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広島旅行 [旅・出張]

少し時間が経ってしまいましたが、1月の成人式の連休は、広島を旅行してきました。

例によってマイレージを使って飛行機で。さらに一泊はホテルの優待券を使いました。

■宮島

広島空港への到着は少し遅れましたが、そのまま、バス、鉄道、船で宮島へ。
実は、今回来るまで、厳島神社って島にあるとは知りませんでした。

宮島に渡ると門前町が並び、観光地。さすが世界遺産、外国人も多いです。
有名な鳥居。近くで見ると、結構元の木のでこぼこを残したワイルドな作りになっています。
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名物とされるあなご飯を食べ、厳島神社で「初詣」をして、宝物館を見ました。
レプリカのようですが、平家納経は料紙が美しく、平安時代の美術の華やかさを感じることができました。

ちょうど昼が満潮で夕方が干潮だったため、帰るときにはかなり水が引いていました。
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焼ガキを食べて、船と鉄道で広島に行って、お好み焼きを食べて、バーで飲んで就寝。

■広島

ホテルの朝食のバイキングではがんすという食べ物。魚版のハムカツみたいなものですけど、良いですね、こういうローカルな食べ物。

グロテスクなものは得意ではないので、最初は原爆ドームを見たら美術館で見て回ろうと思っていたのですが、市電で原爆ドーム前まで行き、原爆ドームを見て、原爆の子を見たら、自然に足が広島平和記念資料館に向かっていました。
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写真やマネキンを使った展示は残酷ではありますが、何が心に訴えるかと言えば、家族を失った悲しみ、家族を残して死んでいくことの悲しみでしょうか。
独身で両親も亡くなっている私は「家族を思う」ことが普段ないのですが、久し振りにそうした感情がこみ上げて悲しくなりました。

帰り道、年配の男性に核廃絶の署名を求められました。
核兵器の悲惨な被害を繰り返さないためには、何より戦争を起こさないこと。
では、戦争を起こさないためにはどうすれば良いのか。
抑止と均衡論に諸手を挙げて賛成するわけではありませんが、核兵器の存在によって抑えられた戦争もあったかも知れません。
少なくとも、核廃絶の署名を積み上げることでは無い気がしました。
名前を書くだけのことですが、真摯に活動されているのに対していい加減に対応しては失礼な気がしました。
「いろいろ考えさせてください」と言って、断ると、「わかりました。」と穏やかに去って行きました。

観光客が多くなってきた原爆ドーム前では被爆者を親に持つ方(そういう時代になりました)が被爆体験を語っていました。この段階ではもう涙が出そうだったので、ずっと下を向いて聞いていました。

ということをしていたら、あっという間に予定時間ぎりぎりになり、広島バスセンターにダッシュ。
さんようバス 蒲刈・豊浜・豊方面でとびしま海道に出発。


■御手洗

バスは呉を通り、下蒲刈島に渡り、上蒲刈島、豊島を通って大崎下島の御手洗港に13:30ごろ到着。

御手洗は今ではひっそりとした小さな街ですが、重要伝統的建造物群保存地区の街並みが残っています。
そのシンボルとなっているのが常盤町通り。
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かつては常盤町通りの建物も崩れ落ちる寸前でしたが、重伝建となり、補修されて電柱も埋設され、今の姿になりました。これは平成3年の台風被害がきっかけとのことです。

江戸時代に西回り航路が開拓され、さらに「沖乗り」といって大型の船が岸を離れて運航するようになると、来島海峡の潮の向きが変わるのを待つための港として御手洗が発展します。
港町の常として遊郭が設けられ、
「御手洗港を素通る船は親子乗りかよ金なしか」
と歌われていたそうで、宮島、尾道に次ぐ色里として栄えました。
最盛期は人口の2割が遊女だったといいます。

常盤町通りに限らず、昔の街並みが残っていますが、歩いて目に付くのが一輪挿し。
多くの家に、季節の花、そして句が加えられたりしています。
婦人会の活動のようですが、街を美しくしようという気持ちが伝わってきます。
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千砂子波止(ちさごばと)と住吉神社、高灯籠を見て、船宿で船の模型を見ました。
これはおちょろ船と呼ばれ、昭和33年の売春防止法で廃れるまでは、この船に遊女を3~4人乗せ、上陸できない位の低い船員の相手をしたそうです。
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満舟寺、大東寺を見ましたが、なかなか凝った建物です。
木鼻も変わったデザインで、象の顔になっていたりしますし、屋根の上にも神様が乗っていたりします。
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普通の家のちょっとした意匠も凝っていて、往時を偲ばせます。
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この建物は100人近い遊女を抱えていた若胡子屋(わかえびすや)で、現在は遊女に関する展示、御手洗の昔の写真がありました。売られてきた女性たちは苦労があり、いろいろな話が伝わっています。
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最後においらん公園を通って、展望台に上りました。これは相当急な階段でばてばてでしたが、御手洗の街を一望できます。現在の街並みは、この写真の左右が埋め立てられて形成されたものだそうです。
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で、またもや時間ぎりぎりになり、大長港(おおながこう)まで最後は走り、船で竹原へ。
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寿司を食べ、もう少し飲んで就寝。


■竹原

朝は竹原の街並み保存地区へ。
泊まっていた駅近くから少し歩き、山の麓に重要伝統的建造物保存地区の街並みが残ります。
最近見た覚えがある人も多いのではないでしょうか。
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NHK朝ドラ「マッサン」の竹鶴政孝の生家がここにあり、ロケも行われました。
さすがに竹鶴政孝の生家である小笹屋は人も多いです。

照蓮寺の屋根。
このあたり、御手洗もそうでしたが、鬼瓦が本当に鬼。
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西方寺まで行き、普明閣まで上ると竹原が一望できます。
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竹原は、塩の生産地として栄えました。
山沿いに古い街並みがありますが、実はそれ以外の部分、今の街の中心部となっているところは塩田だったそうです。
竹鶴政孝の生家も酒造りだけではなく塩も作っていたそうです。


■鞆の浦

竹原から鉄道で福山に出て、バスで鞆の浦に。
まずは腹ごしらえ。
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ここも観光地となっていますが、思ったより古い家は多く残ってはいませんでした。

医王寺までのぼると、港を見渡すことができます。
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鞆七卿落遺跡である太田家住宅。
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ここでは、今でも鞆の浦の名物となっている保命酒という薬用酒が造られていて、幕府に納められていました。
しかし、幕府が倒れると競争が激化してしまい、製造を終えてしまったそうです。
豪勢な家で、奥の部屋からも屋敷を斜めに見通して海が見えるように設計されています。
いろいろ説明をしていただきましたが、鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中心に位置していて、潮の満ち引きで東西両側からの潮の流れがぶつかるところであり、どちらから来ても潮の流れが変わるまで待たなければならないため、港として栄えたそうです。なるほど。

バス停となっているインフォメーションには鞆鉄道の展示がありました。かつては福山から軽便鉄道が走っていたといいます。なので、福山と鞆の浦を結ぶバスは「鞆鉄バス」です。

ここで時間切れ。
バスで福山に戻り、さらに広島空港に戻って帰ってきました。

欲張りすぎて、慌ただしかったのですが、歴史を感じられる広島の旅、今年初の旅としてなかなか満足でした。

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