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ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信 [芸術]

サラリーマンとしても大学生としてもなかなか時間が厳しい中、いくつか会期末が迫っている展覧会があり、その一つに千葉まで遠征してきました。

「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2017/0906/0906.html

鈴木春信は浮世絵の中でも好きな絵師の一人です。

浮世絵は版画なので、肉筆のものを除けば複数の刷りがあるのが普通ですが、春信の作品は一図あたりの点数が少なく、さらに現存するものの8割は海外にあると言われているそうで、これだけ揃ったものを見られる機会は少ないそうです。

より多様な画材が使えるようになった後の時代に比べて、春信の時代の浮世絵は「錦絵」と言われていても、色は渋く落ち着いています。逆に数多く見ていても疲れないように感じます。
空刷りというエンボス加工を使っていたりして、それも品がありますね。

また、浮世絵が後の時代ほどには大衆化していないからでしょうか。
絵暦や見立て絵など、「誰が見てもわかる」と言うより、「わかる人が見ればわかる」という知的な遊びがあります。

中性的な顔つき、あり得ないようなすらりとした体型、写実的と言うより様式的な服のカーブなどは春信だけの特徴だと思っていたら、この時代の浮世絵は同じようなものが多いんですね。石川豊信とか知りませんでした。
構図や画題もほぼ同じものを複数の絵師が手がけていたようです。

ボストン美術館の所蔵品だけで圧倒される点数がありますが、同時開催で所蔵品による関連展示もやっていて、これもなかなか良かったです。
春信の時代に近い、南蘋派、円山応挙、曾我蕭白、伊藤若冲、池大雅の絵が展示されていました。

「江戸美術の革命−春信の時代」
http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2017/0906_2/0906_2.html

市の美術館なのに、なかなかやりますね。

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天下を治めた絵師 狩野元信 [芸術]

三連休、皆に「どこに旅行するの?」と言われましたが、放送大学の卒論の提出も近いので、今月は我慢です。

とはいえ、三連休でもあるので、サントリー美術館の「天下を治めた絵師 狩野元信」をさっと見てきました。
http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2017_5/

狩野派と言えば日本美術のジャイアンツのような位置づけでしょうか。
色鮮やかなやまと絵の伝統と、南宋の影響を受けた水墨画の両方を統合して江戸時代まで君臨します。
そのはじまりは狩野正信で、室町時代の狩野元信は二代目。有名な狩野永徳は元信の孫にあたります。
元信はいろいろな絵の様式を、書になぞらえて、真体画、行体画、草体画として整理して体系化します。
前者になるほどいわば写実的できちんと書かれていて格式が高い場所に置かれ、後者になるほど崩しているということだそうです。

狩野元信らの絵だけではなく、そこに大きな影響を与えた牧谿、夏珪、馬遠といった南宋の画家達の絵も展示されています。
ただ、南宋の絵画で特徴的な辺角の景は元信には取り入れられているようには見えず、ずっと時代が後の探幽に現れてくるのは面白いな、と思いました。

昔は水墨画、山水画は退屈だと思っていましたが、疲れて現実逃避したいときには良いものですね。


http://digital.asahi.com/articles/DA3S13135326.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E9%87%8E%E5%85%83%E4%BF%A1


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福島といわき [旅・出張]

福島といわきを旅行してきました。

このところ飛行機のマイレージを使っての国内旅行が多く、実は飛行機で行けない近場が盲点です。
また、東日本大震災の被災地は北海道から岩手、宮城と見てきたので、福島も行ってみたいと思っていました。

そこで福島県。広いので、今回は東半分、福島といわきを車で回ってきました。

初日は東北道で猪苗代湖によってから福島へ。

雨男なので日本列島台風縦断と重なりました・・・。
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そして県庁所在地の福島、泊まってみたものの、これが定番の名所というものがあるわけではなく、つかみ所がない街ですね。
いか人参や、餃子を食べました。



