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稚内旭川旅行 [旅・出張]

暑い東京を離れて北海道に行ってきました。

まずは稚内へ。
日本が実効支配している領域で最北の宗谷岬。
北海道らしく腹ごしらえしてから海を望むと、(私の旅行には)珍しく晴れていて、サハリンが見えました。
雲の下の水平線にサハリンが広がっていますが、ちょっと写真では見にくいかも。
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続いてノシャップ岬へ。
ここは最北端ではありませんが、夕陽の名所で、観光客が多く集まっていました。
これまた写真だと違ったように見えますね。
日没は、沈んだ後も空の色が変わっていってきれいです。
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翌日も快晴で、街の後ろにある小山、稚内公園へ。
稚内の全景が見渡せ、最北端だけあって空気も涼しく、快適。

公園内にはサハリンに関連した碑がいくつか残されています。
これは9人の乙女の碑。
日本が支配していた樺太(サハリン)の真岡、8/15以降もソ連軍が当時の国境を越えて進軍してきました。
電話交換手だった9人の女性は、最後まで任務を全うし、この言葉を残して服毒自殺したそうです。
wakkanaiasahikaw_056.jpg

Wikipediaにも説明がありますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

また、ロシアのサハリンと言いますが、日本の立場として、南サハリンは帰属未定地と言うことになっています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/topic.html


公園内には開基百年記念塔という塔があります。
それほど高い塔でもないですが、高台に立っていることもあり、これも絶景。
1Fと2Fは稚内の歴史について紹介されていて、また、サハリンについても紹介されています。
稚内は稚泊連絡船(ちはくれんらくせん)の出港地として発展しました。
そして、戦後も漁業で栄えたものの、200海里規制以降はそれも衰退してしまいました。
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昔はロシア人が多かったとも聞きましたが、今でも標識などは日本語、英語、ロシア語です。
アーケード街という商店街、ご多分に漏れずシャッター街になりかけていますが、表示がロシア語です。
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昼食後、特急で旭川へ。
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北海道のローカル線、楽しみにしていたのですが、車窓は森ばかりで変化がなく、携帯電話も圏外になったままで、飽きてしまいました。
鹿が多いため、急ブレーキをかけることがある、という放送が何度も流されます。

旭川に着いたのは夕方。
旭川は北海道・東北で、札幌、仙台に次ぐ規模の大都会です。

観光する時間はほとんどなく、翌朝、飛行機の時間の前に旭川市博物館へ。
稚内の開基百年記念塔と重なる説明がありましたが、アイヌの話が丁寧に説明されていました。

普通に習う「日本史」では、縄文時代から、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代と進みますが、北方では縄文時代以降、稲作が出来なかったこともあり、異なった歴史を歩んでいきます。
弥生時代ではなく縄文時代が続き、続縄文時代に入ります。北方の大陸からの移住者によるオホーツク文化、さらにそれらが混淆して擦文時代になります。これが平安期から鎌倉時代まで。
その後アイヌ文化に進みます。
知られていませんが、九州だけではなく、サハリンでもアイヌが元との争いを13世紀に経験しています。
アイヌ文化というと独自の文化という印象を持っていましたが、文化や経済的にも倭人との交流は密でした。
そうした互恵的な関係が、江戸時代、そして明治時代と一方的なものへの変わってきてしまい、現在に到ります。

最後の飛行機も珍しく晴れていて景色がよく見えました。
旭川は上川盆地にあり、主要な河川が交わる場所となっています。
北海道の異国感というのは、日本の田舎で見られる田んぼがないからだと思っていましたが、旭川は米所。
ビルが建ち並ぶ中心部を田んぼが取り囲んでいることがよくわかります。
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