雰囲気が違うように感じました。

魚のようなものは木魚の原型になったものだそうで、これを叩いて時を知らせます。魚は瞬きをしないので、「不眠不休」で修行するという意味なんだそうです。
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文華殿も公開されていて、明清の絵画も観ることが出来ました。確かに若冲の絵にありそうな李一和の花鳥画もありました。

平等院にとって返して、鳳凰堂。
平安時代から焼失を逃れて残っている建物ですが、最近修復がなされたと言うことで、まるで新しい建物のようです。見かけ重視で実用性を欠いた建物であると言われていて、確かに実物を見ると、本当に両側に広がる翼廊の2階部分は狭く、屋根部分も狭いです。
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時間になって鳳凰堂の内部に入ると、さすがに人数制限しているだけあって、15分ほどではあるものの、ゆっくり観ることが出来ます。

この阿弥陀如来は教科書にもよく出てくるものですが、写真によって表情が違うように感じていたので実物を見られて良かったです。全体的に丸いですが、頬も薄くあっさりとした顔立ちです。
この仏像が定朝様式としてこの後しばらくのスタンダードになるわけです。周囲も飛天像をはじめ、絵画で装飾されていますが、残念ながら劣化してしまっていてよく見えません。周囲のまだらになっている部分も螺鈿で装飾されていたらしいです。

併設の平等院ミュージアム鳳翔館を見て、宇治でうどんを食べて奈良へ。


■東大寺

JR奈良駅からてくてく歩いて東大寺へ。

京都ほどではないものの、ここは人が多い。しかも多い。縁日のように食べ物も売っていますが、あんな鹿の糞が落ちている近くで食べ物を食べるなんて信じられない。

さて、東大寺と言えば大仏ですが、今回は戒壇堂と法華堂がねらい。両方とも大仏よりずっと面白いと思うのに、とても空いています。
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戒壇堂の四天王は、前回奈良に来た際に時間切れで観られなかったところ。思ったより小さかったのですが、その分、間近に観ることが出来ます。すべて塑像で、かつては金箔で装飾されていたであろう痕跡も見えました。

法華堂は以前も観たことこともありましたが、中心にある不空羂索観音像と周りの像はどれも巨大で、それが狭い空間に並ぶ姿は壮観です。不空羂索観音以外はどれも人相が悪いので、これ、夜に一人で観たら多分結構怖い。奈良時代の仏像のリアリティは素晴らしく、金剛力士像は手の甲に静脈が浮き出ているところまで表現されていました。

東大寺ミュージアムを観て奈良国立博物館へ。


■正倉院展

奈良国立博物館の正倉院展は2回目。

混んでいることは分かっていたので、夕方の時間を狙っていきました。まあ、混んでいましたが、琳派ほどではありませんでした。
イラン、ウズベキスタン、新疆ウイグル自治区、河西回廊、西安とシルクロードを旅行してきて、それらの知識を持って観るという意気込みでしたが、今回はあんまり西域を感じさせるものはなかった感じ。

正倉院の宝物って古くて痛んでいるものもあり、派手に美しいと言うより、由来を知らなければがらくたにしか見えないものもある感じ。私はそれなりに楽しみましたが、多くの人に人気があるのも不思議ですね。



ここで時間切れ。
近鉄、新幹線で東京に戻ってきました。

仕事以外で1泊2日という短期の旅行をするのは珍しいですが、それなりにいろいろなことが出来ますね。
これならもっと頻繁にやってもいいかも。
ちょっと味を占めた。
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河西回廊旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

シルクロードの旅として、ウズベキスタン旅行、イラン旅行、東トルキスタン旅行をしてきたので、今回は一番東側の河西回廊を旅行してきました。

ちなみに、なんと気がつくと中国本土の旅は7回目です。

西安から西へ向かうシルクロードのルートは、タリム盆地に出るまで山が両側にあって谷間のようになっています。これが河西回廊で、乾燥している地域なので、水が得られるところにオアシス都市が点在しています。
漢の時代に武帝の命を受けた張騫(ちょうけん)がこのルートの情報を中国にもたらし、霍去病や衛青という武将の活躍によって、西域とつながるこのルートが漢の支配下となり、河西四郡として、東から武威(かつての涼州)、張掖(甘州)、酒泉(粛州)、敦煌(瓜州)の4郡が置かれ、中国と西域を結ぶシルクロードが開通しました。

