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島原佐賀旅行 [旅・出張]

ようやく年度が開け、1月以来の旅行です。

すべての都道府県には行っているものの、すべての県庁所在地には行ったことはありません。
そこで、行ったことがない佐賀に行こうと思い立ち、ついでに島原半島も行ってみようとしたら、島原半島がメインになってしまいました。

■島原

まずは島原へ。

羽田から長崎空港へ。
実は長崎空港も初めてです。以前に長崎に行ったとき、長崎空港から帰ってこようと思ったら、北海道の雪の影響で福岡空港を経由する羽目になったことがありました。
飛行機の中からは、例の諫早の河口堰が見えました。

長崎空港でうどんを食べてから、バスで諫早へ。
バスの車窓から何か平行して建設していると思ったら、長崎新幹線(九州新幹線西九州ルート)ですね。
諫早駅も新幹線乗り入れに向けて工事中でした。
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諫早でバスから島原鉄道に乗り換えて、島原へ。
ホテルにチェックインして、まずは島原城。
維新後に取り壊されたものを鉄筋コンクリートで再建したもので、現在は博物館になっています。
もともと立派な城で、これを無理に作って負担を領民に強いたことが島原の乱を招いたという話もあるようです。

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天守閣の裏には北村西望という彫刻家の展示があり、知らなかったのですが、長崎の平和祈念像、三鷹駅の武蔵野市世界連邦平和像を作った人で、武蔵野市の名誉市民だそうです。

島原城の裏に行くと、武家屋敷があります。
ここは重伝建になっている訳でもなく、現代的な家や、空き家が目立ちます。
むしろ、舗装されておらず、生活用水としていた水路が残っている全体の雰囲気が残されているといったことのようです。
水路では子供達が沢ガニを捕っていました。
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武家屋敷の通りの奥に、さかきばら郷土資料館があります。
終了時間が近く、照明も落とされていたのでやっていないのかと思ったら、電気をつけてくれ、年配の女性が丁寧に説明をしてくれました。
島原といえば1792年の島原大変肥後迷惑。
しかし、島原藩は翌年の1973年に藩校を開校し、人造りに努めたそうです。
そして、ここで今年初めて蚊に刺された。

初日はその後、街をざーっと見て、ガンバ寿司、具雑煮、寒ざらしなどを食べて、ウイスキーを飲んで終了。

翌朝、朝一番に湧水庭園の四明荘。
明治に医師が作った別荘とのことで、鯉が泳ぐ池に張り出した屋敷。
ここに限らず、島原は湧水が多く、錦鯉が泳いでいたりします。
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さらに、バスで雲仙岳災害記念館「がまだすドーム」へ。
「がまだす」というのは島原の言葉で「頑張る」という意味だそうです。
ここはジオラマ、映像、資料等を使って、1792年の島原大変肥後迷惑、1990-1996年の平成大噴火について紹介しています。
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1792年島原大変肥後迷惑では、噴火と共に眉山(まゆやま)の一部が崩壊して海に流れ込んで津波を引き起こし、1万5千人が亡くなるという大災害を引き起こしました。

そして、平成大噴火では1990年6月3日の火砕流で、43名の死者を出してしまいます。
大学生から新社会人の頃でうっすらとした記憶にありませんが、大変な状況だったのですね。

そもそもこの「がまだすドーム」や隣接したアリーナが建てられている場所は、平成大噴火の後の復興で火山灰を埋め立てて作られた土地で、「平成町」と呼ばれています。
アリーナにはサムライブルーの坂本龍馬が立ち、背景には眉山が見えます。
眉山のえぐられたように見えるところが、1792年の島原大変肥後迷惑で崩壊した部分です。
島原大変肥後迷惑のときに崩壊した土砂、そして平成の復興のための埋め立てが行われたため、山から海が結構離れているように見えます。
平成大噴火では逆に、眉山が雲仙岳からの火砕流の壁にもなりました。
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■口之津

もともと島原の後は佐賀に移動しようと思っていましたが、計画を変えてさらに南下して口之津へ。
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ここでは口之津歴史民俗資料館・海の資料館を見ました。
この小さな口之津、なかなか激動の歴史です。

有明湾の入口に位置した港のため、南蛮船が頻繁に入港してキリスト教布教と南蛮貿易の拠点となり、住民もキリスト教になります。
そして、島原の乱が起こり、住民はほぼ全滅。
その後、讃岐の小豆島から移民をさせて復興させます。

維新後は三井三池炭鉱の輸出港として大発展。
有明海は浅いので小さな船で口之津まで運び、大きな船に積み替えて輸出していました。
そして、貧しい島原や天草の娘達が「からゆきさん」として石炭と共に「輸出」されていったという悲しい歴史もあります。
タンザニアのザンジバルでからゆきさんが働いていた場所を訪れたことがあり、感慨深いものがあります。
この頃は遊郭もできるなど大いに賑やかになり、人手が足りないので南西諸島の与論島からこれまた移住させています。


その後、1908年に三池港が開港すると口之津港を経由する必要がなくなり衰退、現在に到ります。

今では、かつてを感じさせるものも全くない、小さな港町です。
歩いていても静かで、たまに車が通るくらい。
しかし、こうしたところを歩くことこそ旅情かも知れないですね。
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その後、バスで諫早へ。
ここまで来ると島原に戻るより反対側を回って諫早に出た方が早く、結局島原半島を一周してしまいました。

■佐賀

諫早から佐賀に着いたのは夕方で、佐賀牛を食べて、バーでウイスキーを飲んでおしまい。
翌朝には帰途についてしまったので、本当は佐賀がメインのはずだったのに、泊まるだけになってしまいました。
夜の街の雰囲気は感じられましたが。

まあ、全部見てしまうより、あそこも見たかった、というところを残しておくのがまた来る理由になる、と思える程度には心の余裕ができました。最近。


短期間のリハビリのような旅でしたが、普段見ないようなものを見て、普段話さないような人と話し、自分が普段住んでいる世界は本当に一部に過ぎないんだ、ということを思い出すことができました。



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