So-net無料ブログ作成

中国残留孤児 [高谷について]

永住帰国した中国残留孤児が国に損害賠償を求めて訴えましたが、東京地裁に棄却されて敗訴となりました。

朝のテレビで、若者にインタビューをしていましたが、そもそも中国残留孤児を知らない人が多いということでした(という編集でした)。

そう言えば、昔は中国残留孤児が肉親捜しのために来日しては、肉親を見つけて抱き合う、というニュースを何度も見たように思いますが、最近は見ないですね。

私の父は、そういったニュースを真剣に見ていたと言います。
祖父の家族は満州からの引き揚げだったので、子供だった父は中国残留孤児と同じ境遇になってもおかしくはなかったからだと思います。

祖父は満州で軍の情報関係の仕事をしていたらしく、ソ連の対日参戦もいち早く知る立場にあったようです。そのこともあってすぐさま帰国しようとして、最後の引き揚げ船に間に合ったと聞いています。

祖母の話では、鉄道で移動したとき、女子供ばかりで、祖父ともう一人しかいない男が銃で武装して守っていたとのこと。

叔母の話によれば、扉もない列車だったため、子供を抱いていた母親が寝てしまった間に子供を落としてしまい、目を覚まして気づいて取り乱していたという光景も見たそうです。

肝心の父は、4歳くらいだったはずなので、そのあたりの記憶はなかったようです。
大連に住んでいたと言うことですが、唯一の記憶としては、何だか道を挟んで中国人らしき子供と石を投げ合っていた気がするくらいだと言っていました。

今回の判決は、法律論としてはやむを得ない気もします。
しかし、国の責任は別として、苦労をされてきた高齢の「日本人」が、穏やかに人生の終盤を過ごせる環境を作ってあげられないものかな、とも思います。

意に反して日本に帰れない生活をせざるを得なかった、と言う意味では、北朝鮮に拉致された日本人とも同じだと思うのです。
日本語が不自由だから、と言うのは、同胞意識をかき立てる上では大きなデメリットになっているんだな、と感じますね。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(2) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 3

konishi

実は、実家のある所沢に残留孤児の皆さんが帰国時に入れる施設があったように記憶しており、子供ながら身近な話題としてニュースをみていました。

裁判はやむをえないのではないかな・・・もっと早くに出来ていれば・・・という部分はあるんでしょうけどね。
by konishi (2007-01-31 09:41) 

akko

えぇー、中国残留孤児を知らない若者が多いって・・・、学校で習わないのでしょうか?

>子供を抱いていた母親が寝ていた間に子供を落としてしまい、起きてから取り乱していたという光景も見たそうです。

いつまでも忘れられない光景なのではないでしょうか。今の日本では考えられないような現実を体験した方々の話を直接聞いて、記憶にとめ、次の世代に伝えていくことって、大切なのではと改めて考えさせられました。
by akko (2007-01-31 16:02) 

高谷徹

いくつかのブログで見ると、中国残留孤児に対しては好意的な意見と、そうでない意見があるようですね。

「日本語を覚えない」ということについては、私も心情的な抵抗感がありますが、そもそもそれも、本来しなくても良かった苦労ですし、英語も満足にできない私はとても批判できないし。

帰国した孤児だけでなく、養育してくれた中国の親にもきちんとした対応がされているかどうか心配です。
by 高谷徹 (2007-02-04 00:18) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 2