翌日は福島からいわきに向かって出発。
最短距離より少し北を回り、飯舘村(いいたてむら)のあたりを通過してきました。

飯舘村は2017年3月31日に一部を除いて避難解除されました。
http://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list271-840.html
福島がある中通りと、太平洋側の浜通りの間は阿武隈高地となっています。
植生が違い、松が目立ちます。まるで北海道のような美しい景色です。
除染土と思われるシートに覆われた台形の山がぽつぽつあるものの、平和そのもの。

「いいたて村の道の駅 までい館」が2017年8月12日にオープンしていて、新しい館内にはしゃれたディスプレイで名産品が売られています。
一角には花が多く売られていました。飯舘村の名産品なんだそうです。
復興はようやくこれからだと思いますが、頑張って欲しいです。
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/site/kanko/1404.html
https://www.facebook.com/michinoeki.madeikan/

浜通りまで出て、南相馬から常磐道へ入って南下。
浪江ICから常磐富岡ICまでの間は帰還困難区域に入ります。
路肩に線量計があり、数字が表示されていますが、概ね低く、局地的に高くなっていました。
ここで見てもその傾向が見て取れますね。
高速道路なので、通過はあっという間です。
https://jobando.jp/senryo/genzai.html

ドキュメント72時間で取り上げられた夜ノ森公園に行きたかったのですが、天気が悪いし、スクリーニング場などあり、ややこしいのであぶくま洞へ。

ここは1969年(私が生まれた年)に発見された、比較的新しい鍾乳洞。
周囲に何もないところにありますが、なかなか賑わっています。
公共交通機関では来にくいと思いますが。
追加200円で探検コースという追加ルートを通ることが出来ます。
ただ、ここはかなり狭く、おそらくお相撲さんだと通れないでしょう。
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続いて、福島県の国宝、願成寺(がんじょうじ)白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)へ。
これは平安末期の藤原清衡の娘であった徳姫が建立した寺で、阿弥陀堂が国宝、中の仏像が重文となっています。
池を渡っていくと阿弥陀堂がある構成は浄土式庭園と呼ぶそうで、宇治の平等院鳳凰堂を思い起こさせます。
ただ、西を向いて祈るレイアウトの平等院と異なり、白水阿弥陀堂は北を向いて祈るようになっていますね。
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阿弥陀堂内部には極彩色で彩られていた痕跡がうっすらと残っています。
仏像はいずれも寄木造りで平安時代中期以降の様式でしょうか。
定朝様と説明されていますが、顔つきはこれまた平等院の阿弥陀堂とは違う気がします。
脇侍は観世音菩薩、勢至菩薩、さらには多聞天と増長天があります。
いずれも平安時代という説明ですが、観世音菩薩と勢至菩薩は直立しており、勢いを見せる多聞天と増長天とは同じ時代のものだというのは不思議な感じがします。
四天王のうち、持国天と多聞天の2つしかないのも不思議です。
残念ながら、仏像は撮影禁止でした。

この日の最後はいわき市石炭・化石館ほるるへ。
首長竜などの化石の展示も面白いですが、炭田の展示は人形なども使って再現した本格的なもので、見応えがあります。
そもそも常磐炭田というものがあったことさえ知りませんでした。
エネルギー政策の転換で閉山となったものの、現在でも日本の火力発電では石油より石炭が多いそうです。
当時から温泉が湧き出て採掘の妨げともなっていましたが、閉山後はこれを使ってスパリゾートハワイアンズを作り、成功しました。

夜はいわきに泊まり、メヒカリの唐揚げを食べました。
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雨が相当強くなっていました。



最後の日は台風一過、強い日差しの日となりました。

午前はアクアマリンふくしまへ。
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ここはとても真面目な水族館です。
「カリスマ種に頼らない」という方針で、主役は普通の魚です。
鰯の群れは迫力がありますし、秋刀魚が泳いでいるのは初めて見ました。

また、キハダマグロやカツオが泳いでいる水槽の前で寿司を売っています。
アジなどを釣るコーナーや、焼き魚や魚料理を作るコーナーも設けられていて、人間と魚との関わりを考えさせるように工夫されています。