今回は河西回廊を東から西へ進みます。4郡が置かれた都市を全部まわりました。

まずは河西回廊がある甘粛省の入口、蘭州へ。
旅行に行く直前は飲んでラーメンという乱れた生活をしていたので、そこから離れようと思っていたら、なんと蘭州の名物はラーメン。旅行中、いつも麺がついて回りました。
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次は武威。
ここでは漢時代の陵墓から、馬踏飛燕と呼ばれる像が発見されました。
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続いて張掖。
大きな涅槃仏がありますが、木塔もあります。
これは一旦地震で倒壊したものの、再建したそうです。そう、この地域は100年に1回くらい、大地震があるのです。
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酒泉は鐘鼓楼だけ見て通過。

嘉峪関。ここは明時代の関所だったところ。
きれいに残って、修復されています。
ここに関所が設けられたのは、河西回廊がこのあたりで最も狭くなっているという地形上の理由だそうです。
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そして最後は敦煌、ここは三連泊。
楡林窟、莫高窟は素晴らしかったのですが、写真はなし。
ということで、ホテルの部屋に飾られた絵を。
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これは「反弾琵琶」と呼ばれていて、敦煌のシンボルとして街の中心に像まで立っています。
莫高窟に描かれた極楽浄土で舞う姿で、実際に唐の時代に行われていた舞だと思います。
背中に琵琶を背負い、舞いながら後ろ手で弾くという超絶技巧です。

莫高窟の壁画には感動しましたが、仏画といっても堅苦しいものではなく、楽しさ、素晴らしさのようなものを生き生きと表現しているところに理由があったのかも知れません。

敦煌は沙州とも言われるように砂の山の鳴沙山があり、登ることができます。
不思議なことに、砂の山には月牙泉という泉が昔からあります。左側にちらっと映っているものです。
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敦煌の郊外には玉門関。
これは漢の時代の関所になります。河西回廊は内陸なので寒暖の差が激しく、朝は初冬のような寒さでしたが、青空はきれいでした。
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旅の最後は敦煌から夜行列車で一気に東に戻って、シルクロードの起点の西安です。
大雁塔はシルクロードを通って、玄奘三蔵法師が天竺から持ち帰った経を収めるために作られた塔です。
ここでの翻訳があって、日本の仏教もあるわけですね。
しかし、この塔、左に傾き始めています。分かりますか?
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そして兵馬俑。
いくつもの王朝の首都となった西安ですが、初めて中国を統一した秦の始皇帝の陵墓を守る6000体もの兵士たちです。
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西安は一日の急ぎ足の観光。
最後は街の中心の鐘楼のライトアップを見ておしまいでした。
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ブルガリア旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

夏休みはブルガリアに行ってきました。
久し振りの個人旅行、自由旅行で、ソフィアまでの往復の航空券と、到着してからのソフィア2泊のみ予約して出発しました。

なぜブルガリア?というのも深い意味がなく、現地で話をした人にも聞かれて答えに窮しましたが、歴史があって人々も気持ちよく、良いところでした。ただし、例年にない暑さと言うことで、毎日30℃を超え・・・・ビールが進みました。

■ソフィアとリラの僧院

ソフィアに着いた翌日にはリラの僧院。日本で言う永平寺のようなもんでしょうか。
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ソフィアの目抜き通り、ヴィトーシャ通り。朝はこんなに空いていますが、夜はかなり賑やかになります。
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実はソフィアはかなり歴史がある街らしく、かつてはセルディカと呼ばれていました。ローマ時代の遺跡もあります。
ここは地下鉄の駅を作るために掘り返したところ。掘るたびに中世、ローマ帝国時代、と遺跡が出てくるため、工事にとても時間がかかったそうです。
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さらに、温泉まで出ています。火山はないですが、地震はそれなりにあるようで、ホテルのディレクトリにも、緊急時の説明の中で、地震について触れていました。
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食事はアラカルトの店で食べるとこんな感じ。ビールが進みます。
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もう一つ、少し郊外に行ったところにボヤナ教会という小さな教会があります。これも世界遺産ですが、最初見落として通り過ぎてしまいました。中には中世のフレスコ画が残されていて、一度に8人ずつ入って見学します。
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■ブルガス、ネセバル、ソゾポル

