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釜石・気仙沼・平泉旅行 [旅・出張]

このところ旅行や出張が多く、一体いつの旅行記を書いているのか訳が分からなくなってきますが、3日間、東北を旅行して来ました。

会社の創立記念日があって3連休になったのと、勤続20周年で旅行券をもらったのとで、国内の鉄道旅行です。

震災後から何回か南三陸を旅行していて、考えること多だったので、被災地を一通り見てみようという気になっています。その一環です。

■釜石

東北新幹線で盛岡まで行き、逆向きの新幹線に乗り換えて新花巻まで戻ります。そのほうが早いみたいです。
新花巻で釜石線に乗り換えるのですが、なんと釜石線は一旦駅の外に出て回り込んで、階段を降りて上ったところに乗り場があり、ゆっくり歩いていたら乗り遅れそうになって焦り、最後は走って飛び乗りました。

釜石線終点の釜石は言わずと知れた鉄の街。
駅を出るとどーんと目の前に新日鉄。街は駅から少し離れたところにあります。
何でも、釜石は、新橋~横浜、神戸~京都に続き、日本で三番目に鉄道が通されたのだそうです。
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釜石の街はそれほど被害を受けていないように見えますが、中心は1Fが水没したようです。
すっかり痛んでしまった街の復興を目指して、イオンが新しくできていました。
土台がかさ上げされて作られています。
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夜はプレハブの仮設の飲み屋街で寿司。おまかせはなかなか良くて、マンボウも出てきました。
こうした仮設商店街は被災地のどこにもありました。
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これといった観光地もない釜石ですが、鉄の歴史館を見てから、べたに釜石大観音という「高いところ」にのぼってみました。
釜石の海が一望できますが、壊れた堤防が見えます。
深い海に築いた巨大な堤防はギネスブックにも載っていたそうですが、津波を食い止めることができず、破壊されてしまいました。
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■大船渡

翌日は釜石から南三陸鉄道南リアス線で出発。
三陸沿岸を走る鉄道はJRの区間と南三陸鉄道の区間がありますが、運休が目立つJRと比べ、全線開通した三陸鉄道はがんばっています。
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この地方特有の地形のせいで、トンネルが多く、そこを抜けると入江が広がり、街が広がり、川を橋で渡っていきます。
きれいな風景ですが、どの入江でも海沿いは集落が消えて、重機で工事をしています。

「あまちゃん」の鉄道として観光客が多く、窓の外では地元の人が笑顔で手を振ってくれるので、あまちゃんの最終回みたいで、ちょっとうるっとします。

さて、三陸鉄道の終点の盛を降りると大船渡。JRの代行のBRTに接続できるのですが、少し歩いてみました。
大船渡はやはり入江で長い町。最初は普通の田舎の住宅街でしたが、30分くらい歩いて海が近くなると、何もない更地となり、巨大な工事現場になります。震災前は街があったのだと思いますが、車が通るばかりで人がいないです。
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ちょうど一区間歩き、「大船渡駅」からBRTに乗って陸前高田へ。


■陸前高田

陸前高田でBRTを降りましたが、高台で、目の前にコンビニ、後ろに市役所があるだけで何もありません。
観光案内所があったので地図をもらって街であった方向に下ります。
栃ヶ沢ベースと呼ばれる復興商店街でそばを食べ、さらに海に向かって歩きます。

ここは今まで見た中で一番酷い。何もないです。
眺めているとかつての家の土台らしき部分や鉄道跡のようなものが見え、その一方で、かさ上げのための山があり、表現が適切か分かりませんが、テオティワカンの遺跡を思い出しました。
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海沿いには巨大なパイプラインが走り、高台を造成した土を運んで平野のかさ上げをしています。
そんなところに有名になった一本松があります。
何もない中でちょっとした観光地になっていて、高速道路のパーキングエリアのように店が集まってきています。
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■気仙沼

またBRTに乗って、終点の気仙沼まで。
ここは大きい街。

港までちょっとありますが、歩くとやはり周辺は被害の後で工事現場のようです。
ただし、高台もあるので、その上には立派なホテルがあります。
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明るい家に、「リアス・アーク美術館」に行きましたが、衝撃を受けました。
そもそも行くときに乗ったタクシーの運転手さんは被災者で、写真を見せて、家族を亡くした話をしてくれました。言葉を継げませんでした。

「リアス・アーク博物館」は三陸の文化を残す方舟というコンセプトで作られた美術館ですが、震災の経験を考えると、そのコンセプトは深い意味を持つようになってしまったように思います。

展示は大きく分けて2つあり、1つは三陸の歴史、文化について。
昔の人の魚釣りの道具などが丁寧に解説されていて、かなり時間を要しました。

もう一つの展示が、震災。
多くの写真が解説付きで説明されており、その他、発見された携帯電話など遺物がたくさんあります。
「美術館の手法で震災の記録を残す」という考え方のようで、単純な写真の展示以上に強いメッセージを感じます。

「瓦礫ではなく被災物と呼ぶべきだ。」
「運良く助かった、運悪く亡くなったという。しかし、運が良かった、悪かったで終わらせてはならない。被害があったところには必ず理由があり、それを教訓にしなければならない。」

当日のNHKでも暗闇で燃えさかる映像を見たのを鮮明に記憶していますが、有数の漁港である気仙沼では船の燃料を海沿いに保管しており、それが津波で流された結果、火災になってしまいました。
震災直後は混乱しており、しばらくは何が起こっているのか現地でもよく分からなかったようです。
また、冷蔵されていた魚介類によって街が酷い匂いだったようです。これも写真だけでは分かりません。

待っていてくれたタクシーの運転手さんと話しましたが、震災の被害は人それぞれですし、復興事業で羽振りがいい人もいます。そうした状況の差が被災地の人達に複雑な気持ちを抱かせているようです。
飲み屋で周りの会話の内容を聞いているだけで、まだまだ震災後の非常時であるように感じます。
東京ではとうに廃れてしまった復興支援の看板やステッカーもそのままです。
ようやく復興の段階に入ったものの、差が顕わになってきたのが現時点の姿のようです。

夕食はまた寿司へ。
突き出しがマンボウの卵巣で、これもなかなかいけました。
店で他の客とも話をしました。

その後、港近くの復興商店街でさらに飲んで食べ、ホテルに帰還。

翌朝は港で魚市場を見学。
見学者用の渡り廊下が整備され、なかなか面白いです。
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■平泉

内陸に戻って平泉。
世界遺産になったものの、非常に非常にのんびりしています。
平日だったこともあるでしょうが。

奥州藤原氏の華麗な建築の数々、と言いたいところですが、ほとんど鎌倉時代に失われており、何にも無い「跡」を見ると言うことになります。
これは毛越寺です。
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観自在王院跡、平泉文化遺産センター、中尊寺の本堂と金色堂、高舘義経堂、無量光院跡、柳之御所遺跡と資料館を見ましたが、これは、というものは金色堂くらいでしょうか。

紆余曲折があったものの、よく世界遺産になったなあ、という気もします。

■一ノ関

東北本線と新幹線の乗り継ぎ時間で、ざっと一ノ関を歩いてみました。
武家屋敷旧沼田家住宅を見学し、商店街も歩きましたが、貸店舗、空テナント、入居者募集と言った看板が目立ち、厳しさを感じます。
津波の被害がなくても、街は失われてしまうのではないか、との感も持ちました。

なぜかILCの誘致をやっていますね。
地域興しになるんでしょうか。
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今回、一つの街を訪れるのではなく、いくつか見たことで被害の違い、復興段階の違いを目の当たりにしました。
がんばって残りの街も回らねば。
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