福島第一原発関連の展示もあります。
小名浜港の魚の放射線量は、大きく減少しているそうです。
グラフを見ても、最初の一年半くらいで劇的に減少しています。
震災直後は姿を消した釣り人も、放射線量が減ったことを知り、翌年からアジ釣りに戻ってきたそうです。
県内の木戸川は鮭で知られていましたが、津波でふ化場が被災し、原発事故の影響で避難地域になってしまいました。
鮭の量は放流量に強く依存しているため、当然ながら数は大きく減ってしまいました。
しかし、人間の手が入らず、簗場がない川を遡る鮭の写真は印象的でした。

小名浜港の向かい側にはいわき・ら・ら・ミュウという物販施設があり、魚売場やレストランが集まっています。
2Fは博物館となっており、いわきの被災に関する展示が続けられていました。
いわきは津波の被害を受けた上に、一か月後にさらに強い地震に襲われ、原発事故の影響を受けたため、復興は大変だったと思います。応援に来た大分県警の訓示など、心を打ちます。
ここも1Fは津波の被害を受けたようですね。
前では台風で延期になった秋刀魚のお祭りをやっていて、炭火焼きのいい匂いがしていました。

最後は塩屋埼灯台(しおやさきとうだい)へ。
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ここは登れる灯台として知らされていて、それほど大きな施設ではないですが、高台の上に立っているので絶景です。
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海は台風直後のせいか、とても荒れていました。
海の写真の左側、津波で被災したと思われる地区が見えますね。
小さな資料館を併設していて、この灯台も地震の被害をかなり受けたことがわかります。

最後は常磐道で一気に東京に戻りました。


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稚内旭川旅行 [旅・出張]

暑い東京を離れて北海道に行ってきました。

まずは稚内へ。
日本が実効支配している領域で最北の宗谷岬。
北海道らしく腹ごしらえしてから海を望むと、(私の旅行には)珍しく晴れていて、サハリンが見えました。
雲の下の水平線にサハリンが広がっていますが、ちょっと写真では見にくいかも。
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続いてノシャップ岬へ。
ここは最北端ではありませんが、夕陽の名所で、観光客が多く集まっていました。
これまた写真だと違ったように見えますね。
日没は、沈んだ後も空の色が変わっていってきれいです。
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翌日も快晴で、街の後ろにある小山、稚内公園へ。
稚内の全景が見渡せ、最北端だけあって空気も涼しく、快適。

公園内にはサハリンに関連した碑がいくつか残されています。
これは9人の乙女の碑。
日本が支配していた樺太(サハリン)の真岡、8/15以降もソ連軍が当時の国境を越えて進軍してきました。
電話交換手だった9人の女性は、最後まで任務を全うし、この言葉を残して服毒自殺したそうです。
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Wikipediaにも説明がありますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

また、ロシアのサハリンと言いますが、日本の立場として、南サハリンは帰属未定地と言うことになっています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/topic.html


公園内には開基百年記念塔という塔があります。
それほど高い塔でもないですが、高台に立っていることもあり、これも絶景。
1Fと2Fは稚内の歴史について紹介されていて、また、サハリンについても紹介されています。
稚内は稚泊連絡船(ちはくれんらくせん)の出港地として発展しました。
そして、戦後も漁業で栄えたものの、200海里規制以降はそれも衰退してしまいました。
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昔はロシア人が多かったとも聞きましたが、今でも標識などは日本語、英語、ロシア語です。
アーケード街という商店街、ご多分に漏れずシャッター街になりかけていますが、表示がロシア語です。
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昼食後、特急で旭川へ。
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北海道のローカル線、楽しみにしていたのですが、車窓は森ばかりで変化がなく、携帯電話も圏外になったままで、飽きてしまいました。
鹿が多いため、急ブレーキをかけることがある、という放送が何度も流されます。