もともとブルガリアの西半分を旅行しようかと思っていたのですが、行きの飛行機の中でガイドブックを読んでいると、黒海沿岸はよさそう。ということで、ソフィアに到着して国内線の飛行機を急遽予約、ブルガスに飛びました。

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ここからは世界遺産のネセバルにバスで行くことが出来ます。
黒海沿岸は紀元前からギリシャ人が入植していて、20世紀の初めまで、ここもギリシャ人が多く住んでいました。
島のような旧市街に古い教会がひしめき合います。
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やはりブルガスから行けるソゾポルも同様にギリシャ人が多かった街です。
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ネセバル、ソゾポル共に、観光客が多いですが、路地を入っていくと古い家が残っていて、ちらちらと見える黒海を見ながら歩くのも良いです。暑いけど。


■プロヴディフ

ブルガスからはバスで、ブルガリア第二の都市、プロヴディフへ。
ここも紀元前からある古い街で、かつてはフィリッポポリスと呼ばれました。
新市街の目抜き通りの真ん中にローマ時代の競技場の跡が顔を出しています。
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■カザンラク

ブルガリアの中央部はバラの生産が盛んなところで、6月にはバラの祭りが開かれることで有名なのがカザンラク。
小さな街ですが、これまた古く、かつてはセウテポリスと呼ばれました。

ブルガリアに先住していたトラキア人の墓が世界遺産となっています。
日本で言う古墳のようなもの。しかし、なんと本物には入れず、レプリカを見るだけ、というちょっと興ざめなもの。
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さて、食べ物は、こんな感じ。
タラトールという冷製スープ。ヨーグルト味。うーん。
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サチと呼ばれる鉄板焼き。
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キョフテと呼ばれる肉団子は、トルコ料理にもありますね。
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乾燥した空気の中で飲むビールは最高ですが、ブルガリアはワインも有名で、どのレストランでも豊富に種類があります。


■ヴェリコ・タルノヴォ

覚えにくい名前ですが、オスマン帝国に征服される前には首都だったところ。琴欧洲の出身地でもあります。
ここはとにかく複雑な地形で、川があちらにこちらに蛇行して深い谷を作っています。
大通りの横に展望スペース?のようなものがあり、そこを覗くと絶景。
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どの街でも民族学博物館のようなものがあり、見学すると、民族衣装が豊富で、地域性も強いです。
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EUの最貧国とも言われるブルガリア、行く前はどんなところだろうと思いましたが、良いところで、気に入りました。
バルカン半島、面白いですね。
また、スマートフォンを持って、booking.com、TripAdvisor、Googleマップを使うと、本当に個人旅行、自由旅行もやりやすくなりました。



旅程
ブルガリアの旅行記
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鹿児島・知覧旅行 [旅・出張]

世界遺産に登録されたので、というわけで計画したのではないですが、海の日の3連休で鹿児島と知覧を旅行をしてきました。

初めての海外旅行から貯まっているBritish Airwaysのマイルで、同じワンワールドのJALの便を予約するというちょっと複雑なことをやったので、搭乗手続がちょっと手間だっただけではなく、土曜日の昼間に出発して、月曜日の朝に戻ってくると言う実質1.5日の日程。
まあ、普通に運賃を払うと高いので、贅沢な旅行とも言えますが。

■鹿児島

鹿児島空港に到着するとにわかに土砂降りの雨。
東京はこの日梅雨明けだったのに。

鹿児島は九州第4の都市で、結構大きな街です。
長崎より大きい。

まずは照國神社。古い神社だと思ったら、島津斉彬公を祀ったものであるとのこと。
裏手の山が城山と呼ばれる山です。
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少し街を歩いてみると、鹿児島の街は銅像が非常に多く、また、古い建物もそれなりに残っています。
第二次世界大戦で何度も空襲を受けたので、相当焼けてしまったらしいですが。
また、大通りは電柱が地中化されているので気持ちがいいです。
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ちょうどこの時期は六月灯と呼ばれる神社の祭りが場所を変えて続いているらしく、さらにこの連休はおぎおんさあ(祇園祭)ということで、前日から神輿が出たり、前夜祭として公演でイベントが行われていました。
肝心の祭りは翌日で、その日は知覧に行ってしまったのですが、電車通りと呼ばれる市電が走る道も歩行者天国になるのだそうです。
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車社会のようですが、(日本最南端の)市電も走り、バスも多いので、比較的旅行者も移動しやすいです。

