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鹿児島・知覧旅行 [旅・出張]

世界遺産に登録されたので、というわけで計画したのではないですが、海の日の3連休で鹿児島と知覧を旅行をしてきました。

初めての海外旅行から貯まっているBritish Airwaysのマイルで、同じワンワールドのJALの便を予約するというちょっと複雑なことをやったので、搭乗手続がちょっと手間だっただけではなく、土曜日の昼間に出発して、月曜日の朝に戻ってくると言う実質1.5日の日程。
まあ、普通に運賃を払うと高いので、贅沢な旅行とも言えますが。

■鹿児島

鹿児島空港に到着するとにわかに土砂降りの雨。
東京はこの日梅雨明けだったのに。

鹿児島は九州第4の都市で、結構大きな街です。
長崎より大きい。

まずは照國神社。古い神社だと思ったら、島津斉彬公を祀ったものであるとのこと。
裏手の山が城山と呼ばれる山です。
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少し街を歩いてみると、鹿児島の街は銅像が非常に多く、また、古い建物もそれなりに残っています。
第二次世界大戦で何度も空襲を受けたので、相当焼けてしまったらしいですが。
また、大通りは電柱が地中化されているので気持ちがいいです。
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ちょうどこの時期は六月灯と呼ばれる神社の祭りが場所を変えて続いているらしく、さらにこの連休はおぎおんさあ(祇園祭)ということで、前日から神輿が出たり、前夜祭として公演でイベントが行われていました。
肝心の祭りは翌日で、その日は知覧に行ってしまったのですが、電車通りと呼ばれる市電が走る道も歩行者天国になるのだそうです。
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車社会のようですが、(日本最南端の)市電も走り、バスも多いので、比較的旅行者も移動しやすいです。

到着日はなぜかあまり酒を飲みたくなかったので、あっさり就寝。


翌日は朝からバスで、登録ほやほやの世界遺産巡り。
異人館はイギリスから招いた技師のために作った住居で、2回引っ越しして現在の地にあります。
建物の形も引っ越しを経て修正されており、従来は煙突もあり、2階もガラス窓ではなくテラスになっていたとのこと。
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基本的に「洋館」ですが、日本人の大工が作ったため、寸法が尺であるだけではなく、ドアのノブが座って開けるくらいの低い位置になってしまっています。
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異人館の次はガラス工場もあり、薩摩切り子を売っています。
美しいが、高い!
薩摩切り子は実は作られた期間は幕末の一時期だけであり、その後現代になって技術を復活させたものだそうです。

その奥が仙巌園(せんがんえん)。
島津家の別邸があった公園ですが、そこの隣に集成館の跡があります。
集成館は、「日本発の工業団地」ということで、薩摩藩が列強に植民地化されないためには産業振興が必要であるという考えから、維新前から製鉄所(反射炉)や、機械工場、紡績所、造船所、ガラス工場などを設置した場所です。


これが反射炉の跡。
薩英戦争で破壊されてしまったため、基礎部分しか残っていません。
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仙巌園は続きで見ることができて、桜島と錦江湾を借景にした景色を見ることができます。
昔はなかったらしいのですが、今は生け垣があり、その向こうに道路と鉄道が通っています。
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その他、機械工場が尚古集成館の本館で、現在は博物館になっています。


■知覧

集成館からバスを乗り継いで知覧へ。途中山を越えたり、結構遠い。

知覧は特攻隊と茶と武家屋敷で有名です。
大学生のころに知覧という特攻隊に関する本を読んだこともあり、また、重伝建ファンなので、一度来てみたいと思っていたところです。

到着後昼食をとって、特攻平和会館へ。結構混んでいて、若い人も多いです。
展示はワンフロア、戦闘機の展示が目を引きますが、大半は写真、手紙、年表で、淡々と展示されています。
さっと見るなら一瞬で終わりますし、一つ一つ読んでいけば一日では足りないでしょう。
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目に付いたもの見ただけですが、かなり重い気持ちになります。

女学生がで書いた血書に、「散ればこそ世に惜しまれる櫻花」という言葉がありました。桜に例えた文は多くありました。
両親や家族にあてたメッセージも多いですが、中でも母親に向けたものが多いのだそうです。

8/15の翌日に自決した海軍中将・大西瀧治郎の遺書は、命を落とした特攻隊員へ死を持って詫びると共に、一般青壮年に対して、次のような言葉を残しています。
「平時に処し猶ほ克く特攻精神を堅持し日本民族の福祉と世界人類の和平の為、最善を尽せよ」
日本人だけではなく、世界人類の和平に言及しているところが印象に残っています。

不勉強だったのですが、特攻攻撃が行われたのは、終戦直前の一時期だけ。本格化したのは1945年の4月です。
戦争が、一年でも早く終えられていれば、沖縄戦も原爆も本土爆撃もなかったのですよね。

この写真も展示されていました。非常に有名なようですね。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Youngest_kamikaze_only_17_years_old.jpg

たまたま知覧に立ち寄った新聞記者が撮影した写真ですが、彼らは17-19歳。今で言えば高校生か大学生の歳です。
記者がいつ出撃するかを聞いたところ、翌日とのことで、実際に翌日に出撃して皆亡くなりました。
自然な表情や笑顔は、覚悟を決めた人間の表情というのでしょうか。

ビデオ映像の上映も見ましたが、後ろからはすすり泣きが。というか私も同じような状態でしたが。

もっとも国益を損なうことは、国民の命を失うことです。
安全保障について意見が対立し、議論ではなく、汚い言葉でののしり合っている現状を見ると、とても恥ずかしいことだと思います。
よく勉強して、よく議論し、道を誤らないようにしなければならないと思いました。


さて、特攻平和会館で随分時間を食ってしまったので、超駆け足で隣の知覧ミュージアムを見て、武家屋敷まで歩きました。
武家屋敷は15分で7つの庭園全部を見たので、何が何だか分かりませんでした。もっとゆっくり旅行をしたいものです。
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知覧は小さな街ですが、電柱も地中化されていて、水路には鯉が泳ぎ、のんびりとしています。
お茶の産地でもあるそうです。
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バスで鹿児島まで戻り、少し(相当?)飲んで、翌日朝の便で東京に戻りました。



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