旭川に着いたのは夕方。
旭川は北海道・東北で、札幌、仙台に次ぐ規模の大都会です。

観光する時間はほとんどなく、翌朝、飛行機の時間の前に旭川市博物館へ。
稚内の開基百年記念塔と重なる説明がありましたが、アイヌの話が丁寧に説明されていました。

普通に習う「日本史」では、縄文時代から、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代と進みますが、北方では縄文時代以降、稲作が出来なかったこともあり、異なった歴史を歩んでいきます。
弥生時代ではなく縄文時代が続き、続縄文時代に入ります。北方の大陸からの移住者によるオホーツク文化、さらにそれらが混淆して擦文時代になります。これが平安期から鎌倉時代まで。
その後アイヌ文化に進みます。
知られていませんが、九州だけではなく、サハリンでもアイヌが元との争いを13世紀に経験しています。
アイヌ文化というと独自の文化という印象を持っていましたが、文化や経済的にも倭人との交流は密でした。
そうした互恵的な関係が、江戸時代、そして明治時代と一方的なものへの変わってきてしまい、現在に到ります。

最後の飛行機も珍しく晴れていて景色がよく見えました。
旭川は上川盆地にあり、主要な河川が交わる場所となっています。
北海道の異国感というのは、日本の田舎で見られる田んぼがないからだと思っていましたが、旭川は米所。
ビルが建ち並ぶ中心部を田んぼが取り囲んでいることがよくわかります。
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中欧・東欧旅行(ダイジェスト) [旅・出張]

遙か昔に感じますが、夏休みは中欧、東欧の5か国6都市をさーっと巡ってきました。

まず、ロンドン経由でポーランドのクラクフ。
近郊のヴィエリチカ岩塩坑へ。ここは世界遺産になっています。
坑内に教会がいくつもあります。
事故が多い現場、祈ってから仕事を始めたそうです。
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そして、翌日はアウシュビッツへ。
これはガス室。意外に小さい。
何でもない建物ですが、ここで何人もの命が奪われたことを考えると厳粛な気持ちになります。
近郊のビルケナウも見学しました。
戦後、多くの関係者は「自分は命令に従っただけだ。」と言ったそうです。
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クラクフの街自体も世界遺産になっています。
大きな広場に面した聖マリア教会、まあ普通の教会でしょう、と思ったら青で埋め尽くされた美しいものでした。
カトリックの国ですが、他の教会の建物も、イタリアのルネッサンス様式のようなものがあったりして、中欧というのは不思議なところです。
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さらに、皆ピエロギという餃子をばくばく食べていて、中欧というのは不思議なところです。
皮は日本の餃子より少し厚いものの、焼いたもの、煮たもの、揚げたものがあり、中身も豊富。
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堪能したクラクフの次は、夜行列車でスロバキアのブラチスラバへ。
首都とは言え、とても小さな街で、これといった見所も限られています。
でも、これぞ欧州の街という落ち着いたところで、こざっぱりとして雰囲気の良いところでした。
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今度はドナウ川を船で遡ってウィーンへ。
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べたな観光をしてから今度は飛行機で、ルクセンブルクへ。
ここも見所盛りだくさんという訳ではないですが、何より自然の要塞の上に作られた街が面白い。
そして、いろいろな言語が飛び交う不思議な国でした。
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最後の国はベルギー。
最初はルクセンブルクからほぼベルギーを横断してブルージュへ。
かつて交通の要所として栄えたものの、その後衰退したために古い街並みが残っている観光地です。
街自体、かつては今よりずっと人口が多かったそうです。
そして、丸くと広場に立つ巨大な鐘楼も、かつてはこの上にさらに木造の塔が建っていたそうです。
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旧市街は水路で囲まれていてボートで観光できます。
ジグザグな正面が特徴的な屋根は、この地域一帯で見られるものだそうです。
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こうしていろいろな国を続けて移動していくと、国毎に随分物価も異なり、ルクセンブルク、ベルギーはかなり高いです。
しかし、食べざるを得ません。
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最後は鉄道でブリュッセルまで戻り、食事と買い物をして帰ってきました。
ブリュッセルは今週もテロがあったようですが、行った時点でも街には二人組でマシンガンを持った兵士が目立ち、ものものしい雰囲気でした。
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平成29年度1学期(17学期目) [放送大学]