到着日はなぜかあまり酒を飲みたくなかったので、あっさり就寝。


翌日は朝からバスで、登録ほやほやの世界遺産巡り。
異人館はイギリスから招いた技師のために作った住居で、2回引っ越しして現在の地にあります。
建物の形も引っ越しを経て修正されており、従来は煙突もあり、2階もガラス窓ではなくテラスになっていたとのこと。
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基本的に「洋館」ですが、日本人の大工が作ったため、寸法が尺であるだけではなく、ドアのノブが座って開けるくらいの低い位置になってしまっています。
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異人館の次はガラス工場もあり、薩摩切り子を売っています。
美しいが、高い!
薩摩切り子は実は作られた期間は幕末の一時期だけであり、その後現代になって技術を復活させたものだそうです。

その奥が仙巌園(せんがんえん)。
島津家の別邸があった公園ですが、そこの隣に集成館の跡があります。
集成館は、「日本発の工業団地」ということで、薩摩藩が列強に植民地化されないためには産業振興が必要であるという考えから、維新前から製鉄所(反射炉)や、機械工場、紡績所、造船所、ガラス工場などを設置した場所です。


これが反射炉の跡。
薩英戦争で破壊されてしまったため、基礎部分しか残っていません。
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仙巌園は続きで見ることができて、桜島と錦江湾を借景にした景色を見ることができます。
昔はなかったらしいのですが、今は生け垣があり、その向こうに道路と鉄道が通っています。
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その他、機械工場が尚古集成館の本館で、現在は博物館になっています。


■知覧

集成館からバスを乗り継いで知覧へ。途中山を越えたり、結構遠い。

知覧は特攻隊と茶と武家屋敷で有名です。
大学生のころに知覧という特攻隊に関する本を読んだこともあり、また、重伝建ファンなので、一度来てみたいと思っていたところです。

到着後昼食をとって、特攻平和会館へ。結構混んでいて、若い人も多いです。
展示はワンフロア、戦闘機の展示が目を引きますが、大半は写真、手紙、年表で、淡々と展示されています。
さっと見るなら一瞬で終わりますし、一つ一つ読んでいけば一日では足りないでしょう。
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目に付いたもの見ただけですが、かなり重い気持ちになります。

女学生がで書いた血書に、「散ればこそ世に惜しまれる櫻花」という言葉がありました。桜に例えた文は多くありました。
両親や家族にあてたメッセージも多いですが、中でも母親に向けたものが多いのだそうです。

8/15の翌日に自決した海軍中将・大西瀧治郎の遺書は、命を落とした特攻隊員へ死を持って詫びると共に、一般青壮年に対して、次のような言葉を残しています。
「平時に処し猶ほ克く特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ」
日本人だけではなく、世界人類の和平に言及しているところが印象に残っています。

不勉強だったのですが、特攻攻撃が行われたのは、終戦直前の一時期だけ。本格化したのは1945年の4月です。
戦争が、一年でも早く終えられていれば、沖縄戦も原爆も本土爆撃もなかったのですよね。

この写真も展示されていました。非常に有名なようですね。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Youngest_kamikaze_only_17_years_old.jpg

たまたま知覧に立ち寄った新聞記者が撮影した写真ですが、彼らは17-19歳。今で言えば高校生か大学生の歳です。
記者がいつ出撃するかを聞いたところ、翌日とのことで、実際に翌日に出撃して皆亡くなりました。
自然な表情や笑顔は、覚悟を決めた人間の表情というのでしょうか。

ビデオ映像の上映も見ましたが、後ろからはすすり泣きが。というか私も同じような状態でしたが。

もっとも国益を損なうことは、国民の命を失うことです。
安全保障について意見が対立し、議論ではなく、汚い言葉でののしり合っている現状を見ると、とても恥ずかしいことだと思います。
よく勉強して、よく議論し、道を誤らないようにしなければならないと思いました。


さて、特攻平和会館で随分時間を食ってしまったので、超駆け足で隣の知覧ミュージアムを見て、武家屋敷まで歩きました。
武家屋敷は15分で7つの庭園全部を見たので、何が何だか分かりませんでした。もっとゆっくり旅行をしたいものです。
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知覧は小さな街ですが、電柱も地中化されていて、水路には鯉が泳ぎ、のんびりとしています。
お茶の産地でもあるそうです。
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バスで鹿児島まで戻り、少し(相当?)飲んで、翌日朝の便で東京に戻りました。



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