いろいろばたばたしていますが、今学期の成績が出ていました。

[放送授業]
日本の古代中世        B
社会学入門         A○

[面接授業]
道徳性心理学と犯罪性心理学    合
浮世絵の歴史  合


日本の古代中世、落としたかと思ったけどもなんとか。
歴史、下手の横好きですね。


入学してから17学期(8年半)。

卒業までに必要な単位124単位に対して、修得済単位128単位。
ようやくようやく単位数は足りた。
あとは卒業論文を完成させるのみ。
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社会学入門 [放送大学]

今年は卒業論文を書くことになっていて、社会学の観点から書こうとしているので、泥縄ですが、「社会学入門」を履修。

人文社会科学って、分野の領域がよく理解できていないところがあります。
「社会学」は「社会科学」の一領域と言うことになりますが、今回の科目の中身は、家族、ジェンダー、社会階層、都市、少子高齢化、情報化、グローバル化といったもの。
内容は、文化人類学にとても似ている印象です。

未開、他文化を対象とするのが文化人類学、文明、自文化を対象とするのが社会学という印象を受けましたが、ちょっと乱暴でしょうか。
文化人類学も自国の文化を対象にしたりするので境界はますますわからないわけですが。

定量的な分析手法を使うと経済学との境界が曖昧になりますし、社会思想となると哲学とも関わってきます。
そうなると、そうなると人文学と社会学の違いもよくわからないですね。

試験自体は苦手とする有名な研究者の名前だけ、良く反復練習をしたので、かなりうまく行きました。
これにて、学生としてはようやく夏休みです。
(卒業論文をやらなければならないですけど。)

日本の古代中世 [放送大学]

放送大学ではこれまで「日本の古代」、「日本の中世」という科目を履修していて、それぞれ苦労しました。

でも、面白いんですよね。
昔のことでありつつ、近年の研究によって見方も変わってきています。
子供の頃に学校で習った内容とも違ってきています。

と言うことで、今では一つの科目になってしまった「日本の古代中世」を履修してみました。
まあ、相変わらず難しくて、試験も自信を持って回答できたのは半分くらい。

近年の日本史では、支配者の歴史だけではなく、地方の歴史に注目すること、国際関係の中で理解することが重視されているようです。
今回特に興味を持ったのは中世の地方の支配構造です。

土地には国衙領と荘園に分けられますが、共通して地方の土地を意味する下地と、そこからの取り分を意味する上分があります。

国衙領については、中央の朝廷と国司が上分を管理し、地方の群司と名主が下地を管理します。
荘園については、中央の本家と領家(預所)が上分を管理し、地方の下司と名主を管理します。

しかし、鎌倉幕府は地頭を任命しはじめます。
地頭として起用されたのは群司や下司であり、そうなると朝廷・本家と幕府の二つの支配を受けることになります。

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今風に言うとレポートラインが二重になってしまっています。
これがややこしいので、分割して支配をそれぞれ一元化する下地中分も行われました。

戦国時代となる複数の権力体から税を求められる「二重成し」という言葉もあったようです。
現代の感覚だと、統治というのは排他的に行われるものと考えてしまいますが、中世は多重的なものだったようです。


能登旅行 [旅・出張]

国内旅行もいろいろ行ってきたので、最近の注目は離島や半島です。
この連休は能登半島に行ってきました。

午後から出発して飛行機で能登空港へ。
バス、のと鉄道と乗り継いで、最初は七尾へ。
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飛行機から見ると能登半島は山がちではあるものの、あまり高い山は無いようです。
鉄道で走ると、そのゆったりとした山はもちろん、穏やかな七尾湾の海が見え、その間には水田が広がり、黒い瓦の切妻屋根の民家が並びます。
海だけ、山だけ、水田だけ、というのではなく、これらが全部見えて色が美しく、日本の田舎、といった感じです。

七尾は結構大きな街ですね。
ちょうど夏祭りをやっているらしく、縁日の屋台が並んで楽しい雰囲気に溢れていました。
定石のように鮨で夕食、蒸しアワビやノドグロの炙りは美味しい。
そして、サザエなんて食べたのは何年ぶりでしょうか。
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二日目はレンタカーを借りて七尾を出発。
コンパクトカーなのに、自動ブレーキ、車線逸脱警告、ハイビーム切り替え。
時代は進んでいます。

能登島水族館でジンベイザメとイルカを見て、昼は外浦まで走ってこれまた鮨。
ちょっと走っただけなのに、内浦の七尾湾の穏やかな海と違って、波が荒い日本海。
海岸線も起伏が激しく山が迫っています。

走っていると、重要伝統的建造物保存地区の看板を発見し、急遽立ち寄り。
黒島地区は北前船の廻船問屋として栄えた天領で、地区全体が重要伝統的建造物保存地区となっています。全く知らなかった。

港町かと思うと真ん前の海岸の地形を見ても良港という感じではありません。
交易の拠点ではなく、廻船問屋という経営と労働力の機能だけがあって発展したそうです。
当時の黒島地区の船乗りは、春になると大阪まで陸路で行き、そこから北を目指して進みながら交易し、今度は南に下って交易して大阪まで戻り、そこで船を下りてまた陸路で黒島地区に戻ったそうです。
わかったようなわからないような。

廻船問屋だった旧角海家住宅を見てきました。
相当に大きな家で、道路沿いに店があり、奥の海側には蔵があります。
黒島地区を見ても、黒瓦の木造家屋が並ぶだけで、蔵があるように見えませんが、これは潮風にやられないように蔵を小屋で囲った鞘蔵だからだそうです。
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時間を随分使ってしまったので、總持寺祖院をさっと見てからレンタカーを返しに能登空港へ。

總持寺は大がかりな修復工事中で、これは2007年の能登半島地震で損傷を受けたためとのこと。
能登半島地震、あったことも記憶になりませんでしたが、黒島地区も甚大な被害を受け、そこからの復興過程が重要伝統的建造物保存地区となるきっかけでもあったようです。
台風の影響を受けてから重要伝統的建造物保存地区となった御手洗の話にも通じるものがあります。
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能登空港から輪島にバスで出て一泊。
鮨はいいやと思って割烹に行ったら、またもや海産物食べすぎ。
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重い体を引きずって、御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)の実演を見てきました。


最後の朝は、これまた定番の朝市を見てから輪島塗会館。
輪島塗は分業体制で、全体プロデューサーに相当するのが塗師。
塗師は各地を売りに回ると同時に文化を吸収してきたのだそうです。
展示されている漆塗りを見ると、そのデザインに文化的蓄積を感じます。

今回は時間も短く、白米千枚田など定番も行けませんでした。
東京からの飛行時間も短く、自然と調和した田舎で、食べ物も美味しく、文化も深い。
また行ってみようと思う場所でした。


大エルミタージュ美術館展 [芸術]

無料のチケットをもらっていたので、会期ギリギリに行ってきました。

http://hermitage2017.jp/

エルミタージュ美術館と言えば、2010年の8月に、記録的猛暑のロシアで、冷房のない中脱水症状になりそうになりながら行った覚えがあります。
それに比べると、冷房も効いてて快適に見られます。

16~18世紀の西洋絵画が中心で、イタリア、オランダ、フランドル、スペイン、フランス、ドイツ・イギリスと地域毎に展示しているので、とてもわかりやすい。
ただ、テッツィアーノ、ルーベンス、クラーナハといった名はあるものの、それ以外は私はよく知らない画家のものでした。
このホールは丸ごとピカソどーん!というような本場のものとは違うような気がしました。

最近、日本美術に傾倒しているので、西洋美術を見ると、画題や表現も体系が全く異なっていて難しいな、と思いました。

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